日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

いつもながらの「終戦(敗戦)記念日」に際しての我々の「嘘話」にはあきれてものも出ないなんてのレベルは、はるかに通り越してしまい、今や語ることが見当たらない!

2021-08-16 | 日記

いつもながらの「終戦(敗戦)記念日」に際しての我々の「嘘話」にはあきれてものも出ないなんてのレベルは、はるかに通り越してしまい、今や語ることが見当たらない!


(最初に一言)

さすがにそれでは駄目だろうと、なんとかあれこれ思案していたら、16日の朝を迎えてしまった。


そんなわけで、去年の8月15日のブログ記事を、再度引用貼り付けた次第。戦没者には合わせる顔もない。靖国参拝などどの面下げてできるのかと思える自民党の国会議員の大臣連中がのこのこと出かけることを未だに許している「日本」と「日本人」。とにかく政治家は、あの戦争と同じく、今回のコロナ戦争でも多数の犠牲者を出しながら、我関せずの様相だから、相変わらず「システム」の戦争・センソウに対して何の役にも立たない。

もうこの辺で愚痴にもならない無駄話はやめておこう。今回のコロナ戦争における悲惨な状況・状態に対する私たち国民の側の責任も改めて受け止め直す必要があるのは確かだろう。一番大きな責任は、どうにもならない役立たずの政治家と政党を選んでしまったということ、そうした政治勢力の暴走をを制御・牽制できるましな政治家と政党を、理由はいろいろあるにせよ、ともかく選ぶことをしなかったということ、である。

次の衆議院議員総選挙でも、懲りない国民による懲りない結末が待っているとすれば、どうかそれだけはゴメンコウムリタイと願うのだが、もうクワバラクワバラと念仏のように唱えるだけであるから、これまた情けない話ではあるまいか。それではいかに二つの短い記事を貼り付けておきたい。興味のある方は斜め読みをしてほしい。


(ブログ記事の引用始め)

村田邦夫のヨモヤマ談義⑨-私の語る「システム」論から、「二度と戦争を繰り返さない」との「嘘」を繰り返さないために、「日本と日本人」の「衣食足りて礼節を知る」営為の実現の在り方について、考えるとき

私たちはこれまで戦後一貫して「嘘」を言い続けてきた、「二度と戦争は繰り返しません」という嘘を。と言うのも、私たちの「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現は、戦前も戦中も、そして戦後も「システム」が提供する「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為に与り続けてきたからである。

換言すれば、覇権システム、世界資本市議システム、世界民主主義システムの「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」の中から、一歩も外に足を踏み出すことはなかったからである。この「システム」こそ「金の成る木」であり、そのために「戦争」を繰り返すのをその「業務」としてきたからである。

その意味では、私たちは、いつも戦争状態の中に置かれているのである。「システム」の中で生きることは、「戦争」と「平和」が同じコインの裏表の関係を成しているセカイ・世界の中に生きていることを意味している。それは、例えば、日本と日本人には「平和」だと理解されるセカイ・世界であっても、別の国とその国民には「戦争」を意味しているということなのだ。

それゆえ、日本と日本人には、どれほど激しい戦闘が中東で行われていても、涼しい顔をしながら、「平和な日本に生きていることに感謝する」云々の言辞を、広島・長崎への「原爆投下」、「終戦」に関わる定例の儀式において、弄することができるのではあるまいか。

日本と日本人は、そんな中東から石油を輸入しているが、その油井地域と輸送ルートを米国海軍や空軍、そして陸軍によって守られていることから、またその米国の軍事力の行使が中東の欧米諸国に対する抗議や反乱を抑え込んできたという意味で、いわゆる日本の「衣食足りて」の営為は、覇権国の米国の圧倒的暴力の展開の下で実現されてきたことを鑑みるとき、日本の「礼節を知る」営為の実現には、つまり自由や民主主義や平和の実現には、中東諸国のおびただしい人々の血塗られた歴史が組み込まれていたという意味において、戦後も、戦争状態の中で生きてきたのではあるまいか。

