「子どもにワークさせたらダメでしょうか?」
「どのワークなら、良いでしょうか?」
「毎日、机に座らせてワークさせるのは多いでしょうか?」など、
このごろ、ワークについて「良い」か「悪い」かといった質問をたくさんお受けするようになりました。
ワークをさせること自体が、良いとか、良くないとか
簡単に決められることではないと思います。
分量、ワークの質、子どもの月齢、子どもの個性、与え方もさまざまですから。
ただ、ワークの量が多いと、
子ども特有の想像力あふれる自由な発想はどうしても制限されるし、
先入観を抜きにして物を眺めるのが、難しくなってくるかもしれません。
ワークと言わず、「人工的なおもちゃ、人工的な物、人工的な場が多いと……」と言いなおしてもいいかもしれません。
話が飛びますが、
今朝、レッスンに来た4歳の男の子は川ではじめてざりがにを見つけて、
感動のあまり、そこから動けなくなってしまったそうです。
家に帰ってからも、絵本図鑑を見ながら、ざりがにについて質問ぜめだったそうです。
これが、ざりがにについて紙の上でいっぱい学んだ後で、
ざりがにを見たのだったり、
水族館で見たとしたら、こんなに感動できたのか……。
そういう場合、知っている部分だけ確認するように
見るかもしれないな~と思えるのです。
子どもは時計を見ると、時計に耳をつけて、カチカチいう音に耳を楽しんだり、
「どうやって動くの?」と機械の動きに興味を抱いたり、針の動きから、時間が経過することの意味を察したりします。
大人のように「時間確認のためだけに、さっと見る」だけでは終わらないのです。
けれども、ワークで繰り返し時計を読むという
訓練を積んでしまうと、
時計を見ると反射的に針の位置だけ確認して答えを出すことになりがちです。
大人が子どもに「見え方」や「感じ方」に
制限を加えることになりがちなのです。
教室に来る小学生で、早くから時計が読めたという子が、
鏡に映った時計を見ると、9時の形でした。
今は何時でしょう?
とか、
学校まで、たかしくんの家から12分、えみさんの家から22分、かずおくんの家から32分かかるそうです。3人が同じじこくにつくためには、えみさんとかぞおくんは、たかしくんより何分早く家を出るといいですか。
といった問題で、困りきってしまうことがあります。
早い時期から、見え方や感じ方を限定されているので、イメージを広げて考えていくことが難しいのです。
子どもは自然にしておくと、次々自分の中から疑問を生じて、
時間のような概念も、
理解しなおすことを繰り返していきます。
時計=針を読む
という反射的な訓練をするのでなく、
生活の場面で、子どもの興味に応じて働きかけていくと、時間に関わる
意味を察しやすくなるのです。
時計の読みだけでなく、計算でも、文字の練習でも同じです。
イメージする力、疑問を持つ力、発想する力、熟考する力などを
十分育てることを主にして、
その能力の成長の邪魔にならない程度にワークをさせるのであれば、
あまり問題ないかもしれません。
虹色教室では、ワークや小学校受験や算数検定のプリントに親しむ
こともしていますが、
自由な発想や創造性が、それで弱まることがないように、
かなり気をつけています。
生活体験や本物体験が少ないのに、
ワークはたっぷり……というのは、
やっぱりバランスが悪いですね。
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「どのワークなら、良いでしょうか?」
「毎日、机に座らせてワークさせるのは多いでしょうか?」など、
このごろ、ワークについて「良い」か「悪い」かといった質問をたくさんお受けするようになりました。
ワークをさせること自体が、良いとか、良くないとか
簡単に決められることではないと思います。
分量、ワークの質、子どもの月齢、子どもの個性、与え方もさまざまですから。
ただ、ワークの量が多いと、
子ども特有の想像力あふれる自由な発想はどうしても制限されるし、
先入観を抜きにして物を眺めるのが、難しくなってくるかもしれません。
ワークと言わず、「人工的なおもちゃ、人工的な物、人工的な場が多いと……」と言いなおしてもいいかもしれません。
話が飛びますが、
今朝、レッスンに来た4歳の男の子は川ではじめてざりがにを見つけて、
感動のあまり、そこから動けなくなってしまったそうです。
家に帰ってからも、絵本図鑑を見ながら、ざりがにについて質問ぜめだったそうです。
これが、ざりがにについて紙の上でいっぱい学んだ後で、
ざりがにを見たのだったり、
水族館で見たとしたら、こんなに感動できたのか……。
そういう場合、知っている部分だけ確認するように
見るかもしれないな~と思えるのです。
子どもは時計を見ると、時計に耳をつけて、カチカチいう音に耳を楽しんだり、
「どうやって動くの?」と機械の動きに興味を抱いたり、針の動きから、時間が経過することの意味を察したりします。
大人のように「時間確認のためだけに、さっと見る」だけでは終わらないのです。
けれども、ワークで繰り返し時計を読むという
訓練を積んでしまうと、
時計を見ると反射的に針の位置だけ確認して答えを出すことになりがちです。
大人が子どもに「見え方」や「感じ方」に
制限を加えることになりがちなのです。
教室に来る小学生で、早くから時計が読めたという子が、
鏡に映った時計を見ると、9時の形でした。
今は何時でしょう?
