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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

”ともに歩く…”は安心の原点

2018-07-18 20:07:17 | 日記

街歩きで外に出てみると、車椅子で散歩や観光をしているカップルによく出くわす。仲むつましく、ゆったりとしていて周りの人々に安心感を覚える二人組に遭遇するとホッとした気分を味わう。
そうかと思えば椅子を押している人との関係は知れたものではないが、皆さん譲るのが当たり前でしょうとばかりに自分たちを主張する組もある。皆が譲り合って、他人を思いやって生活するには何が必要なのだろうか。今日の日本に何かが欠けていると思うことが多い。
数年前にアメリカ、オレゴン州のポートランド市に学生を連れて夏季英語研修に行ったことがある。その時にWalk beside me, and be my friend.(一緒に歩いてください、そして私の友人になってください)というポスターのようなものを膝に乗せている車椅子の人をみた。ポートランドのMAXという車道を走る電車の中の出来事である。これこそ、人々が社会で共同生活を仲良く楽しむ原点ではないだろうか。

“一緒に歩き、友人になってください”は家族間、夫婦の間でも通じる心で、社会生活を営む人々すべてに当てはまる言葉で安心して暮らすための原点であると信じている。
人間関係で悩んでいる会社勤めの人々もちょっと工夫して、Work beside me, and be my friend. とwalk(歩く) から work(働く) に変えると周りが変わる。最初の動詞をいろいろ違った単語に置き換えてみると、はっとする生き方やユーモアが見付かるかもしれない。

肩を後ろに胸をはる

2018-07-16 20:00:16 | 日記

朝、コーヒを飲みながら、新聞の相談欄に目を通したり、三面記事の事件をたどってみると、人は皆、本当にさまざまな悩みを抱えて生きていることが分かる。かなりの確率で悩みの出発点は人と比べて、自ら自分の欠点を心の中で増大させて劣等感なるものに育て上げてしまうことだ。
人と比べることで劣等感が生まれる。子供の頃から真剣に認識はしていないにしろ、確かに人と比べることを生活の中で教えられたり、比較することが習慣になってしまっていることさえもある。
学校ではテストの点数で人との比較を教えられるし、体育の状業では運動能力を云々されるし、比較材料が山とある。「他人は他人、自分は自分」ということを覚えるまで長い時間や月日を必要とする人がいて、劣等感との格闘に悶える人がいる。一方、短時間でそれに気づいて気楽に生きる人もいる。
われわれ人間の心理状態は複雑で、劣等感とは単に心の状態の一つであると思う。大学で教えていた時によく利用した英語の表現がある。僕がアメリカ留学の時、教科書を読むスピードがアメリカ人とは比較にならないほど遅く、宿題の多さに根をあげそうになったりして相談にのってもらった先生がいた。やはり気にしないで勉強しなさいと励ましてくれた先生だ。それが次の英文である。べそをかいている暇があったら勉強しろ、ということになるのかな。

Keep your head up, shoulders back, and get to work!
頭を上げて(姿勢をただし)、胸を張り、仕事(勉強)にとりかかれ!
(shoulders back という表現は、肩を後ろに引く、つまり胸を張るという意味)

若い時は川上り

2018-07-13 11:36:42 | 日記

先日の夜、ABC―TV 「こんな所に日本人が…」という番組を観ていて感じたことがある。
南米ペルーのアマゾンの源流の街、プカルパという町で暮らす79歳の日本人男性。ブラジルでの原生林の開墾とコショー栽培などを経てペルーへ移住。ペルーでは魚料理のレストランを経営しているという。そもそも南米に移り住んだ理由を聞かれた彼、「若い時は不安より興味…」とつぶやいた。
半世紀も前に単身、渡米を企てた僕も、よく似た感覚を味わっていたのを思い出す。確かに僕の心の中には、大きな不安を抱えながら、興味と何かをしなければ何も起こらない、という信念があったように思う。だらだら若さをすごすより、人生に流れをつくるという強い期待と意志があったのを思い出した。

Life shrinks or expand in proportion to one’s courage. 
(人生はその人の勇気の度合いにあわせて伸び縮みする)アナイス・ニン女史の日記より。 *アナイス・ニン:1903年フランスに生まれた日記作家

ニュージーランドで経験したカヌーライド。流れに乗っている時の楽しくて爽やかな風と川の音。でも流れに逆らって川を上る時の抵抗はきつい。汗だくになってオールを漕ぐ川上りの厳しさを経験しなければ川下りの爽やかさも経験することはない。カヌーライドを終えた時、ふとそんなことを考えたのを思い出す。

つまづくと得ることがある

2018-07-11 20:16:09 | 日記

友達の悪ふざけをしながら滑って転んだ小学生、「やったぁ、100円見つけた」と言って顔をあげて僕の目があった。僕は即座に「やったね。それ、君のもんやで」といって喜んであげた。彼は嬉しそうにうなずいた。「だけどあんまりあばれなや(あまり暴れるのはだめだよ)」と優しく注意した。イトウヨーカドウであった本当の話し。

上記の話しとは少しズレはあるのだが、アメリカでプラス思考の勉強をしていた頃、割と好きな格言の一つであったので無理やり関連づけるようだけれど思い出したのがジョーゼフ・キャンベル(宗教学者、神話学者)の名言。
Where you stumble and fall, there you discover the gold.
[つまづき、転んだところに金(ゴールド)がある]

先ほどの小学生、見つけた100円硬貨、と僕の注意をどのように頭の中で整理しているかは知れたものではない。でも、何かの折に思い出すかもしれない出来事ではないだろうか。
人生は不思議なもので、つまづき、失敗したことから学ぶことは多い。その学びこそがキャンベルのいう金(ゴールド)なのではないだろうか。

追)暑い日が続く。今回の西日本大雨被害にあられた人達が気になる。頑張ってください。

学校の外に真の学びが

2018-07-09 20:29:16 | 日記

大学で教える現役から退いて去年始めた「学びのプラスあるふぁ」というタイトルのこのブログ、学びは学校と結びつくけれど、「プラスあるふぁ」本当の学びは学校以外の日常の中にある。それが理由で書き始めた。人生のほとんどを学校で過ごし、また教えることで過ごしてきた僕は、どこかで自分の考えをまとめようといつも考えていた。それがこのブログだ。このブログ投稿をするときには原点を忘れないようにと自分に言い聞かせながら書き出すことにしている。

ところでこのブログになぜ英語の文章を挿入するのか…、う~ん、なんとなく今風に訴えられる気がするから(?)、そういう面もあるかも知れないけれど、教えてきた英語のまとめという意味と、なんとなく英語は簡潔に意図することを表現できる面もあると思う。世界中の人々が同じような苦しみと人生の変遷を経て現実の今日にいたっているということで、人間である限り人は皆、同じような思いの中で日常を生きているということを再認識することができるからである。

学校の外には浮き沈みの人生がある。やってよかったこと、やらない方が良かったと思うような失敗や反省、知ることは大切だけれど、知らない方が良かったこともある。いろんなことを混ぜ合わせて、人生が成り立っている。
英語では It’s the ups and downs that make life interesting.
[人生を面白いものにしているのは浮き沈みという(アップあんどダウン)である]

☆今回の集中豪雨、罹災された人々に心からお見舞い申し上げます。