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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

言葉は“普通に”変化する(?)

2025-04-18 16:49:19 | 日記
 早朝に新聞を開く時に「さあ、今日も始まるぞ!」となんとも言えない高揚感を感じる。今朝の新聞は「全国学力テスト問題」に数ページをさいている。どれどれ、先ずは小学国語の問題だ。新聞紙まるまる1ページの問題を45分間で解くことになっている。どの問題もかなりの読解力と僕に言わせれば集中力が要求されている。最後の大問3に到達するまでにすでに疲れが襲ってくる。根気がなくなってきたのを感じる。大問3の内容は“時代や世代によって言葉の意味や使われ方が変化する”という題材で資料を中心に読み込んで問いに答えていくというものだ。
 さて、全体的に何問正解したかは横においておいて、僕が日頃思い当たる言葉の変化というか使い方の違和感というか、(人によってちがうとは思うが)使いきれない言葉が二つすぐに思いついた。“かわいい”と”普通に”という二つの言葉、便利なようには聞こえるのだがうまく使えない。
「あのお爺さん普通にかわいい」ってどういうこと(?)、「あの店のコロッケは普通においしい」って(?)…何でもかんでも“かわいい”で片付けてしまう最近の風潮に、かわいいという言葉の使い方がわかったようでわからない。理由は別に可愛いと思わないものにまでこの形容詞がくっつけられるからだ。“普通”も同様で僕には手強い言葉の一つ。あの店のコロッケは当たり前のように美味しいのかな、それとも辛いや甘いなどが平均的に人に好まれる味という意味なのかな。可愛いは「親しみを感じる」ということかな。それから普通は「当然のように」というような理解のしかたでいいのかな。「学力テスト」、普通にムズイし可愛くない…???

なんでやろ?文句タラタラ大阪万博

2025-04-15 16:24:58 | 日記
 大阪に55年ぶりに万博がやってきた。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」…なんともスカッとしない文言だなぁ。あーそれから無理矢理な意味づけに見えるミャクミャクさん、目があちこちにあって気味悪いなどと厳しい声も聞こえてくる。大阪万博、どうしてこんなに不評なのか分かるような気もしないではない。おまけに追い打ちをかけるように雨に祟られた万博開始の二日間、雨と冷たい風でズボンがずぶ濡れ、物が高すぎる、と次々と出てくる不満の声。おまけに“並ばない万博”といいながら入場に1時間以上も並んでいたという人も。
 僕はとにかく列に並ぶことが大嫌い、盛んにTVで報道される人気ラーメン店の行列をみているとならんでいる人たちはどんな職業の人なのかが気になってくる。だいぶ暇な人達なのかなと余計なことが気なったりする。もちろん個人情報保護の問題でそんなことはテレビではコメントしない。僕は歳をとってなにも急ぎの用はないが、ならぶという行為で失う時間が気になったりする。並ぶという行為は“辛抱”ということを学ぶだろうが体力の浪費以外の何者でもないような気がする。昔のことだがアメリカのディズニーランドのSpace Mountain(スペースマウンテン)は順番待ちの長い列が有名で、長時間の立ちん坊で初めて本当のストレスを感じたことを覚えている。
 今回の万博に関しては短期の利益に目が眩んだかのような側面が目立つような気がしている。日本ではいつもイベントを利用してブームを起こし、短期間で熱が冷める的な傾向がある。未来がテーマなら同時に近隣の地方の文化紹介、活性化などを考えた長期の広い視野が要求されるように思ったりするのだが…。


