教室の子どもたちの遊びの話にもどしますね。
破壊や死をテーマにした遊びから、タブーをテーマにした遊び、誕生や甘えをテーマにした遊びに変化していくとき、それまでは親の価値観で何でも判断していた子たちが、
自分の中に自分なりの物差しを作って判断しはじめるようです。
「こういうことをしていいか」「悪いか」といった善悪の基準が
自分の中にできてくるのです。
まるで一度死んで、新しい自分に生まれ変わっていくようです。
男の子たちグループの場合、暴れまわって積み木の城を壊しまくり、
ひたすら破壊をテーマに遊ぶ時期があります。
そうした遊びが、うん○や「へんなドラエモン」といってタブーの世界で遊びに変化し、
それが次第に、
紙に人を描いては切り抜いて、大量に生み出すような生産的遊びに変化していきます。
それが行きつもどりつする時期も長いです。
そうした成長にそって、勉強するときに責任を持って集中するようになってきます。
こうした姿を見ていると、遊びって何なのかな?
という不思議に打たれます。
今、学級崩壊の問題が騒がれていますが、
何となく遊びの世界で展開していくはずの『破壊』をテーマにした遊びへの衝動が、群れ遊びの場がなくなったため、
教室に持ち込まれているように見えるのです。
また、大人が『破壊』や『死』や『タブー』のようなものを子どもが
小出しに表現していきながら、生まれなおして成長しようとするとき、
成長にまで結びつけず、上から押しつぶしているようにも
見えます。
小学生に十分な子ども同士で自由に遊ぶ時間を与えないまま、
子どもがどうしたらよい子になるか、頭のよい子になるかと
話し合っても、
変なたとえですが食事も与えずに栄養剤だけで健康にさせようとするようなもので、
無意味なことのように感じるのは私だけでしょうか?
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破壊や死をテーマにした遊びから、タブーをテーマにした遊び、誕生や甘えをテーマにした遊びに変化していくとき、それまでは親の価値観で何でも判断していた子たちが、
自分の中に自分なりの物差しを作って判断しはじめるようです。
「こういうことをしていいか」「悪いか」といった善悪の基準が
自分の中にできてくるのです。
まるで一度死んで、新しい自分に生まれ変わっていくようです。
男の子たちグループの場合、暴れまわって積み木の城を壊しまくり、
ひたすら破壊をテーマに遊ぶ時期があります。
そうした遊びが、うん○や「へんなドラエモン」といってタブーの世界で遊びに変化し、
それが次第に、
紙に人を描いては切り抜いて、大量に生み出すような生産的遊びに変化していきます。
それが行きつもどりつする時期も長いです。
そうした成長にそって、勉強するときに責任を持って集中するようになってきます。
こうした姿を見ていると、遊びって何なのかな?
という不思議に打たれます。
今、学級崩壊の問題が騒がれていますが、
何となく遊びの世界で展開していくはずの『破壊』をテーマにした遊びへの衝動が、群れ遊びの場がなくなったため、
教室に持ち込まれているように見えるのです。
また、大人が『破壊』や『死』や『タブー』のようなものを子どもが
小出しに表現していきながら、生まれなおして成長しようとするとき、
成長にまで結びつけず、上から押しつぶしているようにも
見えます。
小学生に十分な子ども同士で自由に遊ぶ時間を与えないまま、
子どもがどうしたらよい子になるか、頭のよい子になるかと
話し合っても、
変なたとえですが食事も与えずに栄養剤だけで健康にさせようとするようなもので、
無意味なことのように感じるのは私だけでしょうか?
