かなり、心に悲しみというか、切なさを抱くような報告を受けてからちょうど一か月。
その間、その方と連絡が取れて、電話を通す元気そうな、でも、もう聞かれないと思う声を聴いて、あきらめと、納得と、良い思い出を・・と思い返したり、子供たちが来て、気持ちがまぎれたり、スマホで、それもラインと言う便利な物で、離れた友とおしゃべりもしたりで、かなり気持ちも落ち着いたはずなのに・・・
夜、眠くなる・・でも、布団に入ると・・耳元で誰かがささやく「寝るなぁ~~眠くならないぞ~~」って。
もうね・・昔から、布団に入るなりいびきをかくなんて、笑われるほど、バタンキューの人だったんだけど・・年々、それからも遠くなっていってる気がする。
母がそうだった・・
端から見るとよく寝てるようなんだけど、彼女自身は、「眠れないけど、とにかく横になってたわ」と言っていた。
そして、そんな日の次の日は、睡魔が自然に襲ってきて、眠れるからあまり気にしない・・とも・・。
私も、似たのだと思うことにしたが、でも、眠れない日の次の日も、やっぱり、布団に入ると、なんとも言えない不安感が広がり、ガバッと起きてしまう。
サプリのギャバや、AJ社のグ00などを飲んでみるが、寝つきが悪い・・でも、一瞬の様でも、ふと眼を覚ますと2時間ぐらいは寝てる・・それも熟睡したのか、そのまま起きれるような気がするから、まぁ翌日の朝は少々辛くても、一日をトータルすると、いつもと変わらない感じで行動できるので、気持ちの持ち方なのかもしれないな♪
友人は、かかりつけ医から、睡眠導入剤をもらってるけど・・なんだか、それに頼るのも嫌でね・・
医者に言って、事情を話すのも面倒だし・・・と・・・。
もう少し様子見ながら、調子を出していこうっと♪
日常生活は普通にできるんだから・・でも・・夜を迎えるのが少々怖い気がしてる・・やっぱり気の性なんだね♪
かぼちゃが今年は沢山収穫できた。
昨年は・・収穫寸前で、泥棒に入られたが、今年は厳重警戒もあって、みんな無事!
でも、気候のせいか、割れたり、お肌がとてもキチャナイの・・・お嫁さんになかなか行かれないので、家で面倒を見る物が多くなる。
今、台所にあるのがこれだけ、置ききれないので、デッキのバケツで待機中がこれと同じ数♪
お肌のキチャナイのは、皮を容赦なく剥いて、チンして、サラダや、バター焼きね♪
昨日は、久しぶりにかぼちゃケーキを作ってみた。
クルミも、ラム酒に漬けたレーズンもなぜか冷蔵庫にあるんだから・・不思議??
多分、何かを、そうだ・・・バナナケーキを作ろうと思って用意してたんだったわ^0^
、、、で、それが役に立ってね。
これは、半分ね・・・半分は仏様
今日は、義母の祥月命日。
丸々17年になる。
もう!・・と・・まだまだ・・と・・交差する月日の中で、どれほどの変化があったことでしょう!!
いい顔してるでしょ?
彼岸花が大好きだった・・
これは、夫のすぐ上の姉の所に行った時に、庭で写した物。
もう、かなり認知症は始まっていたけど、可愛がってる娘の所へは、好んで出かけた・・でも・・毎日、今日帰る、今日は帰るで、引き留めるのが大変だったという・・・
でも、その姉の協力が有って、私は乗り越えられてきた。
夫は、兄も二人の姉もいる、末っ子。
でも・・・両親の面倒を看た。
義母のわがままから、目に入れても痛くないほど可愛がっていた長男息子の嫁が気に入らない・・の・・思いから、まだ思春期の真っただ中の夫に泣きつき、夫は一心にそれを受け止めた結果らしい・・・らしい・・のよ・・兄嫁によるとかなり違う(笑)
イヤ、、実際に看たのは私。
夫とは結婚を決めた時からその話は聞いていたから、覚悟はしていたし、
さだまさし、の、関白宣言のようにすべて家族となる者を愛すれば可能なことと思って家に入ったけど・・・
そんな簡単な話じゃなかった・・・甘かったなぁ~~
義両親そろってる時は、同居はしていてもそれなりに生活は独立してたから、少しはバランスが取れていたかもしれないし、子供達(孫達)にも、年寄りとの生活は、決してマイナスばかりではなかったと思う。
二人とも、物知りで優しく育ったと・・・母のひいき目ね・・いつも怒ってたみたいな私だったから(笑)
それでも、気性の激しい義母は、私の生活、すべてにおいて口を出してくださいましたよ♪
