goo blog サービス終了のお知らせ 

学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

へぇ~木々の落葉は生存競争の一端だって

2025-04-01 16:17:10 | 日記
 アメリカのミネソタ州の友人からメールが届いた。“4月の雨は5月の花を連れてくる”という文でメールが始まっていた。日本でも春のひと雨が周りの雑草に生気を与える、と解釈しようなどと頭に浮かんだのは我が家の庭の雑草の勢いが増すということだ。我が家では4月に入って気温の上昇に合わせて毎年のようにひと雨来るたびに勢いを増す雑草の草抜きに追いまくられるのだ。
 先日の30日、日曜日の読売新聞に秋になると一面に黄色い葉を撒き散らすイチョウの葉にはアレロパシーという化学物質が含まれていて、この物質に覆われた場所には雑草が生えにくいという記事を見つけた。植物や木々などには「他感作用」と呼ばれる能力があって、生存競争に勝つために周りの生物を感じ取ることが出来るらしい。自らの繁栄のために周囲に葉を撒き散らし、この物質に覆われた場所には雑草が生えにくいという。ということは春の雑草に悩まされる人たちはこれを利用しない手はない。場所によっては除草作業の一助となる可能性がある。
 我が家の庭の塀に沿って植えられた5本の樫の木、これらもちょうど今ごろに新芽が開き始めて冬を越した古い葉を周り一帯に撒き散らす。僕はこの落ち葉の掃除に毎日のように時間をとられる。これもまた樫の木の生存競争のための行為なのかも知れないと考え始めた。そういえば思い当たるふしもある。ならば1メートル四方程度に枯葉を敷いて実験して見ようなどと考えた。例によって「やってみよう」の精神を大切にすれば何かを手に入れることがあるかも知れない。

花粉症にはトイレットペーパーが必需品(?)

2025-03-28 17:05:55 | 日記
 昨日は素晴らしい天気。午後には温度も25度となってもう暑さを感じる。春の麗らかな日差しなどという言葉はどこへやらその雰囲気すら感じられない。ちょっと用があって近鉄の東花園駅まで時間をかけて歩くことに決めた。途中にある広いラグビー場公園では子供を含めて多くの人が出てそれぞれサッカーだの散歩だのと自分の時間を楽しんでいる。その中に金髪の外国人女性が二人何かを口に運びながらベンチで会話を楽しんでいる。「どこから来たの?」と聞いてみるとアルゼンチンという答えが返って来た。これはまずい、スペイン語はチラホラ単語はわかるけれど会話などができるレベルではない。Have a good day! など言って早々に引き上げた。
 ところでこの二人組みのひとり、細身の女性がティッシュを片手に盛んに鼻をすすっていた。花粉に悩まされているのだ。そういえば春だ春だと浮かれている人がいる一方で花粉に悩まされている人がいることを忘れていた。アメリカ留学中、授業中に“hay feaver”(ヘイフィーバー)枯れ草による花粉症になやまされているケイトという名のそれこそ金髪の女学生がいた。とにかく鼻詰まりだの水鼻だの涙目だのと授業に集中するどころではない様子が哀れで仕方がなかった。序章が長い今日のブログは本当はこのケイトを思い出したからである。彼女はなんとトイレットペーパーを抱え込んでいたのだ。アメリカ人らしい発想でなぜか感心したことを思い出す。アメリカで有名な“4-WaySpray ”という霧状に噴射される点鼻薬を吸い込んでは鼻詰まりを通しながら「洗濯物は外に干すな」とケイトは何度も僕に忠告してくれた。

