前回の記事に親御さんたちから子どもたちに群れて遊ばせたくても、
遊ばせることができない現状についてコメントをいただきました。
私もそうした現状は重々承知で、
親御さんたちの苦しい胸のうちもよくわかるのです。
でも、今、公立や私立や国立の小学校の先生方に、
真剣に子どもの遊び時間と遊び場と遊び仲間について考えていただかなくてはならないときで、
行政や地域に本気でこの問題に向き合っていただかなくてはならないときだと感じているのです。
うちの子たちは公立小学校に通っていましたから、
早めに帰宅していましたが、
けっして豊かな遊び場が保障されていたわけではありませんでした。
その頃について書いた過去記事があるので紹介させてくださいね。
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わが家から小学校まで歩いて2分ばかりのところです。
ちょうど学校から歩いて2~3分というあたりが、小学校の校区となっていますから、
うちの子が小学校のときは、
「家を出ても、右方向に歩いちゃだめよ。数歩歩いたら校区外だから」
と言っておかないと、校区外に出てしまいます。
それで、ちょうどうちの前の道路を駅に向かって帰宅中の先生方に見つかって、
「校区外で遊んじゃいけません」という注意を受けることになっていました。
なら、右以外の方向に行けば、校区内に何があるのかといえば、
基本、「道路」です。
仕方がないので、まじめな子たちは道路で遊んでいましたよ。
また近所の公園は、幼児向けの遊具がいくつかと、「球技禁止」の看板があって、
ここで小学生に一体何して遊べというのか疑問なのですか、
あっちもこっちも「球技禁止」の看板がかけられるようになる前は、
野球かサッカーをして遊んでいた子たちが、
遊具の影でずらっと腰掛けて、携帯ゲームにいそしんでいました。
近所で唯一、小学生や中学生が健全に遊べる場として、
児童館内に卓球場があったのですが、
あるとき、市の政策で、「子育て支援の幼児サークルなどで使うことになったので、大きな子たちは児童館への立ち入り禁止」となりました。
行き当たりばったりの政策で、卓球場を他に移転するわけもありませんから、
児童館の常連組は、
コンビニの前で、チキンやポテト(コンビニで買えます)片手に、自転車にもたれかかって何時間もしゃべっているのを見かけるようになりました。
不謹慎なのですが、
こうなると、環境破壊で食料や住居を奪われた
猿やクマや猪が、人里におりてきて悪さをするニュースの映像と
人間の子どもたちがだぶってしまいました。
学校も親も「ゲーム脳でバカになるから、携帯ゲームはしちゃだめ」と言い、
「家に友だちを連れて来るな」と言い、
「図書館は校区外だから子どもだけで行っちゃだめ」と言い、
「忙しいから図書館に連れて行ってあげるのは難しい」と言います。
習い事の後で寄り道しないよう、
居場所がわかる機能のついた携帯電話を持たせていますから、
子どもができることから、しちゃいけない選択肢を順番に引いていったら、
家の中でひとりでテレビゲームをすることしか残っていないわけです。
「そんな子どもの姿にイライラして、
子どもに文句や嫌味をたれながしつつも、
他の遊び場の選択肢を広げようとまでは思わない」
「お金さえあれば、子どもを習い事に送り込んで置けるし、
習い事後に宿題のプリントをさせておけばすむわけだから、
解決策はお金だと思っている」
そうした親御さんたちが大多数ですから、
「校区外にでちゃいけません」「~ちゃいけません」の縛りを破って、
少しばかり冒険しよう、親から自立していこうと思えば、
中学に入学するのを契機に、
ちょっと非行グループに足をつっこむくらいしか方法がないのですよね。
子供同士、野球しながら、サッカーしながら、卓球しながら、ちょっと遠出したりしながら、
