学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

観察力は学びへの道

2019-07-23 16:10:15 | 日記
僕には「ジャンシャン」と聞こえるこの季節のクマゼミの合唱である。寝室のすぐそばにある木犀(モクセイ)の木のクマゼミの朝の合唱だ。ある意味夏を感じながら同時に「うるさい!」とどなりつけたくなりながら朝の目覚めを迎える日がある。誰にとっても朝、目覚めた時の気分や体調は前回に書いたようにとても大切である。
今年は雨が多くて蝉(セミ)は脱皮、羽化のタイミングに苦労しているように思う。うまく羽化できなかった蝉が朝にまだもがいていることを目にすることもあって、どうしてあげればいいのか右往左往しているのがこの2,3日続いている。殻から出ても羽が乾かないのである。羽が乾かないのでねじれてしまって、つまり飛べないのだ。可哀想で泣きそうになりながら頑張れとしか言えない。木の枝に乗せてあげてあとは自然の摂理に任す以外に方法はないのである(脱皮に失敗した蝉には死が待っている、ということをかつて書いたことがある)。タイミングが悪く梅雨の真っただ中や台風のもたらす雨の最中に地中から外に出てきた蝉には実に過酷なスタートと言える。毎年繰り返される庭の木犀の木に起こる歓喜と苦悩の光景である。
“Let’s take the time to examine things around us. 自分の周りを観察する時間をとりましょう”観察することから学ぶことは多い。自然の営みだけの話しではない。人間観察もまた同様に学びの機会を与えてくれるのである。僕が‘街歩き’なるものに興味を覚えて外に足を向けているのにはこの理由がひとつある。自然と“なぜ?”と言う疑問から始まって次々と調べてみたいとか聞いてみたいなどの積極的な学びの姿勢が出てくるのである。
子供の頃の郷愁からか僕はなぜか蝉が好きだ。蝉の抜け殻を5,6個集めては本棚に並べて眺めたりしている。正面から見るとカマキリ状の二本の前足と大きな目がカッコいいと思う。5年程度土の中で樹木の根から樹液を吸って成長して外の世界では10日適度の寿命らしい。卵を枯れ枝などに産み付けて一生を終える。卵は卵で幼虫になって土に潜るまでまた一苦労。短い彼らの一生の生態は不思議である。

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