まぁ、
それも、過ぎたこと・・
話せば、また悲しくなることも多々、出て来るからね・・・おいおい・・。
そんな義母でも性格は明るかったから、とにかく言うことを聞いていれば機嫌は良かったからね♪
とにかく、今日は、命日。
17年前の早朝、目覚めた途端、嫌な気分になって、洋服も着ないで、階下に下りて義母の部屋に飛び込んだのも私だった。
すでに遅かった・・・
でも、まだ温かみは有ったので、必死で、心臓マッサージをしたり、したけど・・娘が、救急車を呼んでくれたかな・・
「お母様ダメみたい!」と叫んだことは覚えてる。
私の叫び声で、後から降りてきた夫の「あぁぁぁ~~~~~」という悲壮な声がまだ思い出される・・。
骨髄異型性症候群、白血病の一歩手前だった。
その発症は、自宅で突然やってきて・・・
二ヶ月の入院の後の家庭看護(介護というよりは、看護に近かったと思う)
介護保険でベッドを借りて、トイレだけは、一人で行くけど、座ると立てなくなるから、行くたびに、隣の部屋で私は一人寝て、夜中でも目を覚まして、様子だけは伺って、ベッドに戻れるとほっとしてまた床に就いたものだった。
でも、まだ50歳前半の若さはすぐに睡魔が来て、朝はあまり辛くなかったな。
それでも、それも限度が来て、ずっと続いてた微熱は取れず、食べ物もなかなか受け付けなくって、入院を決めたその日の朝だった。
トイレもね・・行くことは行くけど・・・
外に、下着を汚すことがほとんどで・・・
私が世話をすると「何で?私はおかしいんですか!?」って・・・気色ばんで向かってきたこともあったけど・・
逆らわないで、「お母様がおかしいんじゃないの・・ちょっと気になるからお洗濯だけさせてね」って。
私、、出来た嫁だった・・みたいよ(笑)
家が大好きだったから、「家で、看送れて、良かったですよ」・・・と、主治医の慰めは動転してる心に響いた。
9月21日で88歳になる寸前の87歳と11か月だった。
彼女の兄弟姉妹の中では一番の長生きだった。
こんな話するつもりじゃなかったけど・・やっぱりちょっぴり思い出したことはね。
この時はすでに金四郎もいたから・・・助かったなぁ~~~
ネッ、金四郎ちゃん♪♪
もう少しコメントお休みしますね。
今日は眠れるといいなぁ・・・
おやすみなさい
その間、その方と連絡が取れて、電話を通す元気そうな、でも、もう聞かれないと思う声を聴いて、あきらめと、納得と、良い思い出を・・と思い返したり、子供たちが来て、気持ちがまぎれたり、スマホで、それもラインと言う便利な物で、離れた友とおしゃべりもしたりで、かなり気持ちも落ち着いたはずなのに・・・
夜、眠くなる・・でも、布団に入ると・・耳元で誰かがささやく「寝るなぁ~~眠くならないぞ~~」って。
もうね・・昔から、布団に入るなりいびきをかくなんて、笑われるほど、バタンキューの人だったんだけど・・年々、それからも遠くなっていってる気がする。
母がそうだった・・
端から見るとよく寝てるようなんだけど、彼女自身は、「眠れないけど、とにかく横になってたわ」と言っていた。
そして、そんな日の次の日は、睡魔が自然に襲ってきて、眠れるからあまり気にしない・・とも・・。
私も、似たのだと思うことにしたが、でも、眠れない日の次の日も、やっぱり、布団に入ると、なんとも言えない不安感が広がり、ガバッと起きてしまう。
サプリのギャバや、AJ社のグ00などを飲んでみるが、寝つきが悪い・・でも、一瞬の様でも、ふと眼を覚ますと2時間ぐらいは寝てる・・それも熟睡したのか、そのまま起きれるような気がするから、まぁ翌日の朝は少々辛くても、一日をトータルすると、いつもと変わらない感じで行動できるので、気持ちの持ち方なのかもしれないな♪
友人は、かかりつけ医から、睡眠導入剤をもらってるけど・・なんだか、それに頼るのも嫌でね・・
医者に言って、事情を話すのも面倒だし・・・と・・・。
もう少し様子見ながら、調子を出していこうっと♪
日常生活は普通にできるんだから・・でも・・夜を迎えるのが少々怖い気がしてる・・やっぱり気の性なんだね♪
かぼちゃが今年は沢山収穫できた。
昨年は・・収穫寸前で、泥棒に入られたが、今年は厳重警戒もあって、みんな無事!
