学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

石積みに一生をささげた人の時間

2019-07-12 20:17:02 | 日記
大阪の古墳群が世界遺産登録されることになった。仁徳天皇稜(大山古墳)やエジプトのピラミットとスフィンクス、またマチュピツの天空の町、さらにイギリスのストーンヘンジと、テレビでドキュメンタリーフィルムを見ていると、これらのとてつもなく大きな建造物は(奈良の大仏様)も含めて)皆当時を生きた人々の手作りの汗、そして知恵と努力の結集なのである。強大な権力を持った人と持たない人々との力の格差など、古代にはいろんな背景がある。それでも、そんな時代に人間が造り上げた偉大な業績を考えるととき、例えば一生を‘石積み’という一つの作業に捧げる人々がいたという意味を今日は考えてみた。
ミケランジェロのように多方面にわたる能力を持ち合わせて何でもできる人も存在することは確かだが、普通の人間を考えてみる時、一生の内に二つも三つも違ったことに精力を注入して、特にそのどれにも能力を発揮して成功することなどできないのだ。特に現代のように忙しい毎日を考えてみると、いったい我々は何に追い立てられて生活しているのだろうか。やっぱり‘時間’だ。昔の人々との絶対的な違いは時間と言う観念だ。
忙しく何かに駆り立てられている時間、なにもしないで考えているだけの時間、人にはいろんな時間があるのだが“日課を調べろExamine your daily life routines.”と言う英語表現がある。要注意!われわれの日課を調べてみると、たとえば日常の生活の中に自分をただ忙しくさせている時間が潜んでいるという。生活の何処かに必ずしも必要でない時間、つまり忙しくするだけで無駄(?)に過ごしている時間があるというのだ。忙しくしていることで自分のプライドを保っている人もいるくらいである。現代生活はしなければならないことが複雑に絡み合って、一つのことに没頭するような心の余裕などがないことを思い知る。要するに時間とは使い方の工夫を必要とする類のものなのだ。
工夫することで一日の中に必ず生み出すことが出来る何もしない無駄な(?)時間が見つけられて、それが有益な時間に姿を変える。その時間こそ、考えたり、更に工夫したりして次につなげることのできる時間なのである。“時間を上手に使える人”になりたいと思ったことが何度もあった。

「よし!」とその気になること

2019-07-09 18:07:57 | 日記
歳をとるに従って、自分の身体にまつわるいろんなことに気が付く。今まで気楽に出来ていたことがどうしても持続できないのである。庭の雑草を抜く作業であれ、落ち葉をかき集めてゴミ袋に入れるような簡単な作業もすぐに疲れを感じてしまう。
先日の日曜日は町内掃除が予定されていて近所のみなさんがそれぞれ自分の家の周りの溝の掃除、雑草抜き、ポイ捨てされたタバコの吸い殻集めなどに精を出して汗をかいている姿があった。僕もゴミ袋を持ってゴミを集めてまわったけれど、久しぶりに快晴の日で暑かった。例によってすぐに疲れて持続力がない。僕には高齢者に起こる貧血の症状が時々で出て何をしてもすぐに疲れるようになってきた。どうしようもないじれったさを感じる。
“その気になれば足も軽いA willing mind makes a light foot. ”プラス思考の「心が勇めば足も軽くなる」とか 「気持ちで何事も容易になる」ということを信じて自分に言い聞かせて人生を生きてきた僕が体力の低下の試練にさらされている。
ま、僕のことはさておいて、若い人たちが素早くさっさと動いて周りを清掃している姿はすばらしい。雑草抜きであれ、ゴミの収集であれ、あっという間にやり終えて、周りが見違えるように整理されてしまう。僕が気づいたことは、子供の参加者が少ないというかほとんどいないのである。あまり口に出したくはないが、やはり最近の子供たちは甘やかされている面があるのではと思った。人は気持ちの持ちようで自分の生活の態度をプラス方向に変えることが容易にできる。そんなことを一人でも多くの子供たちに教える良い機会だと思うのだが、多分、日曜日ということでまだベッドで眠りをむさぼっているのだろう。
今、自分に成長盛りの子供がいたら「起きろ!」「何をするにもその気にならないと…」ときっと教えると思う。(とはいっても現実はそうもいかないのかな?)でも、日ごろからいろんな作業は親子で一緒にするという習慣をつけることが大切だ。僕がアメリカに住んでいた頃にこの習慣を大切にしている家族がたくさんいた。その理由のひとつはアメリカ人は日曜日には家族で教会へ礼拝に行くという習慣があるからだとおもっている。

