傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

日本振興銀行:世に中、才覚だけでは通用しない・・・現場感覚の欠如!(追記)

2010-06-17 09:47:23 | ビジネス

竹中平蔵氏の尖兵であった木村剛氏が創業した日本振興銀行が、連日、新聞沙汰になっており、木村剛氏の今後に注目されていますね。
当方は、当初から日本振興銀行のビジネスモデルに懐疑的であり、創業から関与した平正明議員が日本振興銀行を「中小企業の味方」と喧伝しているのを見聞きし、世の中、才覚だけで美味しい商売などありえないと疑問を持っていました。

山崎 元氏が「現代ビジネス」に寄稿の『 「モラルハザード銀行」になった日本振興銀行』(「評論家はもういらない」と言い切った「秀才」 木村剛はなぜ転落したか)で、日本振興銀行が掲げた既存金融機関が距離を置いていた「ミドルリスク・ミドルリターン」のビジネスモデルに懐疑的であったし、

”「結局、振興銀行のほうが、彼ら(既存金融機関)よりも情報が豊富であるか、審査力があるといえる根拠がなければ、彼らのビジネスモデルは成立しない。新興勢力でもあり、情報の蓄積も乏しいはずの振興銀行で、この分野の勝負に乗り出すことは無謀だったのではないか。

「中小企業向けの『少し高利』の融資」が上手く行かないのは、一足先に行き詰まった新銀行東京の例を見ても分かる。日本郵政の資金運用を論ずる際にも、「中小企業向けの融資」という言葉が出て来やすいが、これは非現実的な暴論だということが分かる。

 結局、振興銀行は、きれいなビジネスモデルでは勝負にならなかったのだろう。収益を挙げるために、貸金業者の債権を買い取ったり、あるいは振興銀行が影響力を行使できる企業のネットワークを作り、これを利用して実質的に高利の貸金業を行ったりする、実質的には「ハイリスク、ハイリターン」の街金・高利貸し的なビジネスモデルに移行せざるを得なかったのではないか。
」”

と、当初のビジネスモデルが非現実的であり、実質的には「ハイリスク、ハイリターン」のビジネスモデルに転換せざるを得なかったと論評しています。

当方は、山崎 元氏の論評を、「今更、何を言っているの?」と思いましたね。
マアー、山崎 元氏だけではないが、日本振興銀行の設立時期は、竹中平蔵氏グループの木村剛氏が時の人であり、当時は、メディアは日本振興銀行の成り行きには、期待感を持って見守る姿勢でしたね。

なんだかんだ言っても、金融機関は、集めた預金での貸し出し金利の商売であり、不良債権回避に担保をとることであったが、自ら土地バブルで発生させた不良債権の処理に、庶民の預金金利を薄利にし、手数料商売を加味し、「貸し渋り」「貸し剥し」で経営良化してき、その犠牲者が中小企業であり、新銀行東京、日本振興銀行の設立目的は容認できたが、経営再建できた銀行は、預金金利は低金利のまま、手数料は据え置きのままで、安定路線になり、「保証協会」も審査制度になり、中小企業の金融事情は、なんら良化していないのです。
要は、中小企業、庶民の犠牲のもとで金融機関だけは、何時の時代も安泰しているのです。

新銀行東京、日本振興銀行も、不良債権の軽減を第一で、経営良化を目指した既存金融機関のしわ寄せの中小企業向けに、無担保でも融資することを目的の設立は、一概に、批判できませんが、既存金融機関が安定化し、金融助成制度が緩和し、新銀行東京、日本振興銀行の存在価値が薄れ、本来なら、事業撤退なり、事業縮小なり、融資から投資(インキュベーション)に事業を変容すべきでした。

しかしながら、才覚のある木村剛氏率いる日本振興銀行は、活路を、リーマンショックで、資金調達の道が閉ざされたノンバンク金融から債権譲渡の選択で、ノンバンクとの「共存共栄」を目論見したのでしょうね。
本ブログ「再生法申請した商工ローンのSFCGと日本振興銀行との関係?」でも書きました、中小企業向け金融は、難しいのは事実です。

既存金融機関が距離を置く中小企業を相手の金融ビジネスモデルは、当初から限界であったのです。
SFCG事件が報道されていますが、ノンバンクが、一概に、「極悪」ビジネスと言い切れない部分はありますね。