とか、
学校まで、たかしくんの家から12分、えみさんの家から22分、かずおくんの家から32分かかるそうです。3人が同じじこくにつくためには、えみさんとかぞおくんは、たかしくんより何分早く家を出るといいですか。
といった問題で、困りきってしまうことがあります。
早い時期から、見え方や感じ方を限定されているので、イメージを広げて考えていくことが難しいのです。
子どもは自然にしておくと、次々自分の中から疑問を生じて、
時間のような概念も、
理解しなおすことを繰り返していきます。
時計=針を読む
という反射的な訓練をするのでなく、
生活の場面で、子どもの興味に応じて働きかけていくと、時間に関わる
意味を察しやすくなるのです。
時計の読みだけでなく、計算でも、文字の練習でも同じです。
イメージする力、疑問を持つ力、発想する力、熟考する力などを
十分育てることを主にして、
その能力の成長の邪魔にならない程度にワークをさせるのであれば、
あまり問題ないかもしれません。
虹色教室では、ワークや小学校受験や算数検定のプリントに親しむ
こともしていますが、
自由な発想や創造性が、それで弱まることがないように、
かなり気をつけています。
生活体験や本物体験が少ないのに、
ワークはたっぷり……というのは、
やっぱりバランスが悪いですね。
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ワークはたっぷり……というのは、
やっぱりバランスが悪いですね。』
先日、幼稚園のママスクールでも丁度そのような話がありました!
情報過多の現代で本人の興味と関係なく先取りでひらがなや英語に触れさせることや、子どもの中に自分自身でファンタジーを作り出す、感じる力が育ってないうちにディズニーランドのようなところへ丸投げして安心してしまう事とか、若い先生の世代がまず自分で考えることができなくなっている(何故いま、自分はこの保育を、題材をえらんでいるかなど)…など、興味深い話題が多く、保育士の教育課程や今後の幼保一元化に伴う問題などモヤモヤする思いを抱えて帰ってきました。
通園中の園を信頼しているだけに、小学校とのギャップや不満などもよく先輩ママさんとの話題になります。
……などと言ってもそれより先ず今日も?お友達遊び中の癇癪にさえ対応し切れていない自分ですが。
ワークと言えば、某トラくんのダイレクトメールに付いてる体験ワーク。説明聞くの大嫌いぽんすけも、取り敢えず開けて見たがるので、うーん、できないーむずかしーと私がやっていたら、得意げにやってシールを貼り、(いろいろ間違ってたり、誘導されてますが)それを捨てずにいつまでも大事にとってあります(笑)。これ、できてすごいでしょーと何度も自慢してきます☆
昨日は新しいDMのワークをまたやっていました。
迷路で、絵を見て正しい文字が書いてある看板の方に進むといったワークでは、全部わざわざ間違った方に行ってはきゃー行き止まりー!!などとやっていたので、
これ、ワークとしてやろうとしたらなっかなか進まんわ。。と思いつつ、子どもってこうやって遊ぶんだなと納得。
その後、もっと難しいの作ってあげる。ママ、できる?といいながら紙に似たような迷路や間違い探しを山ほど書いていました。
誕生日に祖父母に買ってもらった人生ゲームも、やり方を全く聞こうとはせず、自己流に遊んでますが、先生にも御指摘いただいた、完璧でないとイヤ、試されるのイヤ、というプライドのたかーい感覚くんとの遊びの面での付き合い方もなんとなく要領を得てきつつあるかな…という感じです。
しかしながら、遊び以外の生活の中では年中になってプレッシャーかかりまくりのぽんすけの噴火が頻繁で、もう一度去年のユースホステルのダメ出し記事を熟読中です。。
親の方が成長が遅くて困りものです。
教わった大事なこともすぐ忘れる…。