挑戦と新発想と執念

2019-07-05 19:26:15 | 日記

究極のブログと呼ばれる鴨長明の『方丈記』。遠くに沈む太陽や夕焼けを見ていたり、一人
でもの思いに浸っていたりする時など、ふと頭をよぎる例の出だし文は強烈である。
川の流れは絶えずして しかも元の流れにあらず 
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 
久しくとどまりたるためしなし
世の中にある人とすみかも またかくのごとし
庭に座って缶ビールを片手に黄昏(たそがれ)を楽しむのが(年寄りの特権?)至福のひと時である。童謡の「夕焼け小焼け」やカラスの「七つの子」ではないけれど、本当にカラスも他の鳥も自分のねぐらに急いで帰る様子を空に見ながら気が休まる。
人生に達観したようなことを言いながら、一方で、テレビで好んで見る番組は、世間で成功していると言われる人達の人生にまつわる話しである。後期高齢者の分類に入っている僕が特に金儲けをしたいとかいうような野心をもって見ているのではない。人生を感じさせる強烈なインパクトがあるだけでなく、なぜかワクワク感を呼び起こしてくれるこれらの番組が気分的に僕の精神状態を若く保ってくれているように感じるのである。何かをやり遂げようとする人には創造力と執念がある。そしてまた大事なことは人生に立ち向かう挑戦心である。先日に取り上げたNHKの『逆転人生』をはじめ、海外で活躍する人への宅配便の『地球便』、インタビュー中心の『街録』、未来を見つめる『ガイヤの夜明け』など、その種のエピソードを取材放映している番組は他にもたくさんある。
“何かを達成しようとする人々は失敗から益を得る(Creative people profit by mistakes.)”
開拓精神とは失敗を恐れずに果敢に挑戦する人々の情熱だ。
歳を取ろうが若かろうが、どんな人間にも独りになって考える時間やホッとする時間は必要である。でもまた同時に世間との関わりの中で挑戦する対象をも必要としている。年寄りは特にその辺りの葛藤の中で残りの人生を生きているのだろう。「老人のトリセツ(取扱い説明書)」などという本が出回っていて中身はなかなか面白い。

トランプ流交渉術

2019-07-02 20:04:49 | 日記
梅雨入りということでなんと湿度の高い事か。廊下や板の間がジメジメする。天気予報の欄を新聞で見てみても、湿度90%を超えている日が時々あるのだ。大雨だの、台風だのと天気に振り回されながらやっと大阪G20が終わった。ものものしい警備に戸惑うはずの人々が割合それを受け入れて「まッいいか」「しゃーないな(しかたがない)」という大阪弁がそこら中で聞こえた。大坂と言えば“たこ焼き”。「なんで?」「そんなんしかないんか?」という大阪弁も頻繁に耳にする。メディアの人達へのおもてなしも含めて、「まぁ何とか乗り切った」と言う感じ。大阪人は‘気楽な’人が多い。気が楽と書いて‘気楽’と言う。「まぁ好きにやって」と他人事で片づけるのも大阪気質の一面か。
今回のG20はトランプさんを中心に何となくバタバタ過ぎた会議の2日間であったような気がする。トランプ氏の得意のビジネス法というか、“ビジネスとは交渉、その交渉したことを手に入れるのがビジネス”という姿勢を貫いて“最小限度を手放して最大限を手に入れよ(Give the minimum away for the maximum return.)”を実践した。最後には北朝鮮の金正恩委員長との面会まで引っ張り出した。僕はトランプ氏が大統領になる前の著書を数冊アメリカで手に入れて、面白いと思った箇所に赤鉛筆でアンダーラインを引きながら読み終えた。3年ほど前のことである。
本を読んでいると、他人を混乱に陥れながら自分のペースに引き込んでゆく彼のやり方が実践されていて面白い。大統領になってからもそのテクニックは変わっていない。政治にしても間違っていようがお構いなし、自分のペースを維持する彼の姿勢にたびたび学ぶことがあることに気付く。口に出して、周りが騒ぎ始めたらときどき微調整をすればいいという考えだ。なんとなく人々が引き込まれていくのである。政治の駆け引きとはそんなものなのかなぁ。疲れる世界なのだなぁ。