本日は「ヴェニスの商人」。
最近アル・パチーノのシャイロックで映画になったのが初の映画化だそうで、私はまだ見ていないのですが、ちょっと気になって読んでみました。
友情に篤いアントーニオが、友のバッサーニオの結婚のためにユダヤ人の金貸しシャイロックから金を借りるが返せなくなる。借金のかたは胸の肉1ポンド。しかしバッサーニオの新妻ポーシャの機智により絶体絶命のピンチから逃れて、悪いユダヤ人は財産没収・改宗強制。場面変わってポーシャの知恵が讃えられバッサーニオ・ポーシャ、それぞれの従者の2組の夫婦が仲良く消えるところで大団円。
ハッピーエンドの喜劇でも後味が悪い、というのが普通の感覚ではないでしょうか。そりゃあ、人死にがなくなったのは良かったけど、じゃあそれまでものすごく侮辱し馬鹿にしてる相手から金借りるなよ、とは誰しも思うでしょう。
ユダヤ人というのは西欧社会で差別され、それがどういうものか、日本で暮らしているとぜんぜんピンと来ません。アメリカ映画「愚か者の船」でも、ユダヤ人の商人が手ひどい扱いを全く見ず知らずの人間から受け、それを抗議するでもなくやり過ごし、そしてラストで彼と世界の未来を暗示するが如きナチスの制服の威圧感に満ちた地へ船は入港します。
もともとの戯曲(もちろん翻訳で)読んでも、どう考えてもシャイロックがあれだけひどい目にあうほど悪いとは思えません。もちろんシェイクスピアの生きたユダヤ人差別バリバリ時代に書かれたものです。しかし、今のように差別が糾弾される以前からシャイロックに同情する人はいました。名前は忘れたけどドイツの詩人が劇を見た後、シャイロックのために泣いたという話が残っています。
私も子どもの時はともかく、大人になって読むと、ポーシャは素直に賞賛できないし、アントーニオ、バッサーニオの独善性、というかキリスト教の独善性に嫌気が差します。実際に劇を支えるのはシャイロックのそれまで抑えて来た怒りがとどめられなくなった一種の狂気と、彼が全てを失う…改宗までさせられアイデンティティのを失う悲劇性だと思います。
私がこの劇中で一番まともに好感持てるのは、キリスト教徒と結婚してしまうシャイロックの娘。
劇中にシャイロックのセリフで
「(娘に)夫を迎えるなら キリスト教徒なんかより、(キリストに代わって放免された盗賊)バラバの子孫のほうがまだましだ」
というのがありますが、キリスト教徒がこんなに心の狭いものなら、私もキリスト教徒との結婚はやめておいた方が良いと思えてきます。何かあったら出自についてとんでもな言いがかりでいじめられそう。
シェイクスピアの意図は今となってはわかりませんが、今の私には勧善懲悪のスッキリお芝居というより、「我のみ正しい」と信じるものたちの意識しない残忍さを突きつけるドラマに見えます。
エルンスト・ルビッチ監督の映画「生きるべきか死ぬべきか」ではこの劇のセリフを実に効果的に使って、ユダヤ人、ひいてはすべての人間を差別することの不正と醜さを描いています。あれは素晴らしかった…
というわけで、アル・パチーノに関しては、シャイクスピアの「リチャード3世」を巡る「リチャードを探して」もなかなかエキサイティングだったので、それなりに期待しちゃいます。
最近アル・パチーノのシャイロックで映画になったのが初の映画化だそうで、私はまだ見ていないのですが、ちょっと気になって読んでみました。
友情に篤いアントーニオが、友のバッサーニオの結婚のためにユダヤ人の金貸しシャイロックから金を借りるが返せなくなる。借金のかたは胸の肉1ポンド。しかしバッサーニオの新妻ポーシャの機智により絶体絶命のピンチから逃れて、悪いユダヤ人は財産没収・改宗強制。場面変わってポーシャの知恵が讃えられバッサーニオ・ポーシャ、それぞれの従者の2組の夫婦が仲良く消えるところで大団円。
ハッピーエンドの喜劇でも後味が悪い、というのが普通の感覚ではないでしょうか。そりゃあ、人死にがなくなったのは良かったけど、じゃあそれまでものすごく侮辱し馬鹿にしてる相手から金借りるなよ、とは誰しも思うでしょう。
ユダヤ人というのは西欧社会で差別され、それがどういうものか、日本で暮らしているとぜんぜんピンと来ません。アメリカ映画「愚か者の船」でも、ユダヤ人の商人が手ひどい扱いを全く見ず知らずの人間から受け、それを抗議するでもなくやり過ごし、そしてラストで彼と世界の未来を暗示するが如きナチスの制服の威圧感に満ちた地へ船は入港します。
もともとの戯曲(もちろん翻訳で)読んでも、どう考えてもシャイロックがあれだけひどい目にあうほど悪いとは思えません。もちろんシェイクスピアの生きたユダヤ人差別バリバリ時代に書かれたものです。しかし、今のように差別が糾弾される以前からシャイロックに同情する人はいました。名前は忘れたけどドイツの詩人が劇を見た後、シャイロックのために泣いたという話が残っています。
私も子どもの時はともかく、大人になって読むと、ポーシャは素直に賞賛できないし、アントーニオ、バッサーニオの独善性、というかキリスト教の独善性に嫌気が差します。実際に劇を支えるのはシャイロックのそれまで抑えて来た怒りがとどめられなくなった一種の狂気と、彼が全てを失う…改宗までさせられアイデンティティのを失う悲劇性だと思います。
私がこの劇中で一番まともに好感持てるのは、キリスト教徒と結婚してしまうシャイロックの娘。
劇中にシャイロックのセリフで
「(娘に)夫を迎えるなら キリスト教徒なんかより、(キリストに代わって放免された盗賊)バラバの子孫のほうがまだましだ」
というのがありますが、キリスト教徒がこんなに心の狭いものなら、私もキリスト教徒との結婚はやめておいた方が良いと思えてきます。何かあったら出自についてとんでもな言いがかりでいじめられそう。
シェイクスピアの意図は今となってはわかりませんが、今の私には勧善懲悪のスッキリお芝居というより、「我のみ正しい」と信じるものたちの意識しない残忍さを突きつけるドラマに見えます。
エルンスト・ルビッチ監督の映画「生きるべきか死ぬべきか」ではこの劇のセリフを実に効果的に使って、ユダヤ人、ひいてはすべての人間を差別することの不正と醜さを描いています。あれは素晴らしかった…
というわけで、アル・パチーノに関しては、シャイクスピアの「リチャード3世」を巡る「リチャードを探して」もなかなかエキサイティングだったので、それなりに期待しちゃいます。