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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

表情が周りに送るメッセージ

2025-02-07 16:39:56 | 日記
 テレビの国際関係のニュースでは頻繁に顔が映し出されるアメリカのトランプ大統領、そう、彼の顔や表情を見ていて感じた。まずはあまり笑った顔を見たことがない。なんとなく自分のやり方にご満悦、「どうや!」というようなドヤ顔、そうかと思えば自信ありげな表情の裏で周りを気にするような表情もある。その原因は目つきかな、いや顔全体の表情だろうなぁ。どうしても彼の表情が気になるのは急な“思いつき?”かと思わせる発言をする時だ。関税問題もさることながら、カナダにアメリカの州になってみたらとか、グリーンランドやガザのアメリカ所有構想などと飛び出すトランプ節に「好きにして、タコにしてぇ」となんとなく真剣味がなくなってきた。
 表情、顔となると、ずいぶん昔、若い頃に一人の人間は何個もの顔を持っているということをなにかの本で読んだことがある。大人になると、会社での顔や家での顔があるかと思えば、友人に見せる別の顔もある。いくつもの顔を持ちながら我々は生きている。手の動きは人とのコミュニケーションには大きな役割を演じるけれど、やはり表情の上をいくものではない。ところで最近のテレビは画面は下に要点が文字化されて映し出されるのでほぼ内容が理解できる。僕は加齢のせいで耳がやや遠くなってきたものだから、時々やるのがテレビの音をできる限り小さくして映し出される文字や人の表情や動作に集中する。そんなテレビの見方をしていると、映り出された人の周りの人間との付き合い方やコメントの信頼度すらが見えてくる。

節分:宇宙から地球への豆まきが必要だ

2025-02-04 16:14:02 | 日記
 節分(2月2日)の豆まき行事で各地が賑わっている。子供の頃の豆まきの思い出がが蘇ってくる。節分とはもともとは文字通り四季の分かれ目ということであったらしい。節分の翌日が立春とされ今年は2月3日がその日にあたるという。ということで節分を過ぎると徐々に春の兆しがあちこちに見えるようになるという。ところがこの時節、実は一年の最低気温が記録される時期でもあるらしい。寒い!とにかく風が冷たい。立春という言葉がにくらしい。日本国中で見られる節分の豆まき行事は鬼を追い払って福を招くということで「鬼は外、福は内」と叫びながら豆をまく。悪い運気を追い出して良い運気を家に招き入れるなどと教えられたことも思い出す。
 一方、留学を中心にしばらく住んだアメリカではと考えると、もちろん日本の節分のようなものはない。それでも“グッド・ラックGood luck!”(幸運を!)という言葉は時には1日に一度は耳にするほど頻繁に使われている。テストで「幸運を!」デートで「幸運を!」などと頑張れとかうまくやれとかいう意味でも使われて、とにかく便利の良い表現である。古今東西、幸運、つまり福を願う人の気持ちはどこも同じだということが言える。大なり小なり人々はいろんな挑戦ごとなどを未来に持っていて友人を勇気付けたりすることが西洋の行動様式なのだろうと思う。日本人が願う福とはなんとなくもっと広い意味で、家族の無病息災などを中心としたものであるような気がする。いっそのこと宇宙のどこからか地球に向かって「鬼は外」、誰か豆を撒いてくれないかなー。

人が言う「あ~幸せ」を集めてみると

2025-01-31 16:38:50 | 日記
 JR東海の新幹線検査用車両、黄色の「ドクターイエロー」が引退する。ドクターイエローはひたすら新幹線の線路を走り続けて線路の歪みや架線の状態、信号の状況などを検測する車両である。新幹線の縁の下の力持ち的な存在である。この車両の引退は鉄道ファンにとっては大変なことのようで、最後の勇姿を見届けなければなどと沿線や東京駅に大勢が集まって大騒ぎだったようである。「最後の勇姿を見ることができて最高に幸せです」などという人がいた。そう言えばドクターイエローは“出逢えば幸せが訪れる”ということで知られているらしい。
 人の幸せとはなんだろう…風呂上がりのビール一杯に1日の疲れが癒されて、「あ~幸せ」と叫ぶ人がいるかと思えば、散髪を終えてスッキリした気分で外に出て幸せを感じる人もいることも知っている。先日のテレビを見ていたら、寒い早朝に朝ラーメンなるものを求めて長い列に並んだ後にツユをするる時に幸せを感じるという人もいた。「幸せとは?」と訪ねると自分が手に入れたいものを手にした時という定義をする人もいる。僕はと言えば「きょうは勉強になったわ」と言って教室を出る学生を見た時にふと幸せを感じたことを思い出す。幸せとは自分の人生はこうあるべきだなどと考えることから解放された時に感じるものかもしれないと言った人もいた。人が「あ~幸せ」と言う時を集めてみると、ひょっとしたら「幸せとはなんぞや」の答えが見えるかもしれない。最近の僕は幸せとは何もしないで一人で空を見上げている数分にふわ~と感じるものかもしれないと思うようになった。(言うとくけど、人生諦めてるんとちゃうでぇ)

