虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について 2

2022-03-09 21:20:33 | 機能不全家族・アダルトチルドレン

 

母の子育てに特別な問題がなかったとすれば、問題の根は妹にあったのかというと、そうとは思えませんでした。

 

妹の感情の起伏の激しさや情熱的で真っすぐなところや単純さ、愛情に飢えているところ、お調子者で自信家で称賛を欲しているところ、物に釣られやすく、扇動されやすいところが、常に、父と母にいいように使われていることをわたしはずっと知っていました。

 

妹の心は、父と母の意識に上らせることができない憎しみあいやら、愛情の駆け引きやら、わたしの奪い合いやら、心の空虚さを埋めることやら、自分たちの影を投影することやらに利用され続けていました。

 

それに最初に気づいたのは、ひとつ違いの従妹が泊まりにきた時です。

わたしは従妹の心が、ちょっとしたやり取りの間に、父の思うがままに動かされるようになっていくのを見てハッとしました。

わたしの父というのは、自分自身、非常にコンプレックスが強い分、人の負の一面に勘が働きやすく、少し話をするだけで、相手の弱みやコンプレックスや罪悪感のありかを嗅ぎ付けて、それを掌握してしまうことができました。

従兄弟たちが集う時、父はしょっちゅう、ちょっとした小銭を与えたり、物を買い与えたりしながら、もっともっと欲しい、他の子よりたくさん欲しい、という思いで自分を見失うような子がいると、その子にだけより多く与えるふりをしたかと思うと、じらしたり、無視したり、自分だけ損をするんじゃないかという不安を与えて、結局、父のまなざしひとつ、言葉ひとつで言いなりになる子に仕立て上げていました。

 

賭博好きの父は、荒っぽい性質の人々と付き合いがありましたが、相手がどんなに恐ろしい外見をしていても、気の弱さが潜んでいるのに気づくと、睨みをきかせたり、脅したりして、自分の支配下に置いていました。

 

ひとつ下の従妹は、食べることが大好きで、遊びの途中で駄菓子屋に寄っていました。

年が離れた温和な兄がいるだけの従妹は、ほとんどひとりっ子のように育てられていて、そうして買ったお菓子を分け合うという考えがなくて、よく妹と揉めていました。

 

父は、よく従妹とわたしと妹を連れて散歩に出ると、わざわざ従妹が買ってもらいたくてうずうずしているドーナツ屋の方に向かうことがありました。

従妹の期待が高まって、「どこに行くの?」と繰り返えしたずねるのに、「まぁ、いいところだ」と言葉を濁しておいて、どんどんドーナツ屋に歩を進めたかと思うと、素知らぬふりをしてドーナツ屋の前を通りすぎて、ただぶらりと散歩をしているだけだという格好を決め込みました。

従妹が不安になって、父に懇願しはじめると、「そんなものが欲しかったんなら言えば買ってやったのに」と言いながらも、戻る気はないふりをし、従妹が父の一挙一動に心を躍らせたり、期待したり、不安になったり、絶望したりする様子を楽しんでいました。

最終的に父はドーナツを買って帰るのですが、その頃には、従妹は父に対して弱い立場になっていました。

おそらく父は、買ったお菓子を分けあうことができない姿から、従妹の弱みを察したのでしょう。

 

わたしは従妹の父のやり取りを見ながら、妹もまた、常に父から、また母からもそうやって心を揺さぶられたり、操られたり、ある感情や行動に駆り立てられたりしていることが思い当たりました。

妹の気持ちも態度も決して妹の中からだけ出てくるものではなく、外からの力が掻き乱し翻弄し続けていたことを悟りました。

 

わたしが育てにくさを持つ子のお母さんたちの相談に乗ったり、そうした記事を書くのに熱心なのは、癌で亡くなった母が、壮絶な痛みと戦っている最中も、子育ての失敗を悔いる気持ちに苛まれていたことが、今も心から消えないからなのかもしれません。

 

母は情にもろくて、人の話によく耳を傾ける共感する力に富んだ人でしたから、もし、子どものわたしではなく、大人になった現在のわたしが、妹との関係に悩む若い日の母を支えてあげられたら……母の陥っている子育ての迷宮から抜け出す指針を与えてあげられていたら……自分の生きてきた道を否定したまま、罪悪感を抱えたまま、逝ってしまうことはなかっただろうに……

たとえ非行に走っている時だって、矯正することばかり考えなくても、バカ親ってののしられるような愛し方をしたっていいし、世間から責められても、親なんだから愛するくらい許されているはず、と子どもの口からでなく、大人の言葉で安心させてあげたかった……

妹との和解を願って、結局、病気の母を追い詰めることしかできなかった自分に寂しさを覚えるのです。

 

表面上、妹は父の、わたしは母のお気に入りで、父は妹を、母はわたしを溺愛していました。

母はよく、妹は性格も顔もすることなすこと父とそっくりだと言い、わたしは母に似ていると言っていました。

 

どちらにしろ、目で見て確認できる範囲では、その言葉通りでした。

けれども、それはほんの一面的な捉え方に過ぎなかったのかもしれません。

 

父は妹に対して、どう成敗しても妹に非がある場面で、やたら妹の肩を持ってみたり、妹が母に叱られたからという理由で、何もしていないわたしにげんこつを落としたりするような支離滅裂で非常識な溺愛の仕方をしていました。

 

そうした猫っかわいがりは、妹かわいさからしているというより、わたしの心を乱して、自分を注目させよう、関心を引こうとしているのがありありとわかる時がありました。

 

父は常にわたしが何を欲しがっているのか知りたがっていました。

わたしはなかなかそれを明かしませんでした。

自分の欲しいものにしても、願望にしても、胸の内にしまって、父に気づかれないようにしていました。

でも、わたしが何かに興味を持つと、母が勝手に察して、父に伝えることがありました。

すると、父は給料2ヶ月分ほどの呆れるような金額で、それを買ってくることがたびたびありました。

安価なラジカセを欲しているような時に、最高級のステレオセットをそろえてやろうとするのです。

そうしてわたしに貸しを作っておこうという気持ちもあったのでしょうが、お金に細かい面も持っていた父は、妹や母には、一度もそんな高価なものを買うのを見たことがありませんでした。

 

次回に続きます。



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