でも、気候のせいか、割れたり、お肌がとてもキチャナイの・・・お嫁さんになかなか行かれないので、家で面倒を見る物が多くなる。
今、台所にあるのがこれだけ、置ききれないので、デッキのバケツで待機中がこれと同じ数♪
お肌のキチャナイのは、皮を容赦なく剥いて、チンして、サラダや、バター焼きね♪
昨日は、久しぶりにかぼちゃケーキを作ってみた。
クルミも、ラム酒に漬けたレーズンもなぜか冷蔵庫にあるんだから・・不思議??
多分、何かを、そうだ・・・バナナケーキを作ろうと思って用意してたんだったわ^0^
、、、で、それが役に立ってね。
これは、半分ね・・・半分は仏様
今日は、義母の祥月命日。
丸々17年になる。
もう!・・と・・まだまだ・・と・・交差する月日の中で、どれほどの変化があったことでしょう!!
いい顔してるでしょ?
彼岸花が大好きだった・・
これは、夫のすぐ上の姉の所に行った時に、庭で写した物。
もう、かなり認知症は始まっていたけど、可愛がってる娘の所へは、好んで出かけた・・でも・・毎日、今日帰る、今日は帰るで、引き留めるのが大変だったという・・・
でも、その姉の協力が有って、私は乗り越えられてきた。
夫は、兄も二人の姉もいる、末っ子。
でも・・・両親の面倒を看た。
義母のわがままから、目に入れても痛くないほど可愛がっていた長男息子の嫁が気に入らない・・の・・思いから、まだ思春期の真っただ中の夫に泣きつき、夫は一心にそれを受け止めた結果らしい・・・らしい・・のよ・・兄嫁によるとかなり違う(笑)
イヤ、、実際に看たのは私。
夫とは結婚を決めた時からその話は聞いていたから、覚悟はしていたし、
さだまさし、の、関白宣言のようにすべて家族となる者を愛すれば可能なことと思って家に入ったけど・・・
そんな簡単な話じゃなかった・・・甘かったなぁ~~
義両親そろってる時は、同居はしていてもそれなりに生活は独立してたから、少しはバランスが取れていたかもしれないし、子供達(孫達)にも、年寄りとの生活は、決してマイナスばかりではなかったと思う。
二人とも、物知りで優しく育ったと・・・母のひいき目ね・・いつも怒ってたみたいな私だったから(笑)
それでも、気性の激しい義母は、私の生活、すべてにおいて口を出してくださいましたよ♪
まぁ、
それも、過ぎたこと・・
話せば、また悲しくなることも多々、出て来るからね・・・おいおい・・。
そんな義母でも性格は明るかったから、とにかく言うことを聞いていれば機嫌は良かったからね♪
とにかく、今日は、命日。
17年前の早朝、目覚めた途端、嫌な気分になって、洋服も着ないで、階下に下りて義母の部屋に飛び込んだのも私だった。
すでに遅かった・・・
でも、まだ温かみは有ったので、必死で、心臓マッサージをしたり、したけど・・娘が、救急車を呼んでくれたかな・・
「お母様ダメみたい!」と叫んだことは覚えてる。
私の叫び声で、後から降りてきた夫の「あぁぁぁ~~~~~」という悲壮な声がまだ思い出される・・。
骨髄異型性症候群、白血病の一歩手前だった。
その発症は、自宅で突然やってきて・・・
二ヶ月の入院の後の家庭看護(介護というよりは、看護に近かったと思う)
介護保険でベッドを借りて、トイレだけは、一人で行くけど、座ると立てなくなるから、行くたびに、隣の部屋で私は一人寝て、夜中でも目を覚まして、様子だけは伺って、ベッドに戻れるとほっとしてまた床に就いたものだった。
でも、まだ50歳前半の若さはすぐに睡魔が来て、朝はあまり辛くなかったな。
それでも、それも限度が来て、ずっと続いてた微熱は取れず、食べ物もなかなか受け付けなくって、入院を決めたその日の朝だった。
トイレもね・・行くことは行くけど・・・
外に、下着を汚すことがほとんどで・・・
私が世話をすると「何で?私はおかしいんですか!?」って・・・気色ばんで向かってきたこともあったけど・・
逆らわないで、「お母様がおかしいんじゃないの・・ちょっと気になるからお洗濯だけさせてね」って。
私、、出来た嫁だった・・みたいよ(笑)
家が大好きだったから、「家で、看送れて、良かったですよ」・・・と、主治医の慰めは動転してる心に響いた。
9月21日で88歳になる寸前の87歳と11か月だった。
彼女の兄弟姉妹の中では一番の長生きだった。
こんな話するつもりじゃなかったけど・・やっぱりちょっぴり思い出したことはね。
この時はすでに金四郎もいたから・・・助かったなぁ~~~
ネッ、金四郎ちゃん♪♪
もう少しコメントお休みしますね。
今日は眠れるといいなぁ・・・
おやすみなさい