群馬県前橋市田口町千手堂582-7の住宅地にあります。
旧利根川河岸段丘の端です。
全長28.2m、 後円部径14m・高さ3m、 前方部先端幅12.7m・高さ1m の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、榛名山二ツ岳産の角閃石安山岩を削って築かれた両袖型横穴式石室です。
全長6m、羨道の長さ2.85m・幅1.25m、玄室の長さ3.15m・幅2.1mの単室構造です。
北方向に開口していますが側壁の崩落が進んでいて、現在は土嚢を詰めて保存してあります。
骨、歯、直刀2、小刀1、刀子3、鉄鏃15、耳環16、素環状鏡板付轡2、鐙吊り金具、辻金具2、飾り金具2、須恵器など101点が出土しています。
出土した副葬品の数から、埋葬された人数は7~8人と推定されています。
昭和58年4月25日、前橋市の史跡に指定されています。
なおこの古墳は、径14m・高さ3mの小円墳とも言われています。
旧利根川河岸段丘の端です。
全長28.2m、 後円部径14m・高さ3m、 前方部先端幅12.7m・高さ1m の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、榛名山二ツ岳産の角閃石安山岩を削って築かれた両袖型横穴式石室です。
全長6m、羨道の長さ2.85m・幅1.25m、玄室の長さ3.15m・幅2.1mの単室構造です。
北方向に開口していますが側壁の崩落が進んでいて、現在は土嚢を詰めて保存してあります。
骨、歯、直刀2、小刀1、刀子3、鉄鏃15、耳環16、素環状鏡板付轡2、鐙吊り金具、辻金具2、飾り金具2、須恵器など101点が出土しています。
出土した副葬品の数から、埋葬された人数は7~8人と推定されています。
昭和58年4月25日、前橋市の史跡に指定されています。
なおこの古墳は、径14m・高さ3mの小円墳とも言われています。