サン・テグジュペリは、最愛の作家である。「星の王子さま」を読んだのが、六歳の頃と記憶しているから、生まれて初めて読んだ外国人作家でもあるかもしれない。
「星の王子さま」の、不思議な絵--(ある人に言わせると、「「いいおじさんがこんな絵を描くって普通じゃない。頭がおかしい人の絵ね」だそう)、瞳のない白目だけの金髪の王子様と、薄赤やブルー、黄色や緑といった色彩も、シンプルでいながら、華麗な印象が残る。これも、サン・テグジュペリ自身が、十字軍の時代にさかのぼる名家--フランスの伯爵家に生まれたという背景と関係があるのかもしれない。
それはともかく、「星の・・・」の詩情あふれるリリシズム、箴言を思わせる哲学的内容--多くの人を魅了してきたのも、当然のこと。 一部屋ぐらいの大きさしかないような小さな星の上で、火山の世話をし、わがままで気まぐれな薔薇にガラスの覆いをかけてやる王子様の絵・・・なんか、この世の現実感覚を突き抜けてしまった人という感じがする・・・。
この作品に魂の奥から、魅せられてしまったせいか、モロッコやサハラ砂漠を訪れるのは、私にとって、悲願といってもいいほど。 砂漠には、秘められた井戸があり、それは豊かな音楽のように、飛行機乗りと、王子様の物語を奏で続けるのかもしれない。
「サハラ砂漠よ、私のサハラ砂漠よ。一人の紡ぎ女のおかげで、お前全体に魔法がかかっている」と、サン・テグジュペリは書き、「どこかに、菩提樹とモミの樹に囲まれた古い庭園があった」と自分が、幼年時代を過ごしたサン・モーリスの城館を懐かしむ。 このサハラで遭難した飛行機乗り(彼は、作家にして、貴族、果てはパイロットでもあったのだ!)の目の前には、本当に、金髪の少年が現れたのではないか?
冷たい月光がさす砂漠の上、あるいは、風紋が寄せては消えていく、砂の上で交わされたパイロットと王子様の会話を思い描くと、あまりに幻想的であるがゆえに、この世ならぬ真実が、そこにあるのでは、とさえ思ってしまうのだ。
結局、サン・テグジュペリは、第二次大戦の終わり、地中海上で消息を絶ったまま、伝説の人となった。 彼は、機首をはるか夜空に向け、王子様の住む星へと向けて、旅立ったのかもしれない。我々に、「プティ・プリンス」と名付けられた童話を、永遠の贈り物として--。