”「「高利で貸したほうが悪いのか?」、「高利でも借りたほうが悪いのか?」、「悪戯な回収手段が悪いのか?」、「返せない借り手がわるいのか?」・・・・一概に言えない部分があることです。」”

のです。

既得権で硬直化社会では、政治は、既存金融機関をはじめ、大企業擁護が当然で、社会の歪は、良化しないのです。
木村剛氏も問題意識を持って、日本銀行を辞め、何らかの自己実現を目指したのでしょうが、個人の才覚だけでは、限界があったということですね。
エリートの現場音痴としか思えず、メディアも、今頃になって、問題視するのは、「長いものには巻かれろ」ということですね。

また、本ブログ「改正貸金業法の施行・・・「サラ金難民」が急増!」

”「「貸すのが悪いのか」、「借りるのが悪いのか」と一義的に結論できないが、「サラ金難民」の問題は、生活不安・社会不安を拡大させる恐れがありますね。」”

と書きましたが、当方は、硬直化された現下の日本社会には、「破壊と創造」が不可避とし、改正貸金法、改正割賦販売法は業界良化に貢献できるが、現実社会には、社会の歪があり、社会弱者が更に、社会弱者になりますね。

本ブログ「中谷 巌氏の新自由主義にもとづく構造改革の懺悔のついて」で、

”「経済学には、社会という人間の営みを考慮していないことで、竹中平蔵氏の話は、全てロジカルですが、何か「そうかなー?」という残存感がありましたので、中谷氏の言葉で、成る程と納得した次第です。」”

と書きました、竹中平蔵氏、木村剛氏も、才覚だけでは、社会変革できないのです。
人間の営みを考慮しない経済学・金融理論では、社会変革などできないのですね。

菅首相の「強い経済・財政・社会保障」では、強いものはより強くなるだけで、積年の硬直化社会の社会の歪は解決できないでしょうね。
まずは、「生活第一」で生活安定化が先決でしょうね。
一度、現行社会を破壊させ、国民の皆が、最低生活できる「ベーシック・インカム」制度を導入し、チャレンジも再チャレンジもできる社会を目指すことも一考かな思うこの頃ですね。


「参考」

① 本ブログ「生活保護 最多の132万世帯・・・日本の貧困・生活不安の象徴

② 本ブログ「新党日本:ベーシック・インカム・・・日本将来の一つの方向性?」

③ NHKニュース「地銀決算 来年3月期は横ばい」(6月17日 7時3分)

”「全国の主な地方銀行64行のことし3月期の決算は、景気の持ち直しによって、貸し倒れによる損失が大幅に減ったことなどから、最終的な損益は2年ぶりに黒字を確保しましたが、来年3月期の決算は横ばいにとどまる見通しです。

全国地方銀行協会によりますと、加盟する64行のことし3月期の決算は、最終的な損益が加盟銀行あわせて5500億円余りの黒字となりました。これは金融危機に伴う景気の悪化で700億円余りの赤字となった前の年度に比べて、一気に6000億円余り増えて2年ぶりに黒字となりました。
また、赤字に陥った銀行は、前の年度は29行でしたが、大幅に減って2行にとどまりました。業績が好転したのは、景気が持ち直し、企業の倒産が減ったため、不良債権の処理の費用が大幅に減少し、15年ぶりに5000億円を下回ったことなどによるものです。
一方、来年3月期の業績は、最終的な利益は0.4%の増加にとどまり、横ばいの見通しとなっています。日本経済は好調な輸出に支えられ回復しつつありますが、地方の景気は雇用の回復が遅れるなど厳しい状況が続いているため、地域の企業の業績は伸び悩んでおり、地方銀行にとっては、経営の効率化が引き続き課題となっています
。」”

地銀の自助努力は否定しないが、庶民は、この10年可処分所得が横ばいであり、日刊ゲンダイの記事「どうして日本人は貯蓄ができなくなったのか」ではないが、自助努力では限界にきていますね。
世の中、法人税を減額し、消費税を増額を容認する風潮が理解できないですね。
メディアが、小沢一郎氏のどうでも良い微罪程度「政治とカネ」問題で退場させ、「生活第一」が遠のきますね。
世の中、奇麗事だけでは変革できないのです。



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