虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について もう少し

2022-03-14 19:29:00 | 機能不全家族・アダルトチルドレン

 

これで終わりにしようと思っていたのですが、機能不全家族の問題にこれから向き合いながら子育てをしていこうとしている方からコメントをいただいたり、遠方に住んでいる親しい人からメールで苦しい胸の内を打ち明けられたり、レッスンの中で世代間連鎖を断ち切る難しさを相談されたりするうちに、あれでは少し不親切な答え方だったと思い直しました。

たいした力にはなれませんが、もう少しだけ、自分が当事者としてこの問題と関わり続けて、気づいたこと、理解したことについて書いてみようと思います。

 

先の記事を書いている最中に、次のようなコメントをいただき、

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いつも拝読させていただいております。
私は父がDV、母が家族に共依存しているという典型的な機能不全家族に育ち、3歳、1歳の育児をしています。
今、実家は家族の機能不全関係が表面化した問題に直面しており、私は、両親を手助けすれば重い依存がのし掛かってくることが予想され、常に実家が心配で育児は上の空、という状況です。
私が親として、母の優柔不断で家族の機嫌を取ってばかりの面、父のストレスが溜まると怒りという形で爆発する面を受け継いでしまっていないか、自信なく子育てしてます。

3歳の息子のわがままかんしゃくが、私の育ちを投影しているのではないかという心配があること、過去の記事から先生が機能不全家族に悩んでいらっしゃったお話を聞き、勝手に親近感を持っていたことから、今回の記事を興味深く読ませていただいています。

先生が、機能不全家族に悩まされながら、どのように精神衛生を保ち、子育てをされていたのか、どのようにして、世代間連鎖を断ち切ったのか、機会があればお聞かせ頂きたいと思っております。

先生とお会いできる機会があればとレッスンの応募を何度かしておりますが、ご縁がなく残念に思っています。
けれど、先生の記事に出会えただけでも育児の指針、心の支えとなり、とても有難い出会いと思ってます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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その後、記事を書き終えた時、とてもありがたい感想をいただきました。

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先日コメントで質問をさせていただいた者です。
先生の記事、噛み締めながら拝読いたしました。
機能不全家族に悩まされたり、子育てをしながら自分の育った道を思い返して苦しむ中、有難く、心救われる気持ちがしています。
先生の優しさと強さの源を見せて頂いた気がしました。
自分の置かれた状況を被害的に捉えてばかりで子育てに自信を失っておりましたが、心を澄ませて自分らしく道を拓いていけたらという気持ちになりました。
心に染み入る素敵な物語のお話でした。私もいつか自分と家族の影を抱きしめて、最後に丸い円を描けるようになりたいです。
ありがとうございました。これからも記事を楽しみにしております。

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心を澄んだ状態に整えて、自分の生き方を考えておられる姿に、息を引き取るまで共依存の状態から抜け出すことができなかった母の人生が、誰かの未来の中で活かされるようでうれしく感じました。

しかし、同時にコメント主さんの前向きで純粋な思いが、わたしが書いた文章によってより傷つくことにならないか少し怖くもあって、数日間、この記事に続きを書くべきかどうか悩んでいました。

怖いという言葉をここで使うのは、残酷で奇妙に聞こえますが、わたしの正直な思いでもあります。

今から夜の登山をしようという人や、砂漠に入って行こうとする人に、そこを抜け出せた体験を語り、方法を伝えても、その方法とは、山を消す魔法でもなければ、砂漠から出る地図でもありません。

より過酷な状況になっても、自分を取り戻すために、一歩一歩歩みを進めるためのエールを送ることしかできません。

それでも、それをやり抜くための知恵なら、言葉にすることができるかもしれないと思い、続きを書くことにしました。

 

機能不全家族という言葉を耳にすると、それは家族間の関係の問題であって、前向きながんばりや純粋な意志や深い愛情によって、乗り越えていけるようにも思われます。

でも、その背景には、依存症の問題が隠れていて、少し頼りない性格程度に思われる共依存のようなものであっても、社会から敵視される薬物依存同様に、人の心や意志やがんばりだけではどうしようもないものがあることを、わたしはこれまでの数十年間の中で、心の深い部分で実感しました。

 

わたしは、先に紹介したコメント主さん同様、父のDVやギャンブル依存、母の共依存などの多くの問題を抱えた家庭に育ちました。

わたしも妹もそうした機能不全家族の中で割り当てられた役割……

妹は「スケープゴート」、つまり「悪い子」の役を、わたしは「プラケイター」と「責任を負う子」、

つまり親をなだめたり、支えたりする家庭内ソーシャルワーカーの役と、家庭内の混乱に秩序をもたらすために一生懸命がんばって親の期待に応える役を担って、子ども時代を過ごしました。

 

そのように子ども時代を子どもとして生きれなかった子は、心に慢性的な喪失を抱えたまま、健全な自己愛や自尊心を獲得できずに大人になっていくと聞きます。

自分を信頼し、「やれば何とかなる」といった前向きな姿勢で、人生を切り開いていくことが難しいとも言われています。

 

父母の思い出話から推測するに、おそらく父の父母もその父母も、また母の父母もその父母も、家族の関係の問題によって自分たちの人生を蝕まれてきたのだろうと思われました。

そして、父も母も、表現の仕方ほど異なるものの、アダルトチルドレンの特徴をたくさん持っていました。

 

父は、白黒、二極化した思考をしがちで、人を試す発言が多く、怒りを抑えられず、漠然とした不安感や空虚感をギャンブルへの依存で埋めていました。

母は、自己信頼感が希薄で依存心が強く、何でも人にたずねて、自分で判断することができませんでした。

いつも周囲に合わせばかりで、人からの頼みごとを断れず、自分の人生に希望を抱けないまま、何となく日々を過ごしていました。

 

 そんな両親のもとで育ったわたしは、身体的にも精神的にも脆弱な子どもでしたし、実際に心が深く傷ついてもいたし、ずいぶん遠回りをしながら大人になりはしたものの、幼い頃から、どんな時も、父の考えにも母の考えにも染まらないところがありました。

たとえ一時期、両親の思考のあり方の影響を受けて認知に歪みが生じていたとしても、それに気づいて、自力でそこから抜け出す知恵も持っていました。

そして、今、生きづらさを感じずに生活しているし、わが子たちが自己愛や自尊心や自己信頼感を成長させていく過程を支えてあげることもできます。

 

父も母も妹も、自分の親と自分自身がプログラムした思考の罠が自分の人生を蝕んでいくことから、どんなにあがいても抜け出せなかったのに、どうやってわたしはそこから出たんだろうと考えると、いくつか思い当たる理由があります。

 

そのひとつは、両親の伺い知らないところで、両親や祖父母以外のさまざまな大人たちから、自分の子どもに対するような深い本物の愛情をかけてもらっていたからじゃないかと思っています。

また、大きくなるまで続いていた幼なじみとの心の絆も、両親との関わりに別の視点をもたらしてくれました。

 

次回に続きます。



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