プレジデント Baby
に載せていただきました。
76ページ~79ページです。
子どもたち、あまりに集中しているので、下を向き気味にうつっていますが……
普段はゲラゲラ笑い転げてばかりいる明るい子たちなんですよ~。
ブログに初めて訪問する方も増えると思うので、
数日間、ベビー向けの過去記事と、幼児向けの算数の過去記事をアップします。
新しい記事もアップしていく予定です。
web拍手を送る
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76ページ~79ページです。
子どもたち、あまりに集中しているので、下を向き気味にうつっていますが……
普段はゲラゲラ笑い転げてばかりいる明るい子たちなんですよ~。
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数日間、ベビー向けの過去記事と、幼児向けの算数の過去記事をアップします。
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昨日までに詳細メールを一通り遅らせていただいたのですが、
かいさん、トーマスさん、ただこさん、うみかぜさん、りゅうママさん、
まゆさん、ゆうゆうさん、はちごんさん、しょうじゅんさん、
ももたろうさん、ジョーママさん、にゃんこさんの
メールのアドレスの記載がなかったため、まだ送れていません。
住所や電話番号は書いていただいている方もいるのですが、
くわしい内容をメールで送りますので、
もう一度、メールを書いたコメントをお願いします。
送信したものの、きちんと届いていないメールが
あるかもしれないので、↑の方以外でまだメールが届いていないという
方もコメント欄に書き込んでくださいね。
お返事と、
名古屋のイベントの募集結果は
今週末までにします。
かいさん、トーマスさん、ただこさん、うみかぜさん、りゅうママさん、
まゆさん、ゆうゆうさん、はちごんさん、しょうじゅんさん、
ももたろうさん、ジョーママさん、にゃんこさんの
メールのアドレスの記載がなかったため、まだ送れていません。
住所や電話番号は書いていただいている方もいるのですが、
くわしい内容をメールで送りますので、
もう一度、メールを書いたコメントをお願いします。
送信したものの、きちんと届いていないメールが
あるかもしれないので、↑の方以外でまだメールが届いていないという
方もコメント欄に書き込んでくださいね。
お返事と、
名古屋のイベントの募集結果は
今週末までにします。
昨日は娘とショッピングに行ってきました。
帰りに、本屋に寄って、何冊か気に入った本を購入し、体調不良でちょっとへこんでいた気分が、一気に回復しました。
娘は、バイトと友だち付き合いが好き……の快活でエネルギッシュな現代っ子なのですが、自分の本を選ぶときは、法律や経済や哲学や自己啓発本を選んでいるので面白いです。自分磨き……の世代なんでしょうか?
(明日から2日間、夫婦で旅行に出かけるので、ブログをお休みします。うれしいことに旅行は娘からのプレゼントです。バイトがんばっているな~と思ったら、
自分にかかる費用をできるだけ自分で払っていこうと考えている様子。
私が娘の年のとき、まだまだ親に依存していて、それほど自立していなかったので、感心してしまいます)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日買ってきた本……
『できる子供は知っている 本当の算数力』
小田敏弘 日本実業出版社
帯に、
算数オリンピック灘中東大で身につけた「考える力」の育て方とありました。
<はじめに>を読むと、
「小学生の算数の問題ってもう解けないよね。昔は解けたんだけど忘れちゃった~」
という話を耳にして、「いや、それはおかしいでしょ」とつっこまずにはいられなかった著者。
もうひとつ、「問題解決能力」や「論理的思考」が流行している社会的な現状に対して、
「似たようなの算数でやらなかった?」と疑問に感じたそうです。
そんな違和感を感じていた著者が、塾講師の仕事で小学生の算数を見るようになって、気づいたことがあるそうなのです。
確かにこの算数のやり方だと、しばらく算数から離れてしまえば
問題が解けなくなってしまう。「論理的」な「問題解決」の基礎は身につかない。
そして同時に
「こんな面白くない算数をみんなやっていたんだ」と驚いたそうです。
著者はというと、算数を得意になっていく過程で、さまざまなことを学び、学ぶ過程で身につけてきた発想や価値観、鍛えた能力や磨いた感覚は今も
残っているそうです。
人生のさまざまな場面で、生きていく核ともなっているのだとか。
そうして、「解く」ことをテーマにして、この著書を書いておられます。
(今多くの子が学んでいる算数は「処理する」算数と呼んでおられます)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本の内容……とても共感できて、一気に読んでしまいました。
教え方や解き方などは、虹色教室で教えるとき大事にしてきたことと
