虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子  もう少しだけ

2017-05-29 21:00:06 | 通常レッスン

いつも大変興味深い記事をありがとうございます。

今回の記事は特に参考になり、深く考えさせられています。

「大人の期待を察するのが上手で、常に、「自分がどうしたいのか」よりも、「大人が自分に何を期待しているのか」「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」を優先させがちな子がいます。」

という箇所は、まさにそういう子いますね。
性格タイプのひとつ、とも言えるかと思います。

私自身、このような性格傾向を持っておりまして、現在40代になってもやはり、とっさに優先するのは「その場に相応しいこと」であり「相手がどう思うか」ということ。
大事な場面では「自分の気持ち」に気づくことは非常に難しいのです。

だからこそ効率的に物事を進められるし、多くの場合、様々な場所で適応し、成果を残してきましたが、子育てする場面においては、子どもの心情を配慮することが後回しになっているような気がします(気がする・・・としか書けないほど無自覚だと思うのです)。

最初の記事で、「「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に親御さんといっしょに向き合っていればよかったな」と深く反省する事態に」と書かれていましたが、是非そのあたりのことを、具体的に教えて下さると大変ありがたいです。
どのような事態になっていたのでしょうか。
もしよろしければ、お願い致します。

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「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に

親御さんといっしょに向き合っていればよかったな」と深く反省する事態というのを

具体的にというお話ですね。

 

わたしがいつも気にかかるのは、

2~4歳の時期に、自分の本性や要求、感情といったものより、

大人が期待することを優先させがちな子は、

小学校に入学する前後になると、

「あれあれこの子?ちょっと困ったな~」という感じる共通点を持っているということです。

 

ひとつは本能的な良心が欠けているように見えることです。

お母さんの前ではおりこうにしているし、集団での決まりもきちんと守れるのですが、

ここでは多少のことは大目に見てもらえるとなると、

歯止めが効かなくなって、相手方が困り切って懇願しても

好き放題してしまうようなところがあるのです。

ですから自分に対して高圧的に振舞う苦手な人とはうまくやっていけるのに、

自分を認めてくれるし好きだなと感じる相手には、いじわるなほど自己中心的に振舞ってしまうため

親しくなれないのです。

大人とだけでなく、お友だちとの間でも、そうした関係を作りがちです。

 

たとえば、幼い頃から、言葉だけで親の指示に従えていたような子は、

教室で飼っているやどかりを高いところから落として笑い転げたり、

わたしがお母さんに言いつけないと知ると、カーテンや机にマジックでらくがきをしてみせたり

します。

またビーズやスパンコールなどをわざとばらまいて、

「先生が片付けたらいいやん」と言ったり、

ぬいぐるみの顔を何度も足で踏みつけたりします。

 

お母さんがひとこと言えば、ボタンを押すだけで即座に切り替えられる心を持っているかのように、

 振舞えるような子によくある言動です。

 

 

でもそうして気になる行動としてアウトプットできている子は、時間とともに

そうした行為を卒業していくのですが、

自分の気もちを無視したままで、そこでも良い子としてだけ振舞い続ける子の問題はもう少し深刻で、

自分で自分をいじめるような性質を育てていく気がしています。

自分自身の可能性や選択肢を狭めがちで、どこかでいつも幸せな気持ちに浸れないようなところがあるようです。

もちろん、自分の感情を無視し続けることで、効果的に成果をあげていく方もいるはずですが。

 

 

 

虹色教室には、生まれつきのハンディーゆえに、多動や衝動性が激しくて

大人の指示に従うことに非常に困難を抱えている子らもたくさん来ています。

 

その子たちも年長さんの後半ごろには、聞き分けがよくなって落ち着き、

純粋な良心に基づいて、「これは~がかわいそうだから」「先生が困るからしない」

と、生き物や友だちや他人に対する気遣いや優しさを見せ始め、

学習にも真剣にまじめに取り組むようになってきます。

 

それだけに、一方で、時期を同じにして目立ち始める

おりこうさんたちのそうした気になる行動に

困惑することが多々あるのです。

また学習に対するしらけた態度や、「勉強なんておもしろくない、おもしろくない」と主張する

姿もよく見られます。

 

少し前の記事で次のように書きました。

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「わたしはどのように思うか」という個人的な感性でアドバイスさせていただくと、

ここはちょっとこうした方がいいんじゃないかな、という部分がいくつかありました。

それは、遊びやしつけのちょっとしたやりとりについてです。

また、◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方についてです。

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これについての説明から話が脱線してしまったので、話を戻しますね。

 

◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方とは、

 

まず◆くんがどのような頭脳活動をしている時に最も輝いているのか、

 

欠点はどのようなことで、

その欠点を美点に変えるにはどうすればよいのか、

 

潜在的な可能性を感じさせる分野は何か、

 

どのような学び方があっていそうか、といったことを

見極めながら、探っていくことです。

 

◆くんは問題解決能力が高い直観がよく働く子です。

「あっ、いいこと考えた」といってどんどんひらめく内容は、3歳代の子にしては

とても論理的で的を得たものです。

また、ひらめきを得た瞬間、◆くんの顔には満面の笑みが広がっていますから、

思いつくことが楽しくてたまらないのでしょう。

 

◆くんがどういう時にひらめいているのかというと、

次々と新しい遊びに移ろうとする◆くんに対して、わたしが

どこまでは良くて、どこまで以上はいけないか境界を示す時です。

 

そのように目の前に小さな障害物が置かれたような場面を、

◆くんは自分の知恵を絞って打破することが

何より面白い様子です。

 

そこで一番ワクワクしている姿から見て、

◆くんがひとつの遊びにじっくり関わらずに、出したおもちゃにちょっと触れるだけで

探索活動に戻ってしまう理由は、遊びの内容そのものより、

「ひらめくこと」を中心にした頭脳活動の方が楽しいからで、

常に頭がスカッとするような刺激を求めていることが理由のようです。

 

このように直観が優れている頭脳活動の好きな子には、

「枠組み」を与えることがとても大切だと思っています。

 

なぜなら、このタイプの子は、

いろいろと思いついて頭の刺激を求めるうちに、、結局、次の活動につながるような

何も蓄積されないままで、

何も上達しないし、完成しないし、

自分の自信につながらないという事態にたびたび陥るからです。

 

自由に創造的な考えを飛び交わせながらも、

それらがその子の自信や建設的な遊び方や論理的な考え方につながるような

枠を与えるのです。

 

 

 

「枠組み」については次回に書かせていただきますね。

 


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