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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

あれ?今日は日差しに春の匂いが

2025-02-25 17:07:15 | 日記
 朝起床して着替えを始めると同時になぜかクシャミをして水鼻がスーと落ちてくる。これは着替えで肌が寝床の中と外との違いを感じるからであると思うのでこの現象は容易に理解できる。それでも若い頃はそんなことは意識したこともないし実際にクシャミなどしなかったように思う。これもやっぱり肌の機能の衰えと関係があると最近は考えるようになった。子供には幼少の頃「なんで?どうして?」と頻繁に質問する面倒な時期がある子がいると聞いたことがある。エジソンもそんな子で大人にとっては面倒臭い子供だったようだ。例えば耳と鼻の穴は塞がっていないのは「なんで?」。僕の場合は、その理由は目を閉じて眠っている時でも火事の煙や物音が聞こえて危険を察知できるように作られているのだと母親に教わった。
 僕はなぜか昔から匂いには特に敏感で嫌な匂いはすぐに察知できるし、キッチンのガスには特に敏感だ。家庭で使っているガスは液化天然ガス(LSG)で元々は無臭という。ガス漏れに気づかせるために科学物質を加えて匂いがするように作られているという。もちろんガス漏れの危険を察知させるためで、まさに鼻の穴が塞がれていない理由がはっきりと納得の領域にはいる。
 (前置き長ッ。それで言いたいことは?…)最近の世の中は殺人事件、詐欺だの戦争だの、世の中が「嫌な匂いや嫌な音」で溢れている。そんな最中、寒い日が続いたこの一週間に人知れず梅の開花などが報じられてほのかな“いい匂い”が漂ってくる所も出はじめた。耳や鼻は心地よい音や匂いを聞いたり伝えたりする大切な機能を人は与えられたということにも気付きたいと…。

朝シャワーで時間の効率化を知る

2025-02-21 17:12:33 | 日記
 何を思ったか真冬の2月にモーニングシャワーをやり始めた。朝早くとはいわないまでも7時であれ6時であれ目が覚めれば脱衣場を温めて風呂場に走り込んでシャワーを浴びる。アメリカに住んでいる時には理解できなかったこの習慣、アメリカ人はとにかく朝ベッドを出ればその日の最初の行動はシャワーを浴びること。日本の夜の風呂に慣れていた僕はどうしても朝シャワーに馴染めなかったのを思いだす。ま、昔のことはいいとして朝シャワー、これほど高効率のその日の事始めはない。その日のどこかでシャワーや風呂の時間をわざわざとる必要がないからだ。
 効率が良いという意味は個人生活の場面では時間的な効率を言う場合が多い。仕事に関する会社などでの効率化はいろいろ社会問題を引き起こす。業務改善やら生産性の向上という表現に名を借りて働く人より業績や成果に重点を置く方向にむかってしまうからである。効率と言う言葉は注意して使はなければならないものだ。
 話を戻して、シャワーを浴びる時や風呂に浸かっている時にほとんどの人が鼻歌を歌ったという経験があるという。たとえば風呂などでは自分以外の人は誰も褒めてくれない演歌の小節しに聞き惚れるのである。気がついてみれば自分にしかわからない鼻歌唱歌、演歌、に変わって、場合によっては周りの人の迷惑となる。このようにシャワーと効率の二面性とを結びつけたりすることを“こじつけ”という。(頭をポリポリっと掻いて、ま、いいか)