もし、「本当に」、二度と戦争を繰り返さないというのであれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現の在り方を、それこそ真剣に問うことが大事だろう。そのためにも、私たちが先ずは「システム」の中にからめとられて生きているという現実を自覚、理解する必要がある。

それを理解すれば、日本と日本人の「衣食足りて礼節を知る」の営為の実現が、どれほど絶望的で、困難な試みであるかに気が付くに違いない。と言うのも、私たちがそれこそ、幕末の開国以降に組み込まれた、{[A]→(×)[B]→×[C]}の「システム」は、とても強固で、容易には日本の試みを許さないのは明らかであると同時に、「あの戦争」へと至った経緯を踏まえるならば、さらに八方ふさがりの感が強くなる。

日本と日本人にとっての「あの戦争」は、「システム」の外に出ていくための戦争では決してなかったのだ。「システム」のBからAへと這い上がろうとした結果の戦争であった。それを鑑みれば、「システム」の外へ足を踏み出すことによって、いかなる深刻な事態が導かれるのかを考察することは、それほど簡単な話ではあるまい。

しかしながら、それにもかかわらず、今からでもその道を進むことを、私は強く訴えたいのだ。ここにあの「不協和音」の歌が聞こえてくるかもしれない。勿論、「システム」の機嫌を悪くしないで、逆鱗に触れるやり方は避けなければならない、それこそ「してはならない」のだが、それでは「してもいい」ことは何かを提示しろと求められるとき、私の頭の中には、あまりいい考えは浮かんでこないのだ。

確かに、拙著やこのブログ記事でも、第1次産業を中心としながら、その周りを第2次、3次、4次、--産業が取り囲む形の「衣食足りて」の営為の在り方を提案していたと同時に、これまでの「礼節を知る」営為とは異なる[礼節]に関して語っていた。

私は、この路線しか、「1(%)対99(%)」の構図にある「99」の日本人と、その彼らが担う日本が生き残る道は、それ以外にはあるまい、と確信するのだが、問題となるのは、残りの「1」の日本人が、世界の「1」の人々と結びついて、私の推進したい「生き残りのための策」を、葬り去ることに、積極的に手を貸すことなのだ。

私はここで、1950年代の中国での近代化を巡る梁漱溟と毛沢東の路線対立を思い浮かべる。前者は第1次産業を前提とした路線に対して、後者は第2次産業を前提とした路線で対立した。その結果、勝利したのは毛沢東の工業化路線であったが、それは「システム」が勝利させたことは間違いない。

同じように、21世紀の「システム」は、かつてのAの先進諸国に、第3次の金融・サービス化産業を中心として、そこからさらに、、第4次、5次、ーーーと、産業の高度化を辿る路線を推進させるだろうから、私のような生き残り策は、結局は踏みつぶされるのは必至だろう。

しかしながら、そうした路線は、私たち日本と日本人を、これまで以上に「システム」に対して、がんじがらめの状態となるように強いることを意味している。忘れてはならないであろう。「システム」は「金の成る木」であり、そのために、いつも「システム」には戦争が組み込まれていることを。そして21世紀の「システム」はそれ以前の「システム」とは異なり、戦争の破壊力を、さらに強めていることを。

そうした状況・状態の中で、「二度と戦争は繰り返しません」との式典での誓いは、もう単なる嘘を超えて、生きている私たちの死者に対する「冒とく」以外の何物でもあるまい。それゆえ、21世紀のこれからの式典に私が望むのは、「システム」の中で、私たち日本と日本人が、コインの裏表の関係ではない「平和」を実現するためには、どのような「衣食足りて」の営為が、またその営為と呼応した、いかなる形の「礼節を知る」営為が求められるのかに関する「発表会」であってほしいということなのである。21世紀を担う若人の叡智が、必ずや新たな展望を開くことを、私は信じて疑わない。