揉めたり仲直りしたり、強くなりたいと願ったり、ピンチを協力して乗り越えたりして、たくましく成長する道は絶たれているのです。
実際うちの近所の子たちは、
「え、あの子が?」というまじめな子たちが、中学に入るとたちまち
そういうグループに参加して、自転車の二人乗りをして、後ろに乗ってる子がタバコをくわえてみせたりしながら、ぐるぐる地域を回っています。
昔はちょっと悪ぶっちゃう「強い子」が非行に走ったものですが、
最近では、ひとりじゃ親や先生に反抗できない「弱い子」が非行に走っている
感じです。
規則や決まりに隙間やほころびがないから、
反抗期も大変になっているのかもしれません。
こういう現状を眺めながら、
もともと子どもに良い環境とは言いがたいものを、
どうしてわざわざさらに悪い環境になるように大人たちがこぞって努力していくのか、
私には不思議でなりませんでした。
その背後には、今時の人たち特有の「ポジティブシンキング?」
な考え方と、「身体感覚」のなさがあるような気がしています。
今時と言わず、うちの親や子ども時代の近所の人々も、
恐ろしく「身体感覚」がなく、
独特な「ポジティブシンキング?」な考え方で、突っ走っていた記憶があるものの、当時はまだまだ子どもをめぐる環境が豊かで、多少の破壊行為に耐える余裕があったのです。
昭和40年代の親たちって、誰々ちゃんが習い事を始めたと聞くたび、「じゃあうちの子も……」と次々習わせて、「疲れてやる気失わないか」とか「いったい何がさせたいのか」にはまったく思いが及ばない……
という特徴がありました。
イメージの世界と現実がきちんとつながっていない感じが、
大人の言動からにじみ出ていて、
子どもながらに、「お母さんたちって少女漫画界の住人なんだ……」
「お母さん、それはドラマ!」って、危惧する状況がありましたから。
考え方がポジティブと言えば、ポジティブで、
とにかく今、自分が「正しい!」「いい!」って感じて、
スポットライトを当てているもの以外は、
ちょっとでも疑問を差し挟もうなら、
「今はまず、これに集中するときでしょ」
「ネガティブなことを考えないの」
「そんな後ろ向きなことじゃだめ」
「せっかくよい感じの空気が乱れるわ」といった感じに、(言葉にまではしないものの)
いっさい見ないし、感じないし、聞かないし、存在しないものとして扱えてしまうのです。
自分が今、「正しい!」「いい!」って思っているものが、それまで作ってきた生態系を崩すことになっても頓着しないのです。
今は、まず考えるよりも、それをすることこそ、大事なんだ!って、
自分自身も信じ込ませてしまうのです。
(よくわからないけど、ポジティブシンキングの仲間らしい……。)
そんなうちの親たちの姿を思い出すと、
「子育て支援が大事だから」って思えば、
「卓球場を利用していた子どもたちの存在を見えないもの」として
簡単に扱ってしまえる人々の気持ちが、
わからないでもないのですが……。
悩むところです……
遊ばせることができない現状についてコメントをいただきました。
私もそうした現状は重々承知で、
親御さんたちの苦しい胸のうちもよくわかるのです。
でも、今、公立や私立や国立の小学校の先生方に、
真剣に子どもの遊び時間と遊び場と遊び仲間について考えていただかなくてはならないときで、
行政や地域に本気でこの問題に向き合っていただかなくてはならないときだと感じているのです。
うちの子たちは公立小学校に通っていましたから、
早めに帰宅していましたが、
けっして豊かな遊び場が保障されていたわけではありませんでした。
その頃について書いた過去記事があるので紹介させてくださいね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わが家から小学校まで歩いて2分ばかりのところです。
ちょうど学校から歩いて2~3分というあたりが、小学校の校区となっていますから、
うちの子が小学校のときは、