とても近いものがありました。
やっていることに自信がついたのと同時に、
私に足りなかった部分もわかりました。
自分の伝えたい内容を、わかりやすい洗練された言葉で表現することができていなかったのです。それで、大人の方々に、本質的な言いたいことが
伝わっていなかったんだな~と思いました。
「できる子は概念のイメージをもっている」という話題で、
「数える」ことと「比べる」ことについて、次のような説明がありました。
人が数を扱う場面を考えると、「数える」と「比べる」の2種類の行為に分類されるそうです。
人や物の数を扱うときは、「数える」
水の量や面積を扱うときは「比べる」です。
数には「分離量」「連続量」の区分があり、
簡単に言うと、小数を使えないものが、「分離量」
小数を使うこともあるのが、「連続量」です。
分数,小数、単位、比、割合は「連続量」を扱うことからスタートしているので、これが捉えられないと、算数の多くが理解できないのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「連続量」の概念は、小学校中学年以降から、
学校で学びはじめるとはいえ、
幼児期に身体で身につけるものでもあるのです。
それが、幼児の世界に
小学校の先取り学習が入ってきたため(幼いうちに、「分離量」ばかり教え込むため)と、
遊びが減ったため、
頭が固くなって「比べる」ができなくなっている子……
つまり連続量を扱えなくなっている子がとっても増えているのです。
体感が少ない子に、
計算ドリルの訓練のようなものを繰り返すと、たちまち、「連続量」が
驚くほど理解できない頭になっちゃうから、
困ってしまうのです。
水のように、どんな分け方もできる、紙のようにどんな切り分け方もできる
というものから算数を身に付けていかないと、
1,2,3と数えられるものしか理解できなくなっていくので、
低学年の計算学習を終えた時点で、小数や分数や割合に入っていくとき、
概念がわからないまま丸暗記しかできない状態になっている子が
たくさんいるのです。
この話題の続きは、旅行から帰ってから書きますね。
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帰りに、本屋に寄って、何冊か気に入った本を購入し、体調不良でちょっとへこんでいた気分が、一気に回復しました。
娘は、バイトと友だち付き合いが好き……の快活でエネルギッシュな現代っ子なのですが、自分の本を選ぶときは、法律や経済や哲学や自己啓発本を選んでいるので面白いです。自分磨き……の世代なんでしょうか?
(明日から2日間、夫婦で旅行に出かけるので、ブログをお休みします。うれしいことに旅行は娘からのプレゼントです。バイトがんばっているな~と思ったら、
自分にかかる費用をできるだけ自分で払っていこうと考えている様子。
私が娘の年のとき、まだまだ親に依存していて、それほど自立していなかったので、感心してしまいます)
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昨日買ってきた本……
『できる子供は知っている 本当の算数力』
小田敏弘 日本実業出版社
帯に、
算数オリンピック灘中東大で身につけた「考える力」の育て方とありました。
<はじめに>を読むと、
「小学生の算数の問題ってもう解けないよね。昔は解けたんだけど忘れちゃった~」
という話を耳にして、「いや、それはおかしいでしょ」とつっこまずにはいられなかった著者。
もうひとつ、「問題解決能力」や「論理的思考」が流行している社会的な現状に対して、
「似たようなの算数でやらなかった?」と疑問に感じたそうです。
そんな違和感を感じていた著者が、塾講師の仕事で小学生の算数を見るようになって、気づいたことがあるそうなのです。
確かにこの算数のやり方だと、しばらく算数から離れてしまえば
問題が解けなくなってしまう。「論理的」な「問題解決」の基礎は身につかない。
そして同時に
「こんな面白くない算数をみんなやっていたんだ」と驚いたそうです。
著者はというと、算数を得意になっていく過程で、さまざまなことを学び、学ぶ過程で身につけてきた発想や価値観、鍛えた能力や磨いた感覚は今も
残っているそうです。
人生のさまざまな場面で、生きていく核ともなっているのだとか。
そうして、「解く」ことをテーマにして、この著書を書いておられます。
(今多くの子が学んでいる算数は「処理する」算数と呼んでおられます)
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本の内容……とても共感できて、一気に読んでしまいました。
教え方や解き方などは、虹色教室で教えるとき大事にしてきたことと
とても近いものがありました。
やっていることに自信がついたのと同時に、
私に足りなかった部分もわかりました。
自分の伝えたい内容を、わかりやすい洗練された言葉で表現することができていなかったのです。それで、大人の方々に、本質的な言いたいことが
伝わっていなかったんだな~と思いました。
「できる子は概念のイメージをもっている」という話題で、
