学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

赤ちゃんの誕生と名前

2019-09-17 20:01:05 | 日記
テレビ番組の中にその日誕生の赤ちゃんを喜ぶ家族を紹介するような短い番組がある。幸せそうな家族をみると「よかったね。おめでとう」と声をかける。でもそんな映像から視聴者は何を見ているのだろうかとふと考えた。当事者にとってはテレビに登場できて最高の記念になっているだろうが、視聴している一般の人達にとっては特に感動することもないのでこの映像をどのように捉えてよいのかに少しの戸惑いもあるという意見がると聞いた。大きく映った赤ちゃんの写真だけの年賀状を手にする時と同じような感覚である。
他人は、この赤ちゃんが将来何か立派な社会貢献をするだろう、などと期待しながらテレビの画面を見ている人は皆無であろう。でも、これが自分の子供となると話しはちがってくる。この子はきっと将来何かを成し遂げる人になる、きっと素晴らしい人生を送ってくれるだろう、などと期待に胸を膨らませるにちがいない。でもテレビの番組としては何となく押しつけがましくて特に感じることはない。ただ忘れてはならないことがある。“人は皆、何かすごいタレント(能力)を持って生まれてくるWe are all born with a talent to do something amazing.”という事を信じることはすばらしい。自分が赤ん坊の時の写真をみて、そして与えられた名前の意味を考えてみるとき、プラス思考で明日のことを考えない人はいるだろうか。(虐待などはまったく論外である。)
僕の親父が生きていればもう120歳近くになる。彼の名前は“黄波(こうは)”。昔の人は名前に意味を持たせて期待を込めて子供の名前を付けたものだ。稲が穂を付けて黄色い波となって秋の風に揺れる田園のさまを想像してもらいたい。食べることに困らぬように、コメの収穫に恵まれますようにとの願いが込められていたと聞いている。自分の名前にはきっと親の何らかの期待などを込めた意味が付加されているとおもう。僕の名前にも驚くような意味が背後に隠されているのだが、ここで解説することは控える。「個人情報に関する…」などと余計なことを気にしなければならない時代に僕は生きているから???

コメントを投稿