Spring has come.―-身体を動かす春が来た

2025-03-25 16:30:20 | 日記
 昨日に続いて今日も気温はぐんぐん上がっていよいよ春本番、どころかそれを通り越して京都では25度にとどいたという。暖かくなると不思議なものだ、明るい日差しと暖かさに誘われて、なぜか部屋の模様替えをしたくなった。何も今日しなくてもいいことだし机などあれやこれやと動かしたりしていると疲れるぞ、という声がどこかで聞こえるのだけれど、それでも体を動かしたい気分が勝る気がする。温度が体に及ぼす影響力は侮れない。動きたくなるのだ。あ~やっぱり冬よりは春や夏、寒い季節よりは暖かい季節がいい。本当に身勝手なものだとつくづく思う。
 もう一つ、なぜかわからないが不意に思い出したことがある。ずいぶん昔、アメリカ留学中、結果はわからないけれどやってみるべきだ、という表現を覚えたことがある。“Give it a try! (やってみれば!)” 端的に文章の解説をすると、a try (やってみること、試み),it (それ、なんでもいいこと)give は与える つまりこの英語の表現をみつめていると、なんでもいいけれど試してみれば、なんでもいいけれど思い切ってやってみればといった意味になる。
 英文解説はこれぐらいにしておいて、模様替えなど「よした方がいいよ」という声が何度も聞こえてくるのに腹がたつ。やはりどこかで自分が歳をとったことを認めたくない心理が葛藤しているのかもしれない。エジソンの名言が頭をよぎる。“人間の弱点は諦めること。成功への確実な道はやってみること”。「よし!やってみよう!」明日は達成感と筋肉痛を味わうぞ!

春分の日、周りがなんとなく慌ただしい

2025-03-21 16:22:01 | 日記
 昨日は春分の日、だいたい毎年20日か21日にその日が当たるらしいのだが、何か家族で特別な思い出などがある人以外は誰もその日を特別な思いを持って迎えるということはない。単に休日ということか。でも長い冬が終わりをつげるような感覚はあるのだが昨日はとにかく冷たい風が春を思わせる素晴らしい天気の下で吹き荒れて、季節感がごちゃごちゃになる。そんな中でお彼岸の墓参りを済ませた。墓参りの背中にやはり春の陽光を感じながら、なぜか春分の日は地球の北半球に住む人には待ち遠しかった日かもしれないが南半球では冬への入り口ではないかなどと考えていた。太陽の中心が赤道の真上を通るのが春分の日の頃というのを思い出したから。
 春分の日は夜と昼の長さがほぼ同じということになるのだが、季節に関しては日本などでは夏に向かい、オーストラリアなどでは冬に向かう秋分の日(広い大陸なので地域によってずれがあるらしい)。日本の真夏は向こうでは真冬、12月になると日本ではクリスマスだのセールだのと大騒ぎ。向こうでは夏、サンタクロースはサーフボードに乗ってやってくるのだからややこしい。
 そんなことより日本に住んでいるのだから日本のこの時節を感じて見ようと周りにちょっと注意を払ってみると、リニューアルの模様替えをする家や、引っ越し業の人達が忙しそうだ。そんな中で花粉症の人にとっては厄介な季節になることはまちがいない。ティッシュ片手に外に出てインスピレーションを高める心の高揚を感じた方が良いとの持論を持って頑張っている人に出会った。冬が終わり春を感じ始めると日本では周りはなんとなくあわただしくなるのだなぁ。

春は「やり直し」の季節

2025-03-18 17:33:07 | 日記
 一年のうちで春はどう考えても春夏秋冬と書くように季節の始まりだ。アメリカでの学校の9月始まりということもわからないではないが僕には収穫を終えた一年の終わりのような感覚を常に覚えていた。その点日本の学校での新学期や会社を通した仕事や社会生活への出発の季節としての捉え方の方がもっと春の意義が感じられるように思う。
 大阪の土、日、月曜日は春の雨が新しい季節への誘いとしてあたりに湿り気をもたらしてきた。よく言われるように春の雨は土の匂いがするといわれるのは乾燥した土に湿り気をもたらし、草木にとっては目覚めを促してまた新しい年の再出発、やり直しである。春の雨があるからいろんなものが生気を呼び起こされて目覚めてくる。春の雨には色々種類があるらしい。軽くハラハラと雪のように落ちてくるかと思えば空の雲の間から薄陽が漏れてくる。そうかと思えば急に雲に覆われた空から音もなくシトシトと落ちてくる小雨、’ひそか雨’とか’こぬか雨’とか呼ばれたりする雨もある。気がつけば周りに新芽の雑草が気持ちのいい緑の絨毯を敷き詰めている。
 さてと、人間にとっても再出発の春は花を植える季節、花を植えることは芽を出す花を想像できて明日への期待や希望へのドアを開いてくれるように思うから。“雨音を聴こう(listen to the rythm of the falling rain)”で始まるロック・ミュージック、ずいぶん昔流行った失恋と再出発を歌った「雨音 」(日本題「悲しき雨音」)を思い出す。…looking for a brand new start…再出発(この場合は新しい恋)を求めて…。