「数える」ことと「比べる」ことについて、次のような説明がありました。
人が数を扱う場面を考えると、「数える」と「比べる」の2種類の行為に分類されるそうです。
人や物の数を扱うときは、「数える」
水の量や面積を扱うときは「比べる」です。
数には「分離量」「連続量」の区分があり、
簡単に言うと、小数を使えないものが、「分離量」
小数を使うこともあるのが、「連続量」です。
分数,小数、単位、比、割合は「連続量」を扱うことからスタートしているので、これが捉えられないと、算数の多くが理解できないのです。
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この「連続量」の概念は、小学校中学年以降から、
学校で学びはじめるとはいえ、
幼児期に身体で身につけるものでもあるのです。
それが、幼児の世界に
小学校の先取り学習が入ってきたため(幼いうちに、「分離量」ばかり教え込むため)と、
遊びが減ったため、
頭が固くなって「比べる」ができなくなっている子……
つまり連続量を扱えなくなっている子がとっても増えているのです。
体感が少ない子に、
計算ドリルの訓練のようなものを繰り返すと、たちまち、「連続量」が
驚くほど理解できない頭になっちゃうから、
困ってしまうのです。
水のように、どんな分け方もできる、紙のようにどんな切り分け方もできる
というものから算数を身に付けていかないと、
1,2,3と数えられるものしか理解できなくなっていくので、
低学年の計算学習を終えた時点で、小数や分数や割合に入っていくとき、
概念がわからないまま丸暗記しかできない状態になっている子が
たくさんいるのです。
この話題の続きは、旅行から帰ってから書きますね。
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100円ショップで見つけた小物入れ。
しっかりした素材なのに、
いくつかセットで100円という値段です。
穴が可愛いかったので、
木製ビーズを分類する教具として使っています。
2歳になったばかりの☆ちゃん。
熱心に穴にビーズを入れています。
最初の数個は、色通り入れるのだけど、途中から
好きな場所に好きな色を入れています。
何度も遊ぶうちに、いずれ色ごとに入れることを楽しむようになるでしょう。
今、熱中して楽しめて、同時に次の課題も含まれていて
ちょうど良い教具でした。
色のビーズは、セロテープで仮どめです。
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しっかりした素材なのに、
いくつかセットで100円という値段です。
穴が可愛いかったので、
木製ビーズを分類する教具として使っています。
2歳になったばかりの☆ちゃん。
熱心に穴にビーズを入れています。
最初の数個は、色通り入れるのだけど、途中から
好きな場所に好きな色を入れています。
何度も遊ぶうちに、いずれ色ごとに入れることを楽しむようになるでしょう。
今、熱中して楽しめて、同時に次の課題も含まれていて
ちょうど良い教具でした。
色のビーズは、セロテープで仮どめです。
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小学校の図書ボランティアに出かけて以来、重たい話題が続いているので、
学習法や明るい話題に切り替えようかと、迷っていました。
でも、やっぱり、もやもやした思いを放置せず、自分の感じていることにきちんと向き合ってみることにしました。
『心のインテリジェンス』 イザベル・フィリオザ著 PHP
にこんな話が載っていました。
(簡単に要約して紹介しますね)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカのある新聞に小さな広告が出ました。
有名大学で、学習と記憶に関する研究を行うのでボランティアを募るとのこと。
ボランティアに対し、「学習における罰の効果を調べる実験」についての
説明がなされます。
生徒は手首に電極をつけられ、バンドで椅子に縛りつけられています。
モニターが一組の単語を読むと、生徒はそれを記憶し、同じように繰り返さなくてはなりません。
モニターは生徒が間違えるごとに、
流す電流を強くするように、という指示を与えられます。
実は、この生徒は<さくら>であり、電極によるショックは受けないようにしてあります。
でも苦しむ演技をするようになっています。苦しみがひどくなると、モニターとのあいだにある仕切りの壁をたたき、叫び声をあげ、実験を嘆願するように
指示されています。
電流の長さが描かれたレバーが30本並んでいます。
「微弱」から始まり、
「中程度」「強力」「きわめて強力」「激しい」
「きわめて激しい」「要注意」「危険」まで。
実は、この実験の狙いは、モニターが、
いつ、実験を続けるように命令する<権威>に逆らって実験をやめるか、ということを調べるためのものでした。
驚いたことに、ほとんどのモニターが「危険」な領域まで続けました。
アメリカでの実験では、65%の人が、ヨーロッパの実験では、
