虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

ゴールデン・ウィーク

2006年05月08日 | 日記・雑記
 連休中、皆様いかがお過ごしでしたか。
 楽しい休日でしたでしょうか。
 私の今年のゴールデンウィークは惨憺たるものでした。
 血が足りませんで、めまいで頭が上がりませんでした。
 おまけに小学校以来の持病、腎臓の調子が悪くて足が腫れて動くに動けない。そんなわけで食べるものもほとんど味なし。病院も休みだし、おとなしく寝てました。
 少し良くなると相変わらずビデオと本ですが、コンラッド「闇の奥」から引き続いて
「地獄の黙示録」
ベトナムつながりで
「プラトーン」
「フルメタルジャケット」
「カジュアリティーズ」
さすがに「ディア・ハンター」は止めておきました。
 タイトル並べてみるととても病人の見るものとも思えません。
 まとめて見て思ったのですが、「プラトーン」でさえアメリカ人だけの物語であり、ベトナムの人は見えない。ラストの決着でさえ、アメリカ人の中で完結している。敵が人間として見えるようになるのは「フルメタルジャケット」でした。これは時代の違い?監督の関心の違い?

 それにNHKBSのローリングストーンズ、ディープパープル、ジョン・レノンなどの特集も欠かさず見てしまいましたが、やはり白眉はジョン・レノン。オノヨーコという女性のあまりにも肝の据わった傑物なのに驚倒し、本日彼女の本買ってきちゃいました。

「ただの私(あたし)」 (講談社文庫)
 まだ全部読んでいませんが、彼女こそ日本の上流社会が生んだ宝石でしょう。オノヨーコについて今時のハイソなんて軽い言葉を使ってはいけないという気持ちになります。
 ついでに沢田教一の写真集も買ってきました。これまたベトナムつながりですが、今まで持っていなかったのが不思議です。

 本のほうは
「幽霊が多すぎる」(創元推理文庫)ポール・ギャリコ 
 普通の推理小説っぽくてちょっと驚き。

「不思議猫ブドレンカ」チャペック

「あなたならどうしますか」(創元推理文庫)シャーロット・アームストロング短編集 
 お薦めです。

「20世紀とはなんだったのか」なだいなだ、小林司

「アジアの聖地はどこか怪しい」清水正弘

「サイコな愛に気をつけて」香山リカ

「夜になると鮭は…」レイモンド・カーヴァー

「セント・アグネスの戦い」トム・イードス

ずっと家に居た割には読んだ本の数は少ないですね。
血がほしいです。

ゴッド・ディーバ (2004/フランス)

2006年05月05日 | 映画感想か行
IMMORTEL AD VITAM
監督: エンキ・ビラル
出演: リンダ・アルディ    ジル
    トーマス・クレッチマン    ニコポル
    シャーロット・ランプリング    エルマ・ターナー

 2095年、人間と、それ以外のものが入り混じり、人も半ばサイボーグのようにパーツ交換をするのがあたりまえのニューヨーク。神々の一人であるホルスは、そこで人工化されていない人間ニコポルに乗り移り、「青の女性」を捜し求める。

 なんかキョトンとしてしまった。
 ホルスが神々からなぜ処刑されることになったか、以外のことはストーリーとか設定とかは実にわかりやすい。というか「前に見たことがある」ものばかりで構成されているよう。
 あのぼろっちくて重量感のあるメカ類、なんか半端なコスチューム、すさんだ灰色の都市の有様、腐ったような統治体制、サイボーグ化される人々と邪悪な巨大企業、反抗勢力…
 わかりにくいのはそれぞれの意味づけ。
 なぜセックスに意味を持たせるのか?
 なぜエジプト神なのか?ほとんど神々しくないのがおかしいってばおかしい。
 ジルの存在と出産がその世界にとってどういう意味を持つのかが今ひとつ明確でない(私がわかり損ねただけかな?)なので、ニコポルは納得しても、私はホルスの言う事に納得できないぞ。
 それに最後!いくらなんでも鮫アタマはないだろう…もっとすごい造形ひねり出してよ~~~!
 映像では「キャシャーン」のほうがいいかなと思う。
 時々爆笑してしまった映画でありました。だって、おかしかったんですもの。神様の目の火炎で足作ったり、ゲームをする神様の周りで飛び交うものとか。ゲームをする神様というのもメタファーなのかもしれないけど、わかりやす過ぎかも。

いぬのえいが (2004/日本)

2006年05月04日 | 映画感想あ行
監督: 犬童一心 黒田昌郎 祢津哲久 黒田秀樹 佐藤信介 永井聡 真田敦

「犬と人」のエピソードをリレー形式に描いた短編集。

 あれこれつべこべ言えません。
 天海祐希と川平慈英のエピソードそんなに面白くないぞ、とか、まあ言い出せばもちろんそれなりにあるけど、犬を飼ってその目で見つめられた記憶のある人間にとっては凶器のような映画です。
 泣かせようという意図ミエミエで、それがわかっても(初回だけだとしても)むちゃくちゃ泣いてしまった。ああ、映画館で見なくてよかった。でも2回目を見ようかどうしようか迷う映画。初めての印象を大事にしまっておくべきか…

闇の奥/コンラッド

2006年05月01日 | 
中野好夫訳 岩波文庫

「地獄の黙示録」の原作として知られています。
 かなり前に読んで、文章の読みにくさに閉口して、そのときもただ字面を追うだけの読み方しかできなかったのですが、歳をとってもぜんぜん受ける感じに変化無く、読みにくいのに変わりなし。
 船乗りが仲間に語る話なのだが、一文が長く、ページいっぱい字が詰まったようにひしめいているよう。これは文章から来る印象だと思う。読みにくい、と思いつつも結局一気に読まされてしまう、妙なパワーがある。
 映画と違って、本のほうの舞台はアフリカ。やはり風土の違う土地で西欧人の人格が崩壊してしまうのだが、映画のほうがずっとおどろおどろ。それに設定の違いだけでない、風土の違いが本と映画の決定的な違いをつくっているように思う。

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続き(5月8日)
 ともあれ、「闇の奥」の映画化が「地獄の黙示録」とはとても言えない。あまりにも違いすぎる。それは風土のこともあるが、やはりベトナムとアメリカのかかわりと、ヨーロッパ人のアフリカ搾取の違い、それにアジアとアフリカの風土のちがいだろう。
 本のほうでは、クルツという人物は全く何をしたのか、どういう人間なのかわからない。アフリカのジャングルの奥でどうにかなってしまい、その場で支配者として振る舞い、周囲に畏怖され、象牙を集めて、そして病気で死んでいったことが描かれているが、実際に何をしていたのかは読者にははっきりした内容は与えられない。
 ただ語り手であるマーロウが彼の魂の苦闘を感じ、それに取り付かれて、婚約者に会いに行ってまで彼の記憶の始末をつけたがった、それほど強烈な体験だということがわかるのみである。
 マーロウはこれが始めてのアフリカ行であり、そのほかのアフリカのヨーロッパ人ほど感覚を鈍磨させていない。クルツをとりまく象牙への欲に取り付かれた白人の描写は浅ましいばかりであり、黒人たちの描写もそれに劣らず恐ろしい。

 ところで、10代でこの本を読んだ時の記憶で何が一番残っていたかというと、この部分でありました。
「…その頃はまだこの地球上に、空白がいくらでもあった。」
 俺様思想は他所の人のはわかりやすいです。