「習慣」は迷いの無駄時間から解放してくれる

2025-04-11 19:04:54 | 日記
 いつものように僕の朝の習慣、家の周りの掃除や塀に沿って生え始めた雑草抜きをしていたら町内を散歩することが習慣だという老人(きっと僕より若いと思う)に話しかけられた。曜日や時間にもよるのだろうがこの人にお目にかかったのは不思議と今日が初めてだ。別のいつもお目にかかる人は少し認知が入っているご様子で一度捕まると何度も同じことを聞かされる。生まれた年から話が始まって若い時には教師をしていたとか子供の話に及んで僕などは生年月日から息子さんや娘さん、そしてお孫さんの一人の名前まで言えるほど同じことを聞かされた。その人はいまはどこかの施設に入っていると耳にして、言われてみれば彼とはしばらく会っていない。
 今朝の初めて会った人人に話を戻すと、彼は“習慣”が大切だということとを何度も強調されていた。少ししつこさはあるが特に人を疲れさせるような認知の心配はなさそうだ。彼のいうには習慣には良いものと悪いものがあって彼は酒やタバコは悪い方、僕のように朝の家周りの掃除や散歩は良い習慣だという。散歩は習慣になったのでこれをやらないと今日1日の気持ちが前に進まないと彼は言った。かつての大学時代を思い出した。僕は良い習慣とは迷ったりすることもなく自分を前に進ませてくれるものという理解をしている。大学で教鞭を取っていた頃、授業に出ることを習慣化している学生は迷うことなく教室に顔をだしているのだ。学生生活などに失敗する人のほとんどは、先延ばしが習慣になっていたり、弁解をすることが習慣になってしまっった人のことをいう、などというのが僕の持論だ。“習慣”…いろいろ考えさせられる言葉だなぁ。

なぜか人生が見える気もする桜の開花

2025-04-08 16:18:47 | 日記
 春という季節はきまぐれで落ち着かない季節だ。たとえば各地の気象現象、全くばらばらで雹(ひょう)が降って逃げ惑う人々の映像を見たかと思えば、桜の花見でお弁当だのお酒だのとおおはしゃぎ、入社祝いを桜の下でなどと様々な企画で春の到来を楽しんでいる人達もいる。桜の花の満開を祝う人を尻目に場所によっては散り始めた花びらに無情を感じたりする人もいる。春の花、桜はいろんな人々を映す鏡のようだ。アメリカのメリーランド州に住む友人から桜の満開を伝えるメールとすぐ近くのワシントンDCの様子をうつした写真を頂戴した。1912年に日本から送られた桜の満開に日米友好のシンボルとなったこの花を別の意味で鑑賞する人もいる。
 土曜日から始まった各地の学校関係の入学式などは人生のけじめをつける分岐点となる。僕が留学で驚いたのはアメリカには入学式などはもともと存在しないということだ。指定の日に履修届をしたと思ったら、二、三日後には授業が始まっているという具合だ。全くケジメも感動もあったものではない(だだし卒業式は盛大にいろんな趣向も凝らして行われる)。
 日本での入学式は背後に各自それぞれの事情が見え隠れして、分析する価値があるのではと式に参加する度に何度も頭をよぎったものだ。志望校を落ちて本望ではない別のキャンパスでの入学式に臨んでいる学生がいると思うと、入学式とは案に相違して人生は自分の思い通りにいかないことを学ぶ瞬間なのかも知れない。式場の外の景色に“希望の花の満開”が見えますように…

プラクティカル・ジョークと言われる悪ふざけ

2025-04-04 17:41:23 | 日記
 お弁当の「ほっかほっか亭」がツイッターで投稿したエイプリルフールの冗談嘘、“全店舗でライスの販売を停止します”、“価格高騰の波に抗(あがらえ)なくなりました”などと取締役の名前入りの投稿となると誰もが信じてしまいそう。日本では西洋のエイプリルフールは浸透しているようでそうでもないという中途半端な存在だと4月が来る度に感じる。日本では結局、「お騒がせしました。配慮が足りませんでした」とチェーン店が謝るけれど、アメリカでは大うけになるかも。
 アメリカ留学中、僕は友人の学生達から4月1日は全てを疑ってかかれと教えられたのに、この投稿を一瞬信じかけた。4/1はそこら中で値上げのラッシュだの、お米の値段が上がっているなどのTVニュースを見た後だから余計に信憑性がある。コシヒカリ5kgが5年前は2439円、今年の一月には4185円などとその上げ幅は歴然としているなどというニュースの後である。
 そうそう、アメリカ留学時代、忘れもしない大嘘は「今日の授業は先週出した課題のテストから始めます」と教授のサイン入りの黒板掲示や、「きょう午後9時に私は自殺します」と背中に張り紙を貼りつけられて歩いている学生などという「ちょっとやりすぎではないの」という際どいジョークも見て見ぬ振り、大変な国に来たものだとおもったのを思い出す。それでも学生達はこの日は「騙され騙して、笑え楽しめ」、大人は「昔にかえってバカになろう Happy April Fools day!」と馬鹿笑いするのだ。日本人の僕などは中々そうは気安くいかなかったものだ。