古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県新富町・新田原古墳群58号墳

2011-06-04 08:13:39 | Weblog
宮崎県児湯郡新富町新田東俣の台地上にあります。
56号墳とは道路を挟んで北側になります。
百足塚古墳とも呼ばれています。

全長76.4m、 後円部径33.2m・高さ8.8m、 前方部幅43.6m・高さ8.4m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。

墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
その外側には外堤が巡らされています。
造り出しはありません。

埋葬施設は横穴式石室です。

平成10年から16年にかけての調査で、西側外堤周囲からコンテナケース約400箱に及ぶ形象埴輪片が出土し一躍注目されることとなりました。
復元すると60体以上になると予想されています。

この4月にオープンした、大阪府高槻市の真の継体天皇陵と言われている「今城塚古墳」公園に、「埴輪祭祀場」から出土した形象埴輪のレプリカ約190点が並べられています。(私はまだ実際には見ていません)
亡くなった大王の魂を鎮めるための「儀式」の模様をあらわしたものと言われています。

この百足塚古墳西側外堤周囲出土の形象埴輪群も、今城塚古墳と同じような「儀式」の模様を表していたものだった可能性があると言われています。
今までに復元されたのは(その都度3度ほどに分けて公開されています)、柵形埴輪・家形埴輪(高床、倉庫風、入母屋造、寄棟造)・人物埴輪(ひざまづく男性、三角帽をかぶった男性、馬をひく男性、器を捧げ持つ女性、袈裟に似た衣服をまとった女性、性器をみせる女性、踊る女性)・鳥形埴輪(雄鶏)・太鼓形埴輪などがあります。
また中段のテラスと墳頂には円筒埴輪列と盾形埴輪が並べられていたそうです。

この古墳の築造時期は、6世紀前半ころと推定されていて、今城塚古墳と同時期であり、何らかの関連があったのではと思われます。

古墳はどこからでも観察できます。
新田原古墳群・祇園原支群を構成しています。








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