村田邦夫のヨモヤマ談義⑩-私の語る「システム」論から、「戦没者」(終戦記念日)の式典での首相挨拶における「戦争の惨禍を二度と繰り返しません」の含意を再考するとき

先ずはブログ「肱雲の噺」の記事の冒頭部分をここに引用貼り付けしたので、それをご覧いただきたい。

(引用、始め)

お盆に村田さんは直球勝負
2020年08月15日

8月15日、「堪え難きを耐え、忍び難きを偲び…」の御言葉が発せられ、75年が過ぎた。「人生は戦争だ」と考えれば、人は日々、最前線に立たされている。生まれてから死ぬ迄、実弾は飛んで来ないが、厳しい生活を強いられている人々にとっては、生きて行くのが正しく戦争そのものかも知れない
だが、実弾の飛び交うホンモノの戦争は、生活上のそれとは訳が違う。否、そうした日々の何気ない生活の隅々に、実弾を使う殺し合いの「戦争のタネ」が播種されているのかも知れぬ。システムに戦争のタネは隠れて、呑気で平和ボケに安住する我々を、ニタニタ笑っている様に思われるのである

(以上、引用終わり)

上述したくだりは、〈村田邦夫のヨモヤマ談義④-私の語る「システム」論から、テレビのサスペンス劇場の「警察」関連ドラマを鑑賞して感じたこと〉の記事の最後にある≪(追記)「セカイ」とは、身近な、身の回りの生活空間を、また「世界」とは、もう少し大きな国家や国際関係を舞台とする空間を、それぞれ意味していることを、ここで断っておきます。≫を、わかりやすく解説してくれたくだりである。

すなわち、何度も指摘したように、私たちは、「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を当然とする「空間」の中で暮らしているのだが、この空間は、なんとも表現しがたいほどに、怖ろしいものなのだ。この空間=「システム」の中で生きていることから、「戦争」と「平和」がコインの裏表の関係となるセカイ・世界の中で、生きざるを得ないのだ。そのことを、肱雲さんの先のくだりは、見事に語っているのである。

こうした点を踏まえて考えるとき、私たちが戦後の「平和」な社会の中で、これまでずっと生きてこられたことに感謝しますというとき、それは、換言すれば、私たちが戦後この方ずっと、「戦争状態」の中で生きてきたことを意味しているのではあるまいか。それを前提として、安倍首相の式典での「戦争の惨禍を二度と繰り返しません」の誓いは、私にはやはり、ピンボケした空虚な念仏にしか聞こえてこないのだ。

もっとも、首相の演説原稿は、誰かが首相に代わり書かれたに違いないのだが、8月の戦争関連行事での式辞は、どれもこれも「金太郎飴」的な内容でしかないことから、何か空疎な感を抱くのだが、その感慨はおそらく、私一人ではないだろう。「戦没者」も同じ思いなのではあるまいか。

最後に一言。

これも何度も述べてきたことだが、「式典」は、あくまでも「戦没者」が「あの戦争」の「犠牲者」として奉られる存在であり、彼らを、あの戦争の「殉教者」として奉るようなことがあっては、決してならないのだ。その意味では、広島・長崎と同様に、8月15日の式典は、私たち民間人が主体となって、執(と)り行うべきものではあるまいか。

私の見る限り、いずれの式典も、「システム」の犠牲者としてではなく、その殉教者として取り扱われている、と言わざるを得ないのだ。至極残念なことだ。付言すれば、私たち「民間人」が、それぞれの家庭において、「挙行」すべきことなのだ。それを国家に主催させるようなことがあってはならない、と私の語る「システム」論からすれば、当然ながら、そうした結論に落ち着くのである。

近いうちに、この問題について再考してみたい。

(以上、引用終わり)


(最後に一言)

21世紀の環境問題の一つである地球温暖化・気候変動対策に際して、拙論の中での「衣食足りて礼節を知る」営為の話は、少しは役に立つのではあるまいか。すなわち、環境問題は、「民主主義の発展」の問題とも密接に絡んでいるということなのだ。経済発展との議論だけではなく、民主主義の発展とも絡めた考察が望まれるということを指摘して、今回記事を終えるとしよう。

 


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