虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)3

2015-09-21 20:57:26 | 教育論 読者の方からのQ&A

現在の子育てや幼児教育の場では、

非常に大切ないくつかの視点が見落されているように感じています。

 

先に紹介した『学びの物語の保育実践』では、

そうした現在の子育ての盲点ともいえる部分が端的に表されています。

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★「子どもにとって意味のある」行動の中に、「発達にとって意味のある」テーマが

潜んでいます。

 

★ 「できるか、できないか」というふうに「大雑把な視点」から見ないで、

「子どもの学び」の視点に立ってみると見えるようになります。

 

★ 社会文化的アプローチにたつと、発達は「意味のある活動への参加」でした。

子どもの行動を、基本的には何か意味あることに「参加しようとする行動」として

とらえ、その参加のレパートリーが増えていくことを学びとしてとらえよう。

(カーの提案)

 

★ 子どもは自分より高い技能を持つ他者とかかわり合うことを通じて、

文化が提供するさまざまな道具(目に見えるモノ的道具だけでなく、言語や思考こそ

「文化的道具」という見方に立っています。

 

★ 子どもとともにあるということは、三分の一は確実なことであり、

三分の二は不確実なことやはじめて出会うものであるという状態で働くことであると、

私たちは理解しています。(マラグッツィの言葉)

             

          『学びの物語の保育実践』 大宮勇雄 ひとなる書房 より引用

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教室では、日々、「子どもにとって意味のある行動」が、いかに

「その子の今の発達にとって意味のある」テーマなのかを実感しています。

また、子どもたちが積極的に社会文化的に意味のある活動に参加しようとし、

大人の適度な手助けを頼りにしながら、自らの考えを深めていくかを目にしています。

 

そうした子どもたちの姿を具体的に伝えたいので、

先日の年少さんたちのレッスン(ひとりだけ姉の年長の子が付き添いの参加しています)の

様子を紹介しますね。

 

 

この日、子どもたちに「今日、どんなことがしてみたい?」とたずねると、

もうすぐ4歳になるAちゃんが「かばんが作りたい」と言い、

他の子らもそれに賛同しました。

そこで、針なしホッチキスを使ってカバン作りをすることにしました。

めいめいが色画用紙を選んで半分に折り、順番に針なしホッチキスで両端を

とめていきました。

その後、カバンにできた針なしホッチキスの穴にひもを通したいか見本を見せながら

たずねると、みないっせいに、「はーい」と手を挙げていました。

 

そこまでは全員、同じように作り進めていたのですが、

ひもを通し出すと、それぞれの子の学び方や取り組み方の違いや

「その子の今」の発達のテーマが見えてきて面白かったです。

 

もうすぐ4歳になるAちゃんはとても自立した子で、

手指を使ってすることは何でも自分でやろうとします。

他の人のしていることを見て技術を模倣するのが上手です。

虹色教室には赤ちゃんの時から来ている子だからか、

環境からあらゆる情報を吸収するのに長けていて、

周囲にいる全ての人のすることから自分に必要な技術を学び取ろうとする

貪欲さがあります。

 

かばん作りをする時、わたしは(年少グループということで)

「丸いわっかを作って、お池にドボン!」と言いながら、玉結びの手本を見せながらも、

まだ玉結びの練習をさせる気はありませんでした。

もう少し易しい『毛糸を針にする方法』は、全員、興味を持っており

4歳前後の子にとって作業が楽しく覚えておくと作る世界が広がる技術なので、

そちらは、「ひもの先にテープを貼って、手と手をお祈りするみたいに

すりすりすり~ってすると、ほらっ、ひもが針になって、かばんが縫えるのよ」と

手本を見せてめいめいが「わたしできる」「わたしもできる。針作れる」と

作るのを見守りました。

 

が、玉結びはわたしが子どもにやってあげる時に、わざとオーバーに実演して

見せたり、結ばずにひもの先をテープで貼っておくだけにとどめました。

 

