学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

思案投げ首って?

2019-07-26 20:22:07 | 日記
“思案投げ首”と言う言葉があるらしい。いくら考えても良い考えが浮かばなくて首をかしげている様子をいうと辞書には説明があった。要するに、「ああでもない、こうでもない」と考えがまとまらずに思考がウロウロしていることである。
街歩きをして人と話すと面白いことを発見する。例えば食べ物商売の人やレストラン、いろんな工夫をしていることに気付く。昼のランチ一種類しか提供しない食堂はたくさんの種類の食材を用意することから解放されるし経費も安く抑えられる。とんかつのお店では昼にはサイズが小さいボールを客に渡してカレーを追加料金なしの食べ放題にしているところがあった。商売を軌道に乗せるための工夫をすることに四苦八苦、少しでも集客の役に立てばという“思案投げ首”状態がうかがえる。それでもうまく行くかどうかは全くの未知数。いろんな挑戦を心がけている人は魅力がある。100%うまく行くなどという保証などどこにもない。それでもやってみなければ何も起こらない。
先日、友達と阪神タイガースの欠点を話した。その時の結論は中核を打つ選手の見逃しの三振の多さである。バットは振らなきゃ何も起こらない。バットを振ってみて失敗した選手ほど成功する確率は高くなる。投げられたボールを見逃していては何も起こらない。
生きるということは工夫という“思案投げ首”、つまりは「ああでもない、こうでもない」の苦悩の連続なのである。日常の「ああでもない、こうでもない」を集めてみると面白い。
赤ちゃん育てのああでもないこうでもない、お父さんのゴルフの…、自分の時間を生み出すための…、収入を増やすための…、などなど何事も「ああでもない、こうでもない」の回数が成功を決める
日本から外国に目を向けて“Your struggles develop your strengths.君のもがきが能力(精神力や知力)を伸ばす”という英語の格言の存在に納得する。人種や住む場所に関係なく人は「ああでもないこうでもない」と思案して悩んでいるのである。この苦悩こそ数年後には実を結ぶ高い確率を演出するのだ。