虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

闇の奥/コンラッド

2006年05月01日 | 
中野好夫訳 岩波文庫

「地獄の黙示録」の原作として知られています。
 かなり前に読んで、文章の読みにくさに閉口して、そのときもただ字面を追うだけの読み方しかできなかったのですが、歳をとってもぜんぜん受ける感じに変化無く、読みにくいのに変わりなし。
 船乗りが仲間に語る話なのだが、一文が長く、ページいっぱい字が詰まったようにひしめいているよう。これは文章から来る印象だと思う。読みにくい、と思いつつも結局一気に読まされてしまう、妙なパワーがある。
 映画と違って、本のほうの舞台はアフリカ。やはり風土の違う土地で西欧人の人格が崩壊してしまうのだが、映画のほうがずっとおどろおどろ。それに設定の違いだけでない、風土の違いが本と映画の決定的な違いをつくっているように思う。

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続き(5月8日)
 ともあれ、「闇の奥」の映画化が「地獄の黙示録」とはとても言えない。あまりにも違いすぎる。それは風土のこともあるが、やはりベトナムとアメリカのかかわりと、ヨーロッパ人のアフリカ搾取の違い、それにアジアとアフリカの風土のちがいだろう。
 本のほうでは、クルツという人物は全く何をしたのか、どういう人間なのかわからない。アフリカのジャングルの奥でどうにかなってしまい、その場で支配者として振る舞い、周囲に畏怖され、象牙を集めて、そして病気で死んでいったことが描かれているが、実際に何をしていたのかは読者にははっきりした内容は与えられない。
 ただ語り手であるマーロウが彼の魂の苦闘を感じ、それに取り付かれて、婚約者に会いに行ってまで彼の記憶の始末をつけたがった、それほど強烈な体験だということがわかるのみである。
 マーロウはこれが始めてのアフリカ行であり、そのほかのアフリカのヨーロッパ人ほど感覚を鈍磨させていない。クルツをとりまく象牙への欲に取り付かれた白人の描写は浅ましいばかりであり、黒人たちの描写もそれに劣らず恐ろしい。

 ところで、10代でこの本を読んだ時の記憶で何が一番残っていたかというと、この部分でありました。
「…その頃はまだこの地球上に、空白がいくらでもあった。」
 俺様思想は他所の人のはわかりやすいです。