この日は、Aちゃんの姉で年長のDちゃんが参加していました。

Dちゃんが玉結びをはじめると、Aちゃんは自分も輪を作って、

何とかそれにひもの先を通して玉結びをしようと苦心していました。

感心したのは、そうして上手に結び目ができていたのに、

わたしが「お池にドボン」と言って、DちゃんとAちゃんとは逆方向から

ひもを通したのを目にすると、「先生、これはこっちから入れるの?」と

自分のやり方とは逆の方からひもを通す方法も熱心に学ぼうとしていました。

 

Aちゃんにとって「玉結び」のように自分の最近接領域にある手指を使った技術を

完璧にマスターをすること」と「自分で作り進めること」が

とても重要なことのようでした。

「自分で作り進める」とは、わたしが「次にこういうことをしてください」と

言わないでも、自分から、「かばんのひもがいるから、切らせて」と言ったり、

「ここに貼って作るの」と言ったりするなど、

自分の頭の中でかばんの作り方をシュミレーションして、

次に何をするのか考えることこそ最もAちゃんのやる気が出る活動だったようです。

 

こうしたかばん作りはAちゃんにとって初めての体験でしたが、

初めてすることの作業工程を自分でイメージすることこそ

Aちゃんには大事なことのようです。

そのため、作品の仕上がり自体は、ざっくりと大雑把なところもあるのですが、

先に肩にかけるひもをつけた後で、しばらくしてから閃いた様子で、

手提げの取っ手をふたつつけたのには驚きました。

 

「ショルダー用と手提げ用の両方のひもがついているかばんがあること」と

「手提げのかばんには2本のひもをそれぞれの面に

貼らねばならないこと」を経験的に知っていて、作品に活かすことを思いついたようです。

 

もうすぐ4歳になるBちゃんは、ひも通しの経験があるようで、

ていねいにひとつひとつの穴にひもを通していました。

 

 片側のひもを通し終えてから、もう一方のひもを通す時は

他の子の方法から見よう見まねで、まっすぐひもを通していく

新しい方法で作っていました。

かばんにかざりのスパンコールを貼る時、

一度にたくさんのスパンコールをバラまいて、全体の絵ができあがったところで、

テープを貼り始めました。

スパンコールを選んで貼るという作業にしても、

Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんのそれぞれが全く異なる方法で、

自分なりの「ここが大事」に熱中していました。

Aちゃんは、とても小さいハートだけを探しだして、貼っていました。

Cちゃんは、好きなスパンコールをひとつ選び出して、

それを真ん中にひとつ貼って「できあがり」と言いました。

 

Cちゃんのひもの通し方は、ひもがとぎれず一直線につながっていることが

重要だったようです。

一生懸命、ひもを折り返してテープで貼り付けていました。

 

 

途中ですが、次回に続きます。


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1 コメント

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Unknown (tamaki)
2015-09-23 10:02:11
>★ 子どもとともにあるということは、三分の一は確実なことであり、三分の二は不確実なことやはじめて出会うものであるという状態で働くことであると、私たちは理解しています。 (マラグッツィの言葉)

本で紹介されているこの言葉ですが、現代人にとって、不確実な状態でなにかすること、はじめて出会う(つまり未知の)ものごとに対応することってとても難しいことなんじゃないかと最近感じていたところでした。

こないだコメントした内容ともかぶるのですが…。

わからないでいる技法というのか。

なんとかこのことについて文章にしたいのですがなかなかうまくまとまりません。

でも子育てって、なんのレールもマニュアルもなく、一瞬一瞬現れる予想外の出来事に対して、とりあえず「じゃあこうしよう」となにかしらの答えを創造することが必要とされる気がするのです。

過去とも、親の期待という意味での未来とも切り離された、本当に自由なクリエイティブな答えは「わからない」場所からしか生まれないのかなとおもいます。

そして立派な親でいなければというプレッシャーだとか、失敗したらどうしようという不安だとかでいっぱいになっていると、気楽に自由に発想したり創造することはどんどん難しくなってしまいます。

といって、わかっていたいし、その方が楽だからと親の用意したストーリーを押し付けているだけでは「子どもにとって意味のある」行動、「学びの物語」も見えてこないですね。

コメントしながら考えさせていただいています。ひとりごとっぽくてすみません。
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