「家を出ても、右方向に歩いちゃだめよ。数歩歩いたら校区外だから」
と言っておかないと、校区外に出てしまいます。
それで、ちょうどうちの前の道路を駅に向かって帰宅中の先生方に見つかって、
「校区外で遊んじゃいけません」という注意を受けることになっていました。
なら、右以外の方向に行けば、校区内に何があるのかといえば、
基本、「道路」です。
仕方がないので、まじめな子たちは道路で遊んでいましたよ。
また近所の公園は、幼児向けの遊具がいくつかと、「球技禁止」の看板があって、
ここで小学生に一体何して遊べというのか疑問なのですか、
あっちもこっちも「球技禁止」の看板がかけられるようになる前は、
野球かサッカーをして遊んでいた子たちが、
遊具の影でずらっと腰掛けて、携帯ゲームにいそしんでいました。
近所で唯一、小学生や中学生が健全に遊べる場として、
児童館内に卓球場があったのですが、
あるとき、市の政策で、「子育て支援の幼児サークルなどで使うことになったので、大きな子たちは児童館への立ち入り禁止」となりました。
行き当たりばったりの政策で、卓球場を他に移転するわけもありませんから、
児童館の常連組は、
コンビニの前で、チキンやポテト(コンビニで買えます)片手に、自転車にもたれかかって何時間もしゃべっているのを見かけるようになりました。
不謹慎なのですが、
こうなると、環境破壊で食料や住居を奪われた
猿やクマや猪が、人里におりてきて悪さをするニュースの映像と
人間の子どもたちがだぶってしまいました。
学校も親も「ゲーム脳でバカになるから、携帯ゲームはしちゃだめ」と言い、
「家に友だちを連れて来るな」と言い、
「図書館は校区外だから子どもだけで行っちゃだめ」と言い、
「忙しいから図書館に連れて行ってあげるのは難しい」と言います。
習い事の後で寄り道しないよう、
居場所がわかる機能のついた携帯電話を持たせていますから、
子どもができることから、しちゃいけない選択肢を順番に引いていったら、
家の中でひとりでテレビゲームをすることしか残っていないわけです。
「そんな子どもの姿にイライラして、
子どもに文句や嫌味をたれながしつつも、
他の遊び場の選択肢を広げようとまでは思わない」
「お金さえあれば、子どもを習い事に送り込んで置けるし、
習い事後に宿題のプリントをさせておけばすむわけだから、
解決策はお金だと思っている」
そうした親御さんたちが大多数ですから、
「校区外にでちゃいけません」「~ちゃいけません」の縛りを破って、
少しばかり冒険しよう、親から自立していこうと思えば、
中学に入学するのを契機に、
ちょっと非行グループに足をつっこむくらいしか方法がないのですよね。
子供同士、野球しながら、サッカーしながら、卓球しながら、ちょっと遠出したりしながら、
揉めたり仲直りしたり、強くなりたいと願ったり、ピンチを協力して乗り越えたりして、たくましく成長する道は絶たれているのです。
実際うちの近所の子たちは、
「え、あの子が?」というまじめな子たちが、中学に入るとたちまち
そういうグループに参加して、自転車の二人乗りをして、後ろに乗ってる子がタバコをくわえてみせたりしながら、ぐるぐる地域を回っています。
昔はちょっと悪ぶっちゃう「強い子」が非行に走ったものですが、
最近では、ひとりじゃ親や先生に反抗できない「弱い子」が非行に走っている
感じです。
規則や決まりに隙間やほころびがないから、
反抗期も大変になっているのかもしれません。
こういう現状を眺めながら、
もともと子どもに良い環境とは言いがたいものを、
どうしてわざわざさらに悪い環境になるように大人たちがこぞって努力していくのか、
私には不思議でなりませんでした。
その背後には、今時の人たち特有の「ポジティブシンキング?」
な考え方と、「身体感覚」のなさがあるような気がしています。
今時と言わず、うちの親や子ども時代の近所の人々も、