健康の価値とは病気になって初めて知るもの

2025-01-28 17:27:08 | 日記
 政令指定都市の大阪市で全国に先駆けて市内全域で路上歩きなど喫煙禁止ということになった。違反すれば1,000円の過料徴収ということに。喫煙者には厳しいかもしれないけれど、健康や非喫煙者への影響などを考えるとやはり良いことだと思う。
 かつては僕も1日一箱程度という喫煙者の一人であった。タバコを吸っていた当時は男性は大人になるとタバコの煙を燻らしながらのスタイルが映画俳優の石原慎太郎さんやアメリカの西部劇のジョン・ウエインのカッコ良さと重なって皆が吸っていたように思う。それがアメリカで禁煙運動のようなものが強調される時代が来ていつの間にか喫煙のカッコ良さは否定されるようになって皆が禁煙に苦労したように思う。そうだ思い出した。禁煙運動真っ盛りのアメリカ、オレゴン州のポートランド市のストリートカーの停留所、横においてあった灰皿の筒の前で男性がタバコを吸っていた。二人の女性の会話が僕がタバコを止めるきっかけとなったのだ。「タバコを吸うなんて教養を疑うわ」と聞こえてきた。アメリカは厳しいなぁ…と思いながら、そんなことを言われてまでタバコを吸う気が完全に消えた。「よし、禁煙だ!」と心の中で叫んでいた。人のプライドを責めることは禁煙させるためにはかなり効果的な武器だとその時思い知らされた。ところで、大阪市の昼間の人口は約308万人強、そのうち喫煙者は63万人と報道されていた。市内にあるガラス張りの喫煙ボックスを尻目に、なんとその周りに吸い殻のポイ捨てが山とあるのだ。喫煙者の皆さん、人生を生き抜く財産、それは健康だ。どうぞお忘れなく。

自分のこと以外は無関心な人が増えている

2025-01-24 16:20:40 | 日記
 日課となっている早朝の家の周りの溝掃除で今日はポイ捨てが多いのに気がついた。日頃はタバコの吸い殻が数個と飛んできた枯葉程度なのだが、今日はおまけが。乾電池2個、洗濯バサミ、タバコの火をつける簡易ライター、マスクに右手用の手袋一つ、それからよく街で配っている携帯用のティッシュ。チリトリがあっという間にいっぱいに。どういうこと?今日は家庭ゴミの収集の日ではないのであの回収車がこぼして行ったということではないらしい。典型的ポイ捨物ではない手袋や洗濯バサミ、乾電池に頭の中を(?)マークが浮遊する。
 街からゴミ箱が消えて久しい。ゴミは家に持って帰る物という意識付けの役にたっているんだろうか。先日はおにぎりを食べながら学校に向かう中学生が包装紙をポイ捨てする姿を目撃、がっかりしたことを思い出す。人々の公衆道徳意識が地に落ちたと思わざるを得ない。
 阪神高速の高架下をくぐる四つ角で信号待ちの車の窓から手が伸びてコンビニの袋に入った多分弁当やらコーヒーの空き缶をそっと置いて行った車を見た。なんとなくやたらと腹がたつ。自分だけのことが関心ごとで他人のことなどを思いやる心など微塵も感じられない人がいるのだ。街の美化、大きく言えば地球の温暖化などは全くどこ吹く風ということだろう。「チリも積もれば山となる」と文字通りをきつい言葉で伝えてから、本当の意味は”どんな小さなことでも地道に努力すれば思いもしない大きな結果に結びつく”という意味だと伝えて啓蒙したい気分になる。