85%の人が、最後のレバーを押したそうです。
白衣を着た実験者の言うことを聞き、科学の名のもとに、無実の<生徒>を
危険な目にあわせた人々は、
このチャンスを利用して攻撃衝動を解放したのか……というと、
そうではありません。
同じモニターたちに、命令する<権威>なしに、
自分の意志だけで自由に電圧を上げられる実験をさせたところ、ごく弱い段階でそれ以上進むことを放棄したそうなのです。
そこで実験者は次のような結論に達しました。
「ほとんどの人が、正統的な権威によって命令されると、
その行為がいかにひどいものであれ、両親の呵責を感じずにそれを行ってしまう」
このように、自分の人間性を捨ててまで暴虐に加担してしまう、という
人間の能力はきわめて危険なものだと言えるでしょう。
第二次世界大戦のときのナチスへの人々の協力もここに原因があるといえるでしょう。 (『心のインテリジェンス』 より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イザベル・フィリオザは、この話題の後で、こう語っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幼稚園を研究した学者たちによると、
園児たちは静かで、快適で、安全で、満ち足りた環境においては、
お互いに協力しあい、助け合うのだそうです。
ところがせかせかした大人たちが介入し、おもちゃを貸しあうように命令すると、場の空気は一変するのだとか。
あまりにも干渉的な大人たちの介入によって、脅かされていると
感じているども子たちは、
自発的にやっていた良いことを、
拘束のもとではやりたくなくなってしまいます。
大人たちは、人間にとって、(どんなに幼くても)
自由こそがあらゆるものの中でもっとも大切である、ということを
忘れてしまったのでしょう。
子どもは両親の振る舞いを真似るものです。
両親が子どもを尊重し、優しくすれば、子どもはごく自然に、
それを学び、自分自身も人も尊重し、人に優しくするようになるのです。
しかし尊重が義務的なものになると、子どもは脅しによって、(恐れによって)
それを学ことになります。
恐れによる教育は義務になるのです。「~を尊重しなければなりません」といった育て方では、本当の公徳心は育たず、盲従する心が育つだけです。
(『心のインテリジェンス』 より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続きは次回に書きますね。
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学習法や明るい話題に切り替えようかと、迷っていました。
でも、やっぱり、もやもやした思いを放置せず、自分の感じていることにきちんと向き合ってみることにしました。
『心のインテリジェンス』 イザベル・フィリオザ著 PHP
にこんな話が載っていました。
(簡単に要約して紹介しますね)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカのある新聞に小さな広告が出ました。
有名大学で、学習と記憶に関する研究を行うのでボランティアを募るとのこと。
ボランティアに対し、「学習における罰の効果を調べる実験」についての
説明がなされます。
生徒は手首に電極をつけられ、バンドで椅子に縛りつけられています。
モニターが一組の単語を読むと、生徒はそれを記憶し、同じように繰り返さなくてはなりません。
モニターは生徒が間違えるごとに、
流す電流を強くするように、という指示を与えられます。
実は、この生徒は<さくら>であり、電極によるショックは受けないようにしてあります。
でも苦しむ演技をするようになっています。苦しみがひどくなると、モニターとのあいだにある仕切りの壁をたたき、叫び声をあげ、実験を嘆願するように
指示されています。
電流の長さが描かれたレバーが30本並んでいます。
「微弱」から始まり、
「中程度」「強力」「きわめて強力」「激しい」
「きわめて激しい」「要注意」「危険」まで。
実は、この実験の狙いは、モニターが、
いつ、実験を続けるように命令する<権威>に逆らって実験をやめるか、ということを調べるためのものでした。
驚いたことに、ほとんどのモニターが「危険」な領域まで続けました。
アメリカでの実験では、65%の人が、ヨーロッパの実験では、
85%の人が、最後のレバーを押したそうです。
白衣を着た実験者の言うことを聞き、科学の名のもとに、無実の<生徒>を
危険な目にあわせた人々は、
このチャンスを利用して攻撃衝動を解放したのか……というと、
そうではありません。
同じモニターたちに、命令する<権威>なしに、
自分の意志だけで自由に電圧を上げられる実験をさせたところ、ごく弱い段階でそれ以上進むことを放棄したそうなのです。
そこで実験者は次のような結論に達しました。
「ほとんどの人が、正統的な権威によって命令されると、
その行為がいかにひどいものであれ、両親の呵責を感じずにそれを行ってしまう」