真の意味で時間を買うことはできない

2025-02-18 17:54:59 | 日記
 年齢によって一年という時間経過の速度感覚が異なると聞く。10歳の人にとっては一年は10分の1、20歳の人にとっては20分の1とすると、80代の人には80分の1となる。つまり、歳をとるに従ってその年に応じた時間の感覚があることになる。年の暮れだの正月だのと騒いでいたら「もう2月の半ば、1日がアッという間にー」という声が聞こえてきた。 
 人生の残された時間が気になる歳になって“時間とは?”などと考えたりすることが時々ある。現役の頃には「時間がない、時間がない」と人が言うのを何度耳にしたことだろうか。時間がないという人は言うだけで特に何かを具体的に本気でやり遂げたいというタイプではないのかもなどと考えて、できる限り使わないことを心がけていた頃が懐かしい。つまり時間とは、家という具体的なものを作り上げる大工さん、工芸品に取り組む職人さん、何か自分自身で作りあげることに没頭する人のためにあるのかも、などと考えていたのだ。
 時間については人によりいろんな考え方があるとは思うのだけれど、時間って代金がかからないタダのもの。とはいえお金では交換できないし、一旦使えば払い戻しはできない自分のためにだけある大切な代物(しろもの)だ。何か問題を抱えた時は「時間が解決する」ということはよく聞くが、よ~く考えてみると本当は解決しているのは自分である。時間とひとりひとりの人間とは何かいつも一体のもののように思えるのである。僕の人生の残り時間は未定、少し速度を落としてほしいなー。

なぜか周りに伝えなければならない言葉

2025-02-14 17:24:19 | 日記
 また気になる光景を見てしまった。”ひとり”で帰る小学生、多分、5、6年生。僕は以前から子供が独りで下校する姿が気になって仕方がない。本人はひとりでいることを楽しんでいるのかもしれないのになんとなく寂しげに見えて気になるのである。大人になってからの’ひとり時間’と子供の頃の’ひとり時間’は性質上異なると思うからである。人間は社会生活をする動物、良きにつけ悪しきにつけ子供の頃は特に人間関係を学ぶためには人と接する機会が絶対必要だと思い込んでいる。大人になってからのひとり時間はその性質が全く異なる。自分の考えをまとめたり、周りの人に気遣ったりすることなく、自由というか、ある種の開放感を味わえるからだ。
 現役の頃、人にとって最も大切な人とは、「黙ってそばにいてくれるだけで安心する人」などということを教えられたことがある。ひとり好きの人は大抵、周りの人と混ざり合うことを試みてみた経験を持った人だ。それでもその経験は残念ながら彼、彼女を落胆させるものであることを知ってしまった人であることが多いのだ。
 ところで孤独とは言い変えれば自立という言葉に置き換えることができるもの。独りでいる時間こそ本当の自由を味わえる時である。でも不思議なことに誤解されないために「ひとりでいることが好きである」などと他人に伝える必要があるものかも知れない。山奥で一人暮らすの仙人ならいざ知らず、人生を一生ひとりで暮らすことなどできない。自分の人生を生き抜くためには”日々の心の切り替え”が要求されているのかも知れない。

悩みや不安解消には行動だ!

2025-02-11 16:49:58 | 日記
 何度も繰り返し相談されたりした問題、それは勉強の悩みである。やっぱり悩まなければならない問題なのかなあ。“小耳にはさむ”という言葉がある。特に集中して聞き耳を立てるということではなく聞くとはなしに偶然耳にするという意味だ。電車を待つ駅で、電車の中で、本屋さんで、人の立ち話が自然と耳に入ってくる。会話を聞くとはなしに聞くのはほとんどの場合が女性同士の会話であることが面白い。男性はそれほど大きな声で話さないとも言えそうな気がする。僕は長年教育の場に居たからだろうか、この時節、何度も耳にしたのが小中学生の勉強に関する不満だとか親の心痛、子供が勉強でつまづいているとかいった種のものである。
 いつぞやの中学生の言葉が思い出される。「俺、勉強に向いてないねん」…うん、それはそれでいい。何をしても正解だけれど人生どこかで集中力や持続性、繰り返しの力などは学んだほうがよい。見方を変えれば勉強は案外手っ取り早くそんなことを学べるものだ。
 アメリカでグランドキャニオンを前に座り込んで絶景を眺めていたことがある。川の流れや風は岩を削る。でも必ずしも常に力ずくで削っているのでもない。忍耐強く絶え間ない粘り強さというのだろうか長年にわたる繰り返しの持続というのだろうか、いやしつこさとでも言うのだろうかの結果なのである。若い時は勉強であれ何であれ没頭できるものを見つけて欲しい。何もしないでいると不安が押し寄せてくる。(誰かにとってのアドバイスになったらいいなー)