傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

『パナソニック・ショック』の著者の立石泰則氏の考察について(雑感)

2013-06-06 10:03:14 | ビジネス

週刊ダイヤモンドが最新著『パナソニック・ショック』を上梓した立石泰則氏に、パナソニックの復活へのヒントを聞いたインタビュー記事を一読し、立石泰則氏のパナソニック衰退の考察は、中村邦夫社長時代の「破壊と創造」が「創造」がなく「破壊が崩壊に」になったとパナソニック失速の主因と「破壊と創造」を酷評は同感しますね。

団塊世代の当方は、『パナソニック・ショック』を購読するエネルギーがなく、インタビュー記事だけでパナソニックを論評するのは気が引けるが、現役時代に松下電器(パナソニック)と接して、パナソニックの強さと弱さを思いましたね。
ジャーナリストの立石泰則氏は、第三者的な立場でパナソニックを考察していると思われ、『パナソニック・ショック』は、多分、総論的には的を得ているでしょうね。
当方は、パナソニックの失速は、鍋釜の二番手商法を揶揄された土着的な体質が効率第一の大企業病に陥り、追いつけ追い越せの二番手商法の特徴が消えうせた思っております。
立石泰則氏も言っているように、山下俊彦社長が体質改善の先駆けとなったが、松下幸之助氏に近い古参の経営幹部が体質改善の抵抗勢力になり、中途半端に終り、情報化、グローバル、価格破壊の時代になるとパナソニックの硬直化が顕在し、中村邦夫社長が登場し、旧態体質を「破壊と創造」の掛け声で体質の新陳代謝を図ったのでしょうね。
問題は、立石泰則氏が言っているように、破壊はできても創造ができず、プラズマに頼り過ぎたことが今日の衰退の主因であることは否めませんね。

問題は、企業は事業体制を破壊中であっても社会が求める経営数字は堅持する宿命があり何で経営数字をあげるかのです。
本ブログ「アップルと日本家電メーカーの相違・・・先見・革新・独自性か販売見込みかの違い」(2011-10-11)で、

”「三洋電機の黒崎正彦氏、ソニーの前田 悟氏の現場は先見性・革新性・独自性で新たな市場開発・創造の提起であるが、経営幹部には、過去の延長線上での販売見込み・販売規模が第一であり、新たな市場開発についての必要性は認識しているが、会社経営の安定を考えると直面の販売額であり、新たな取り組みは二の次になるでしょうね。
世の中、生成発展には新陳代謝が不可欠とは分かっているが自ら現状を否定し変身(変革)できないの世の常です
。」”

と、経営者は将来期待度より、直面する販売額の確保を現行商品で充当せざるえず、企業の革新性を損なうことになりえいます。
世の中、リストラによるコスト削減する「集中と選択」を良しとする風潮があり、事業構造の変革が難航するのです。
当時のパナソニックの現場営業は、プラズマ重視に異議を言っていましたが、社内でのプラズマ勢力には口を閉ざしていたのでしょうね。
中村邦夫社長の功罪は、過去の延長線体制を打破したことは功があっても、過去の延長線上の商品群での経営は失敗だったと責められるのは自然でしょうね。

立石泰則氏は、ナショナルショップ店網について、
”「テレビ事業は撤退しても、映像技術は磨き続けないといけません。現在のように付加価値のないテレビを薄利多売するのであれば、いっそのことやめてもいいと思います。しかし、本当に美しい映像が楽しめるテレビを売るのであれば、その場は家電量販店ではなくて、系列ショップなのです」”
と考察しておりますが、当方には疑問を感じます。

当方は、パナソニックが系列ショップを構築したことでパナソニックの基盤を形成したが、家電から個電になり量販店の時代になり、系列ショップが重荷になったことは想像できます。
問題は、重荷になった系列ショップの体質改善をできず、物販主体のままであったことがです。

本ブログ「コンビニの消滅論があるが?(雑感)」(2010-12-23)で、
”「当方は、過去に、セコムの新規事業担当の人間に、”「セコムの競合相手は、同業他社で、差別化ですか?」”と問うた際に、セコムの新規事業のキーワードは、”「物理的拠点に情報ネットワークと人的サービスの組み合わせ」”であり、”「松下電器(現パナソニック)になるか、郵便局になるか、コンビニになるか、・・・」”という話を聞き、高齢少子社会、限界集落においては、物理的な拠点のコンビニが情報ネットワークを活用した万(よろず)人的サービスを充実することで、地域生活者にとって不可欠な存在になりえる可能性を秘めていると思っています。」”
と、パナソニックの活路には、地域生活者への土着的な人的サービスが新たな切り口になるのでないかと書きました。

埼玉の在に住む当方は、この20数年間、町の電気屋にお世話になったことがなく、量販店、ホームセンターで事が足りており、系列ショップの存在には疑問を持っていました。
当方が付き合ったパナソニックの人間は、町の電気屋は物販から地域における生活サービス主体の事業に変えるべきだと言っており、セコムの話を聞いて成る程と思った次第です。

要は、高齢少子の核家族社会になり、子供の安否、高齢者の介護・看護、宅配ら生活支援などの情報化と人的サービスが多岐多様化し、地域に安心できるサービス拠点があれば生活者は利用する可能性があります。
安心できるサービス拠点には町の電気屋は有力候補になりえ、パナソニックのショップは最有力でしょうね。
家電は、重量があり取り付け工事を伴う製品であり、保守サービスが整備されていれば安心感があります。
量販店、ホームセンターで商品競争し、顧客が選択した各社製品を取り付け保守することですね。

立石泰則氏は、
”「(パナソニックは、)デジタル技術を駆使した映像技術は捨ててはいけない。テレビメーカーがすべきことは、何よりも圧倒的な差別化を実現したテレビを作ることです。
・・・・・・・・・・・・
テレビ事業は撤退しても、映像技術は磨き続けないといけません。現在のように付加価値のないテレビを薄利多売するのであれば、いっそのことやめてもいいと思います。しかし、本当に美しい映像が楽しめるテレビを売るのであれば、その場は家電量販店ではなくて、系列ショップなのです
。」”
と語っていますが、映像技術の競争が不可避で、系列ショップで商品競争させろと語っており、一見、理があると思うが、当方は、量販店、ホームセンターで競争し、顧客が選択した各社製品をショップが取り付け工事し保守サービスを担う体制に変革すべきと思います。

パナソニックの活路は、既存の経営資源を高齢少子の核家族社会で新しい人的サービスを伴う事業に体質改革することでしょうね。



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