このように、自分の人間性を捨ててまで暴虐に加担してしまう、という
人間の能力はきわめて危険なものだと言えるでしょう。
第二次世界大戦のときのナチスへの人々の協力もここに原因があるといえるでしょう。 (『心のインテリジェンス』 より)
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イザベル・フィリオザは、この話題の後で、こう語っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幼稚園を研究した学者たちによると、
園児たちは静かで、快適で、安全で、満ち足りた環境においては、
お互いに協力しあい、助け合うのだそうです。
ところがせかせかした大人たちが介入し、おもちゃを貸しあうように命令すると、場の空気は一変するのだとか。
あまりにも干渉的な大人たちの介入によって、脅かされていると
感じているども子たちは、
自発的にやっていた良いことを、
拘束のもとではやりたくなくなってしまいます。
大人たちは、人間にとって、(どんなに幼くても)
自由こそがあらゆるものの中でもっとも大切である、ということを
忘れてしまったのでしょう。
子どもは両親の振る舞いを真似るものです。
両親が子どもを尊重し、優しくすれば、子どもはごく自然に、
それを学び、自分自身も人も尊重し、人に優しくするようになるのです。
しかし尊重が義務的なものになると、子どもは脅しによって、(恐れによって)
それを学ことになります。
恐れによる教育は義務になるのです。「~を尊重しなければなりません」といった育て方では、本当の公徳心は育たず、盲従する心が育つだけです。
(『心のインテリジェンス』 より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続きは次回に書きますね。
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ぼくてんのははさん、ノンタンさん、連絡先がわからなくなってしまいました。お手数ですがコメント欄に記入していただくと助かります。
今日は午後から事務の女の子に来てもらって、
東京でのイベント用の名簿作りやメールの準備などを手伝ってもらい、
私はというと、気にかけていたもろもろの仕事を何とか終わらせました。
今の季節、運動会の練習や秋の行事などで、幼児も小学生もお疲れ気味。
算数クラブやグループでレッスンに通う子たちに、
落ち着かなかい態度が目立ちます。
それで、つい、注意することが増えるのだけど、
後から思うと、温度変化に加えて、運動会やら勉強やら、そりゃぁ
疲れも出るはずだし、
甘やかしすぎるのもいけないけど、
もう少し、励ましや長所に注目する対応を取った方がよかったな~と反省しました。
1ヶ月近く会わない子が多いので、叱ってしまえば、その間、修正しようがないのですから、
たとえ、きちんと叱る必要があったにしても、
やはり別れ際は、どの子も、良いところを認めたり、励ましたりして
送り出せばよかったと気になりながらすごしました。
うちの子にしても、ダラダラ怠けているように見える時期も、
叱ったり、親が不安になったりするよりも、
結局、「そりゃぁ、疲れるよね。ゆっくりしたいときもあるよね」と
あるがままを認めて、励まして様子を見るくらいの甘い態度が
結局、一番、良い方向につながっていくのは、何度も体験済みなのです。
少しすると、自分で、リセットして、エネルギーチャージを済ませて、
「さぁ、がんばるぞ~!」とはりきり出すのですから。
教室の子たちにしても、私が毎回良い成果を上げようと力むよりも、
自分の子に対するような「ゆるさ」と、
子どもたちを信頼している気持ちや愛情が伝わればよしって気持ちも
大事なのかもしれません。
ようやく夏の疲れが取れて、
はりきりモードのわが子たちとおしゃべりしながら、
そんなことを考えていました。
(自分の子にはテキト~だけど、生徒には強い責任感を感じてしまいがちなのです。でも、その責任感で、子どもたちの自分で回復する力や、弱さを克服していく力を萎えさせてはいけないな~と反省しました。)
今日、レッスンにいらした方から、こんな話をうかがいました。
「クラスのだれかのお誕生日の日は、宿題はなし」という微笑ましい宿題の出し方をする学校の先生がいらっしゃるそうです。
すると、それを聞いて、心配して、すぐさま子どもを
学習塾に入れた親御さんが何人かいたそうなのです。
また、別の方は、運動会の玉入れの練習を見ていたら、
勝ってもはしゃがない子どもたちの姿に驚いたそうです。
「静かに」「ちゃんと玉を数える」「すぐに元の場所で三角座り」
といった指示をきちんと守っているのはいいのですが、
子どもなら当然、心が揺さぶられるだろうという場面も、
義務の延長でしかなくなっているとしたら、
やはり大人の態度に反省が必要かな~?と思えるのです。
親も先生も、責任感と不安で、いっぱいいっぱいになってしまうけれど、
子どもの世界は9割くらいは、
「笑顔と安心と喜び、自分への自信と信頼で
成り立っているのが普通」
って捉えてていいのではないでしょうか?
