朝起きたら青空だったので今日の境川散策は富士山が拝めるのではないか(?)と勇んで出かけました。散策路は横浜市と大和市の境になっている境川の袂の「境橋」から「いちょう団地」までのいつも川沿い遊歩道です。
この時期の散策は、花も咲いていない川沿いをただ歩くだけですが、今回は終盤近くの「本興寺(ほんこうじ)」の紅葉と富士山のビューポイントがある「いちょう団地」を目指しました(約1時間半の散策予定)。
<本興寺の山門>
いつもは東海道新幹線の跨線橋を渡って本興寺の裏(裏門はありません)から本堂に向かうのですが、今回は時間もあったので山門から入りました。
<本興寺の仁王門>
山門から100m位のところに例の仁王門があります。
<本興寺の本堂>
宗派は日蓮宗で、寺宝の「絹本著色法華宝塔曼陀羅(けんぽんちゃくしょくほっけほうとうまんだら」は横浜市の指定有形文化財(絵画)に指定されているようですが拝んだことはありません。
<境内の紅葉>
<黄色と赤のコントラストが素晴らしい>
イチョウは横浜市の名木古木に指定されています。
<イチョウとモミジを別角度から>
<道路から撮った「いちょう団地」>
本興寺を出て下ると街路樹がイチョウ並木の「いちょう団地」があります。
<富士山のビューポイントから撮った「いちょう団地」>
いちょう団地は、神奈川県の横浜市泉区と大和市との境を流れる境川で二分されたかなり大規模な団地で、横浜側の「いちょう上飯田団地」48棟2238戸、大和側の「いちょう下和田団地」31棟1394戸に別れています。世帯の約2割が外国人だと言われています。
中央に団地を横切って左右に細長く写っているのが新幹線の線路で、右側が東京方面行き左側が大阪方面行きです。
<ビューポイントから撮った富士山>
写真だと小さく撮れてしまいますが、それなりに素晴らしい光景ですよ!ビューポイントは周りの皆さんに迷惑がかかるので内緒です。
<富士山をズーム>
<いちょう団地と田んぼ>
いちょう団地の周辺にはご覧のような田んぼが未だあり、昔は農村だった面影が残っています。
<大津家 長屋門>
田んぼの近くに長屋門もありました。長屋門は封建時代には家格の象徴で、農村では村役人の屋敷に建てられていたらしいです。江戸末期の建物で大和市の重要有形文化財にもなっています。
<ついでにわが家の金柑も撮りました>
いちょう団地の富士見から帰って来て、わが家の金柑もご覧のように色づき始めていたので記念に撮りました。これから金柑酒を造って飲むのが楽しみです。
この時期の散策は、花も咲いていない川沿いをただ歩くだけですが、今回は終盤近くの「本興寺(ほんこうじ)」の紅葉と富士山のビューポイントがある「いちょう団地」を目指しました(約1時間半の散策予定)。
<本興寺の山門>
いつもは東海道新幹線の跨線橋を渡って本興寺の裏(裏門はありません)から本堂に向かうのですが、今回は時間もあったので山門から入りました。
<本興寺の仁王門>
山門から100m位のところに例の仁王門があります。
<本興寺の本堂>
宗派は日蓮宗で、寺宝の「絹本著色法華宝塔曼陀羅(けんぽんちゃくしょくほっけほうとうまんだら」は横浜市の指定有形文化財(絵画)に指定されているようですが拝んだことはありません。
<境内の紅葉>
<黄色と赤のコントラストが素晴らしい>
イチョウは横浜市の名木古木に指定されています。
<イチョウとモミジを別角度から>
<道路から撮った「いちょう団地」>
本興寺を出て下ると街路樹がイチョウ並木の「いちょう団地」があります。
<富士山のビューポイントから撮った「いちょう団地」>
いちょう団地は、神奈川県の横浜市泉区と大和市との境を流れる境川で二分されたかなり大規模な団地で、横浜側の「いちょう上飯田団地」48棟2238戸、大和側の「いちょう下和田団地」31棟1394戸に別れています。世帯の約2割が外国人だと言われています。
中央に団地を横切って左右に細長く写っているのが新幹線の線路で、右側が東京方面行き左側が大阪方面行きです。
<ビューポイントから撮った富士山>
写真だと小さく撮れてしまいますが、それなりに素晴らしい光景ですよ!ビューポイントは周りの皆さんに迷惑がかかるので内緒です。
<富士山をズーム>
<いちょう団地と田んぼ>
いちょう団地の周辺にはご覧のような田んぼが未だあり、昔は農村だった面影が残っています。
<大津家 長屋門>
田んぼの近くに長屋門もありました。長屋門は封建時代には家格の象徴で、農村では村役人の屋敷に建てられていたらしいです。江戸末期の建物で大和市の重要有形文化財にもなっています。
<ついでにわが家の金柑も撮りました>
いちょう団地の富士見から帰って来て、わが家の金柑もご覧のように色づき始めていたので記念に撮りました。これから金柑酒を造って飲むのが楽しみです。