恐ろしく「身体感覚」がなく、
独特な「ポジティブシンキング?」な考え方で、突っ走っていた記憶があるものの、当時はまだまだ子どもをめぐる環境が豊かで、多少の破壊行為に耐える余裕があったのです。
昭和40年代の親たちって、誰々ちゃんが習い事を始めたと聞くたび、「じゃあうちの子も……」と次々習わせて、「疲れてやる気失わないか」とか「いったい何がさせたいのか」にはまったく思いが及ばない……
という特徴がありました。
イメージの世界と現実がきちんとつながっていない感じが、
大人の言動からにじみ出ていて、
子どもながらに、「お母さんたちって少女漫画界の住人なんだ……」
「お母さん、それはドラマ!」って、危惧する状況がありましたから。
考え方がポジティブと言えば、ポジティブで、
とにかく今、自分が「正しい!」「いい!」って感じて、
スポットライトを当てているもの以外は、
ちょっとでも疑問を差し挟もうなら、
「今はまず、これに集中するときでしょ」
「ネガティブなことを考えないの」
「そんな後ろ向きなことじゃだめ」
「せっかくよい感じの空気が乱れるわ」といった感じに、(言葉にまではしないものの)
いっさい見ないし、感じないし、聞かないし、存在しないものとして扱えてしまうのです。
自分が今、「正しい!」「いい!」って思っているものが、それまで作ってきた生態系を崩すことになっても頓着しないのです。
今は、まず考えるよりも、それをすることこそ、大事なんだ!って、
自分自身も信じ込ませてしまうのです。
(よくわからないけど、ポジティブシンキングの仲間らしい……。)
そんなうちの親たちの姿を思い出すと、
「子育て支援が大事だから」って思えば、
「卓球場を利用していた子どもたちの存在を見えないもの」として
簡単に扱ってしまえる人々の気持ちが、
わからないでもないのですが……。
悩むところです……
日本の将来は大丈夫なのでしょうか。
冒険遊び場が学区にある都会とは思えない恵まれた地域です。
息子達はそこで学校も幼稚園も学年も違う子達と群れて遊んでいます。冒険遊び場は小さいながらも火も使えるし、自分たちで作ったツリーハウスもあり穴を掘って川を作ったり自由自在に遊べます。一日中子供たちで遊びやルールを変えながら走り回っています。
一日遊んだあとの子供はパワーを全て使い果たし夜もあっという間に眠ってしまいます。
行政からも補助があり恵まれた遊び場があるにもかかわらず、学校の同級生の95%は来ません。来ているのは5%ほどの限られた子達です。
95%の子達も年に一度くらいはきているかもしれませんが、「楽しかった」と遊園地と同じような感じで帰っていきます。毎週にはなりません。
行政が子供たちのために、遊び場を提供しても親の考えを変えなければ子供達はやってきません。
お稽古や家族でレジャー、ショッピングをすることが有意義で、外遊びはしてもしなくても同じという親の意識改革もとても必要だと思います。
なおみ先生には今後も遊びの必要性をブログで書いてもらいたいと思います!
子どもの行動のメカニズムが分かったような気がしてきました♪
よく田舎で神童と言われる子が育つのはこんなところが原因なのかも知れませんね(笑)
息子へのクリスマスプレゼントはジオマグにしました。で、サンタさんからは更にトミカなんですけどね(汗)
来春小学生の息子はせっかく徒歩5分の区立を選択したのに、一年生は(低学年はでしょうか)1人歩きしてはいけないそうです。
そうすると土日はなるべく空けて親付きで思いっきり遊べる広場に行く事になるのかな~と。
異年齢におもいっきり関われる経験を求めて今週末よりスキー合宿に参加させます。
まさしく『お金さえ払えば』の行為なのですが、二泊三日、体操教室の先生に引率されての初体験です。
このような形で体験を求める事については、どう思われますか?
お書きになりたいテーマに触れた際には是非お考えを伺いたいです。