あとの1割だけ、
「叱られたり注意されたりしたことを、反省して修正して、
義務をきちんと果たしながらゆっくり成長していく」
ので
十分じゃないかなぁと。
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今日は午後から事務の女の子に来てもらって、
東京でのイベント用の名簿作りやメールの準備などを手伝ってもらい、
私はというと、気にかけていたもろもろの仕事を何とか終わらせました。
今の季節、運動会の練習や秋の行事などで、幼児も小学生もお疲れ気味。
算数クラブやグループでレッスンに通う子たちに、
落ち着かなかい態度が目立ちます。
それで、つい、注意することが増えるのだけど、
後から思うと、温度変化に加えて、運動会やら勉強やら、そりゃぁ
疲れも出るはずだし、
甘やかしすぎるのもいけないけど、
もう少し、励ましや長所に注目する対応を取った方がよかったな~と反省しました。
1ヶ月近く会わない子が多いので、叱ってしまえば、その間、修正しようがないのですから、
たとえ、きちんと叱る必要があったにしても、
やはり別れ際は、どの子も、良いところを認めたり、励ましたりして
送り出せばよかったと気になりながらすごしました。
うちの子にしても、ダラダラ怠けているように見える時期も、
叱ったり、親が不安になったりするよりも、
結局、「そりゃぁ、疲れるよね。ゆっくりしたいときもあるよね」と
あるがままを認めて、励まして様子を見るくらいの甘い態度が
結局、一番、良い方向につながっていくのは、何度も体験済みなのです。
少しすると、自分で、リセットして、エネルギーチャージを済ませて、
「さぁ、がんばるぞ~!」とはりきり出すのですから。
教室の子たちにしても、私が毎回良い成果を上げようと力むよりも、
自分の子に対するような「ゆるさ」と、
子どもたちを信頼している気持ちや愛情が伝わればよしって気持ちも
大事なのかもしれません。
ようやく夏の疲れが取れて、
はりきりモードのわが子たちとおしゃべりしながら、
そんなことを考えていました。
(自分の子にはテキト~だけど、生徒には強い責任感を感じてしまいがちなのです。でも、その責任感で、子どもたちの自分で回復する力や、弱さを克服していく力を萎えさせてはいけないな~と反省しました。)
今日、レッスンにいらした方から、こんな話をうかがいました。
「クラスのだれかのお誕生日の日は、宿題はなし」という微笑ましい宿題の出し方をする学校の先生がいらっしゃるそうです。
すると、それを聞いて、心配して、すぐさま子どもを
学習塾に入れた親御さんが何人かいたそうなのです。
また、別の方は、運動会の玉入れの練習を見ていたら、
勝ってもはしゃがない子どもたちの姿に驚いたそうです。
「静かに」「ちゃんと玉を数える」「すぐに元の場所で三角座り」
といった指示をきちんと守っているのはいいのですが、
子どもなら当然、心が揺さぶられるだろうという場面も、
義務の延長でしかなくなっているとしたら、
やはり大人の態度に反省が必要かな~?と思えるのです。
親も先生も、責任感と不安で、いっぱいいっぱいになってしまうけれど、
子どもの世界は9割くらいは、
「笑顔と安心と喜び、自分への自信と信頼で
成り立っているのが普通」
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あとの1割だけ、
「叱られたり注意されたりしたことを、反省して修正して、
義務をきちんと果たしながらゆっくり成長していく」
ので
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