傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

週刊現代の記事『みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方』・・・・「社会的入院」も解(雑感)(追記)

2014-03-19 22:30:10 | 社会保障

現代ビジネス」サイトに、「週刊現代」(」2014年3月22日号)の【賢者の知恵】の記事『大特集みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方【第1部】決断ひとつで、天と地ほどの差がついてしまう!親を捨てるか妻から捨てられる』を掲載しています。
記事は、「老いた親」を捨てるか、捨てなければ妻から捨てられるという内容であるが、当方は認知症の老母の介護体験で、老親の在宅介護は家族の負担も大きく、「姥捨て山」観があるが社会的入院が現実解と思いますね。
やはり、理想は「ピンピンコロリ」ですね。

記事『大特集みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方【第1部】決断ひとつで、天と地ほどの差がついてしまう!親を捨てるか妻から捨てられる』の要旨は、文中のある専門家の言葉

”「「老親の世話や介護というのは、突き詰めれば『親をとるか、妻をとるか』という究極の選択でもあります。あらかじめ自分自身がどちらをとるべきか考えておいたほうがいいでしょう。いざ、という時になると判断が鈍ってしまうものです。

そしてもし夫が妻ではなく親を選んだ場合、妻にとって夫婦関係を続けていく理由はなくなります。だから、夫は捨てられてしまうのです。定年後の人生を誰と歩むかを考えれば、どちらをとるべきか、答えは明白ではないでしょうか」

深く考えず、子供が親の面倒を見るのは当たり前、妻が介護するのは当たり前、と思考停止に陥った時点で、すでにその夫婦関係にはほころびが生じているのだ
。」”

に尽きると思われ、結びの専門家の言葉

”「「介護は、病気と違って終わりが見えません。だから、『できる範囲で』が原則なんです。それなのに、親だからという情に流されて無理をすると、『介護離婚』を引き起こしてしまうんです。またそれだけでなく、心が煮詰まってくると親を虐待してしまったり、自分がうつ病になるという危険性も孕んでいます」

自分を育ててくれた親への感謝の気持ちは大切だ。だが、子供にも子供の人生がある。一生懸命働き、ようやく定年を迎えた後、親のために自分と妻や家族を犠牲にすることが、果たして幸せと言えるのだろうか。

親の説得、良心の呵責、親族や世間の冷たい目—。

親を捨てるという「非常識」の前に立ちふさがる障害は多い。この前代未聞の状況の中、我々はいかに身を処していけばよいのだろうか。
」”

で、要は、老いた親を引き取り安直な在宅介護は介護離職、介護離婚、家庭破綻への道程ということです。

当方は、認知症の老母の介護体験で在宅介護は家族の犠牲が大きく、本ブログ『認知症高齢者の行く末と介護する家族の苦悩について・・・家族的な社会的入院も一考』(2013-09-02)で、

”「人間は年を重ねる度にボケて食欲・治癒力も減退する老衰は自然の摂理であると思うが、飲食・排泄をも忘却する認知症を患うと一人で生活できると思っていても出来ないことも分からずヒトの世話になることです。
高齢者の親は自宅で生活を願い、家族も在宅介護を望むが核家族の現下では、在宅介護に限界があるのが現実ですね
。」”

と書きました。

在宅介護に関する情報は諸々あるが、ほとんどが奇麗事であり、介護する側、介護される人間の羞恥の部分は皆無で、本ブログ『NHKスペ『"認知症800万人"時代 母と息子 3000日の介護記録』の紹介・・・老老介護の限界』(2013-11-22)で、

”「23日(土)9時から NHKスペシャル『"認知症800万人"時代 母と息子 3000日の介護記録』は、元NHKディレクターの相田洋(77)が母親の認知症発見から最期を看取るまでの3000日の在宅介護が放送されます。
当方も老母の認知症発見から特養入所まで在宅介護の体験をしており内容は想像できますが、ある事柄に興味を持ちますね
。」”

と、ある事柄に興味を持ったことは、相田洋氏は、母親の「下の世話」などに衝動的な抑制行為をよく回避できた部分でした。

当方は認知症の老母の徘徊事故を契機に成り行きで在宅介護することになり、24時間徘徊監視に、排尿・排便の尿意・便意の観察、最後は「下の世話」など体験すると、核家族社会の現下で在宅介護は家族の犠牲を強いる仕組みと思いますね。
当方の場合には、認知症の老母を、週3回ディサービス、特養入居、終末期医療へ一般病院に社会的入院と家族の負担は軽減され、むしろ、老母に「姥捨て山」意識を持たせないように連日面会に行っております。

現在、高齢者の医療費抑制に、訪問医療充実させ、在宅医療を推進させているが、認知症の高齢者にとっては、自宅であろうが病院であろうが場所の問題でなく、親身な対応してくる家庭的雰囲気が居心地が良く、画一的な在宅介護・医療推進には違和感を持ちますね。
やはり、高齢者の願望は、子供には負担を掛けず、他人には迷惑を掛けない、ピンピンコロリですね。

「付記」

「現代ビジネス」サイトに掲載している「週刊現代」の【賢者の知恵】の記事『声に出して言いにくい「日本の大問題」第2回 藻谷浩介×湯浅誠 人口減少社会 日本人が「絶滅危惧種」になる日 地方が消滅し、都会は認知症の老人ばかり』は、日本社会の最大の問題を人口減少社会と問題提起しております。

「追記」

「現代ビジネス」サイトに「週刊現代」の【賢者の知恵】の記事『大特集みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方【第2部】あなたは悪くない大丈夫、本当はみんな「捨てたい」と思っている大特集 みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方』を掲載。

記事は、老親を施設に入所させた事例を紹介し、親は子供には負担を掛けたくない思いがあり、親を施設の入れるのは世の流れという内容ですが違和感を覚えますね。

健常の高齢者であれば、特養入所しても自分なりの生活スタイルを形成できるが、認知症の高齢者にとっては自分で時間を消化できず、帰宅願望が芽生え、徘徊行動になり、現場職員の負担が増し、認知症の高齢者は精神科のお世話になるのです。
しかしながら、本ブログ『高齢者の終末・・・長生きは社会のお荷物?(NO 2)』(2013-02-12)で紹介したNHK「クローズアップ現代」で番組『”帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院』(2012年11月22日放送)【全文テキスト】では、精神科入院の困窮の現状を放送していました。

要は、健常な「老いた親」であれば、週刊現代の記事の「親を捨てる」のは世の流れの論調には容認できるが、認知症の「老いた親」の場合には、「老いた親」を捨てるのにも苦悩するのが現実です。

「週刊現代」の記事『大特集 みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方 【第3部】 自分の人生なんだから共倒れになる前に捨てなさい』では、認知症の老親の奇麗事でない異状行動を記述していますね。
親であろうが異状行動への衝動的暴力行為を抑制回避は難しいです。
不幸な事態を招く前に、社会的入院に鋭意努力される事が賢明と思いますね。



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