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不審者問題もあり登下校すら一人では難しい状況で、下校後一人で外出することは学校から禁止されています。(不審者に写真撮影されたりします)
公園で遊ぶ場合は、往復も含めずっと子どもを見守っている必要があります。息子は、遊び友達を求めて学校で行われている学童の子どもたちとも遊ぶのですが、そのときも母同伴です。
息子は、行政の行う放課後遊ぶ所に参加してますがそこでも送迎が必要です。遊ぶ子どもを見守る ゆるぅーい管理なので、のびのび遊んでいます。遊び道具は、最大でボール程度ですので、協力と想像力が必要なようです。ただ、「喧嘩をすると退会」と脅されているようで、どの子も先生の気配を感じると喧嘩の途中でも何事もない振りをするとか。これも子どもの知恵なのでしょうね。
子ども同士で遊ぶ時間が少なくなっているのは、家庭で過ごすとゲームばかりになってしまうから、それならせめてお稽古に通っていたほうが良いという考えもあり、また 将来のためにと早期からの教育もあると思います。
ただ、昔のように 異年齢を含む多くの子ども集団を外遊びさせようとすると ○○ に出かければ遊ぶことのできる空間を地域や行政で施す必要を感じます。
下校後 外で遊ぶことの出来るのは低学年の内だけですからね。
おっしゃる通りだと思います。的を得すぎていてショックでした。(多分大人なのに何にもどうしようもできない、してこれなかった自分に腹立つんだと思います。)
子供同士で群れる事。本当に子供にとって必要だと実感しています。私があれこれいじくりまわすよりよっぽどいい。
でもそういった時間を与えないのではなくて与えられないという事が現実には多いのではないのでしょうか?
だから何か習い事をさせるっていう悪循環。
都会に住んでいてもマンションやアパートならばまだチャンスがあります。子供世帯が群れやすいから。でも初めての嫁ぎ先知り合いもいなくて同じ年頃の子供を持つ人と知り合いになるのはかなり難しい。(郊外や地方でも少なからずあてはまるかな・・・)こういう人結構多いんではないでしょうか?
乳幼児期にせっかく子供を通してのおつきあいをしても土地柄が悪ければ学齢期になれば皆引っ越しますし、私立を選択する事もあります。家に子供の友達が学校終業後誘いに来るなんていう環境お金で買えるなら買いたいぐらいです。市の施設は赤ちゃん待遇がよくなっても児童館はここ何年かでかなりショボショボだし・・・やってもらう事ばっかり考えないで結局児童期の子供の対人関係は個人的なママの手腕にかかっていると言う事でしょうか?あらためて孤独感と子供の為に何とか出来ない力のなさを実感ます。
我が子は、このような破壊的な遊びを4~5歳頃好んでしていました。ブロックで高いビルを作ってそこからお人形を落としたり、ミニカーを並べて交通事故の再現をしたり、せっかく作ったブロックの飛行機同士をぶつけて破壊させて喜んだりしていました。
私はゆる~い母ですが、親として嫌な気持ちで見ていました。
子どもにアスペ傾向があるとにらんでいたので、よけいに神経過敏になり「お人形だって落としたら痛いでしょ」と時々は口をはさみましたが、強く言って遊びを止めさせたりはしませんでした。
小学校にあがる頃には、そういう遊びをやり尽くし卒業して、今は野球やサッカーなど身体を使う遊びが好きです。
今回の記事を読んで、どんな子どもも通る道なのかなと得心がいった感じがします。
私は、小さい子供がどうやって大人のような価値観や思考を獲得していくのかなーと、そのプロセスについて常々不思議に思いながら子育てしています。
こちらのブログには、そういう大きなテーマやヒントがたくさん詰っているので、本当に参考になり、毎回感謝して読ませていただいております。
母親力になるのでしょうが、我が家もとても子どもが忙しそうで、暇な時間をつくろうと意識をしだしてから数カ月たちますが、時間をつくってみても、自由な時間に慣れていない子どもの様子を見守っていれずに結局指示をだしていたりします。。
急に生活や性格を変えられず、反省反省ですが、こうやって考える機会を頂くことで、少しづつは前進しているような気がします。
いつもありがとうございます。