群馬県前橋市勝沢町西曲輪420の道路脇にあります。
赤城山南麓の緩やかな傾斜地です。
「大塚古墳」とか「芳賀村48号墳」とも呼ばれています。
全長35m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部は一部県道で削られています。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や馬形埴輪・人物埴輪・玉纒大刀形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1951年(昭和26年)、群馬大学による発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、無袖型横穴式石室で埋葬部と閉塞部に分かれています。
自然石の乱積みでつくられていて、全長5.5m、幅1.8mあります。
南南西方向に開口しています。
但し今は中に入れぬように竹柵がしてあります。
人骨、土玉、耳環、直刀、小刀、鉄鏃、刀子、鐙、須恵器などが出土しています。
この古墳の築造時期は古墳時代後期・6世紀後半頃と推定されています。
昭和48年9月24日、前橋市の史跡に指定されています。
赤城山南麓の緩やかな傾斜地です。
「大塚古墳」とか「芳賀村48号墳」とも呼ばれています。
全長35m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部は一部県道で削られています。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や馬形埴輪・人物埴輪・玉纒大刀形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1951年(昭和26年)、群馬大学による発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、無袖型横穴式石室で埋葬部と閉塞部に分かれています。
自然石の乱積みでつくられていて、全長5.5m、幅1.8mあります。
南南西方向に開口しています。
但し今は中に入れぬように竹柵がしてあります。
人骨、土玉、耳環、直刀、小刀、鉄鏃、刀子、鐙、須恵器などが出土しています。
この古墳の築造時期は古墳時代後期・6世紀後半頃と推定されています。
昭和48年9月24日、前橋市の史跡に指定されています。
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