◆くんの話から少しそれるのですが……。
発達のいい育てやすい子を育てるというのは、
なかなか難しい一面があります。
子どもに多少の負荷がかかっても大丈夫ですから、親御さんがちょっと問題のある接し方をしていようと、
子どもは問題行動を起こすわけではなく、
むしろ周囲からは褒められなどするわけですから、
まずい部分を修正するどころか、
子どもによくない働きかけを「もっと、もっと」とエスカレートさせてしまうこともあります。
競争が過熱している習い事の場では、そうした親子の姿をよく見かけます。
また、トントン拍子に、停滞することなく発達していくということは、
次々と新しい体験を上滑りに進んで行くことでもあって、
たとえ他の子より進度は良くても、
子どもにその活動自体への愛着や、
「こんな風になりたい」という意志や夢、
うまくいかない時のジレンマをどう乗り越えたらいいかといった耐性や知恵が
育ちにくいという欠点もあります。
それは豊かな時代に暮らしているわたしたちが、飢餓感を味わうのが
難しいのと似ています。
だから発達は遅い方がいいというのではなく、
ゆっくりさんにはゆっくりさんの課題があるように、
発育のいい子には発育のいい子への課題がある、
そう考えて子育てするのが大事なのではないでしょうか。
聞き分けが良かったり、適応力のあったりする子のなかには、
大人の期待を察するのが上手で、
常に、「自分がどうしたいのか」よりも、
「大人が自分に何を期待しているのか」
「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」
を優先させがちな子がいます。
また、大人に言葉でしつけられてしまうために、
教わったように振舞う習慣がついて、
自分の要求や感情が自分でもわからなくなっていたり、
自分の願望と親御さんの願望の境界線がぼやけて、
自我の育ちが危うくなっている子もいます。
それのどこに問題があるのか、
と ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。
また、問題があるならあるで、どんな対処をすればいいのか
見当がつかないという方もいらっしゃることでしょう。
ひとつヒントとなるような話を紹介しますね。
『ことばに探る 心の不思議』の本のなかで汐見稔幸先生が、
「ほめことばの多様は子どもの自信を奪う」
というタイトルで次のようなことを書いておられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほめことばは、それ(けなすこと)よりは肯定的自己イメージづくりに貢献する度合が
強いのですが、たとえば「アラ、ケンちゃんよくできたわね、スゴイ、スゴイ!」などというような
ほめことばが続きますと、
子どもは親はいつもこのレベルのことをできるように要求しているのだ、
それができないとぼくはよくない子なのだ、と思い込んでしまう可能性があります。
その結果、人の評価に過敏な、自分を自分で信頼できないタイプに育つ可能性が
あります。
つまり、ほめことばは、子どもの行為を認めるという(横並び)レベルでなら良いのですが、
必要以上に(縦関係に立って評価を下すという立場で)多用しますと、
子どもは大人の評価に過敏で依存的な性格になりやすいということです。
その意味で、保育者が間断なく子どもにほめことばを注いでいるのは、子どもの心の成長に
必ずしも寄与していないのだと自覚することがたいせつだと思うのです。
『ことばに探る 心の不思議』 今井和子 汐見稔幸 村田道子 編 ひとなる書房
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大人にすると、「じょうずね」とほめたところで、
子どもが、「お母さんは、こういうことができるように望んでいるんだな、こういうことができない自分は悪い子なんだな」
ということまで感じ取っているとは思っていないことでしょう。
でも、どこでも大人の満足がいくような行動をとれる子というのは、
そういう大人が言葉にしていない部分まで察して
行動に移すことができる子とも言えるのです。
「うちの子はそこまで良い子じゃないから大丈夫」という
表面的な目に見える部分で判断するのではなく、
そうした子どもという存在のあり様を素直に心にとどめておくことが
必要な気がしています。
もう1回続きます。
今回の記事は特に参考になり、深く考えさせられています。
「大人の期待を察するのが上手で、常に、「自分がどうしたいのか」よりも、「大人が自分に何を期待しているのか」「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」を優先させがちな子がいます。」
という箇所は、まさにそういう子いますね。
性格タイプのひとつ、とも言えるかと思います。
私自身、このような性格傾向を持っておりまして、現在40代になってもやはり、とっさに優先するのは「その場に相応しいこと」であり「相手がどう思うか」ということ。
大事な場面では「自分の気持ち」に気づくことは非常に難しいのです。
だからこそ効率的に物事を進められるし、多くの場合、様々な場所で適応し、成果を残してきましたが、子育てする場面においては、子どもの心情を配慮することが後回しになっているような気がします(気がする・・・としか書けないほど無自覚だと思うのです)。
最初の記事で、「「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に親御さんといっしょに向き合っていればよかったな」と深く反省する事態に」と書かれていましたが、是非そのあたりのことを、具体的に教えて下さると大変ありがたいです。
どのような事態になっていたのでしょうか。
もしよろしければ、お願い致します。
社交的で要領が良いタイプ、いい人そうに見られることが多いのですが、私自身はとても苦しい思いを抱えています。
先生が言われるように、自分の要求や感情が自分でもわからなくなり、自分の願望と親の願望の境界線がぼやけてしまうのです。
でも、自分の正直な気持ちを抑えるのですから、その時に全く自覚はなくても、怒りをどんどん抱えてしまうことになります。(それが苦しいのです!)
今まではこの怒りすら感じる(自覚する)ことができなかったのですが、カウンセリングを受けるようになってやっと「自分の正直な気持ち」と向き合えるようになってきました。
先生が今回の記事に書かれていること、とても興味があります。
次を楽しみにしています。