goo blog サービス終了のお知らせ 

学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

♪屋根より高い鯉のぼり…おもしろそうにおよいでる♪

2025-05-06 16:34:35 | 日記
 昨日は「こどもの日」、天気も良くて日本各地でさまざまな行事が行われた事だろう。“だろう”と推量の表現で文章を締めるのは自分が子育てが“とうの昔”に終わって子供との関わりがなくなってきているという人生を物語っている(本当は“遠の昔”と書けばしっくりくるのだが遠いという字で表すのは間違いであると国語辞典には記されている)。
 近くを散歩しながらふと思ったことがある。最近は町内で鯉のぼりをみることがなくなったことに気づいた。僕が子供の頃はどことなく誇らしげにそこら中で鯉のぼりが空に向かって泳いでいたのを思い出す。どことなく男の子が我が家にはいるのだ…的な雰囲気があってこどもの日は男の子の日であるような印象があったようにおもう。最近になってこどもの日は男子女子、平等にこどもの日なのだと主張が変化してきたのかな。
 話を戻して、鯉のぼりは風に向かって一斉に同じ方向を向いて空を泳ぐ。へそ曲がり的というかつむじ曲がり的というか、見方によっては人は大人になれば世間に合わせて皆同じ方向を向いて、自分の本心という流れに逆らって泳がなければならない大変さを教えようとしているのだろうか。たとえば川魚は疲れて流れに沿って泳げばあっという間に下流や海に流されて自分の居場所を失ってしまう。屋根より高い鯉のぼり…「敢然と水の流れに向かって泳ぎ、時々岩陰や川の淵の流れの穏やかなところで休むという川魚の習性を手本にしなさい」と子供達に教えているような気がしてきた。(う~ん、なんか意味深、素直でないかな~)

連休は外に出ないで家に居て…

2025-05-02 18:17:20 | 日記
 久しぶりに早起きしたら割と激しい雨が降っている。今日はカレンダーに従うと平日だ。明日からはカレンダーの日にちが赤色に変わって休日が続く。一応は晴れる予想で家族で行楽になどと考えている人たちにはそれなりの連休が期待できそうでよかった。僕はと言えば連休は疲れるだけ、という経験からもう何年も連休は庭の草抜きや部屋の片付けに精を出す。今日の雨で外の作業はできないということで、何年も続けている僕の行動日記などを整理しながら調べてみたら朝夕の肌寒さと日中の暑いとも言える気温の差などは案に相違してほぼ同じであることに気がついた。異常気象で近年の夏の暑さは昔と比べると確かに異常と言えるようには思うのだが。
 ところで僕の日記には「川柳」という項目があり、数ページが各冊当てられている。まず兵庫県の藤原さんの作品が目に入った。「停戦とはそっと撃ち合うことらしい」とあって、ウクライナとロシアの紛争がうまく表現されていて、感心しきり。だっていまだに同じようなことがくりかえされているのだから。さらにページをめくると第一生命保険が主催する川柳コンテストの作品が貼り付けてあった。コンクールの一位は「増えるのは税と贅肉減る贅沢」二位は「物価高見ざる買わざる店行かず」とあり庶民生活の一幕、税や物価高がユーモアたっぷりに端的に表現されている。今日の読売新聞の時事川柳には大阪の中西祥子さんが「おかわりを遠慮しがちな食べざかり」とあり、今年も続いている物価高や高いお米の値段を微笑ましく見事に表現されていた。えーと、僕の今年の川柳は「思いつきとひらめきで世界を揺さぶる大統領」な~んちゃって。

人生は大なり小なり思い切り

2025-04-29 16:17:17 | 日記
 「思い切って行くことにしてん(行くことにした)」「連休に?」…自転車で話す人の会話はいつも大声だ。垣根越しに聞く会話だからそれだけ聞こえて2台の自転車は行ってしまった。万博に行く話だろうか、USJに子供連れで行く話だろうか。別に他人ごと、どこに行こうがお好きなように、ということなのだが「思い切って」という部分が耳に残る。“思い切って”とは何かをする時に覚悟を決めてすることを意味する。僕の人生の中で何度この言葉を耳にしたことだろうか。どうでもいいことが気になるのは僕が関わった大学生に限らず人はそれぞれの一生で“思い切り”が要求される状況が多々あるからではないだろうか。そう、きっと決断の連続が人生なのだ。
 成人して人生の決断の初めを結婚と考えても、それから後にはさまざまな決断の場面が何度もやってくる。もっと単純な日常を考えても、どこかへ行くという決断は今いる場所に留まることをやめることを決めるという作業だ。大学人として論文を書くという作業に悲壮感があった若い頃、ある先輩先生に言われたことがある。「誰にだって最初の一歩がある。気にせずにペンを執れ」と言われたことがあった。大いに勇気づけられた僕はそれ以降、兎にも角にも“やってみる精神”が身についたように思う。それからはなにかに躊躇している学生にはいつもこの話をしては教師として若者を勇気づける方法を身につけたように思う。思い切って最初の一歩を踏み出すことは「失敗するのでは、恥をかくのでは」、などの恐怖の思い込みから自分を解放してくれる。難しいことはさておいて連休はどこもかしこも人だらけ!疲れただけにならないように…

愛想とありがとうに税金はかからない

2025-04-25 17:35:59 | 日記
 女房はスーパーで買い物、僕はスーパーとエレベーターを共有する大量物販店の広いフロアを昔でいうウインドウショッピングで楽しんだ。一階の角にかなりの床面積をもつ園芸店を訪れて手に入れたのがなぜかコーヒーツリーという小さな観賞用の木。本当は成長してコーヒー豆もつける木らしいが日本では単に机の上にでも置いて深い緑の葉を楽しむということで終わるらしい。
 話はその木の物語ではなく、そのお店をひとりで店番や客の対応、掃除をしている50代初めの女性の動きである。彼女にチラチラと目をやっていた理由は、この女性なにか不満か家庭内の問題でもあるのだろうか、とにかく愛想が悪い。“話しかけないで”という雰囲気をもっていて、僕はこの木の育て方などを聞くことをやめて結局購入することになったのだ。「レジお願いします」という僕にまず返事がない。数メートル先のレジカウンターまで一緒に歩いて一言もない。レジでは税込みでの金額を伝えただけで後は「紙袋にいれましょうか」と一言。「お願いします」という僕にまた無口。袋を手渡されたときも無言。“ありがとう”の一言もなく売り場をはなれた経験はたぶん生まれて初めてではないだろうか。僕はというと売り場の店員さんと会話を楽しむ方で、仕事の邪魔にならない程度に気をつけるというタイプ、或る意味面倒臭い客かもしれない。とはいえ「ありがとうございます」にお金はかからない。『気遣いは使うもの、貯めるのはお金』、愛想が良いことに税金はかからない、などと考えながら店をあとにした。 毎日、何か書くことは出てくるものだなぁ。

人生の始まりは皆同じ?終わりは?

2025-04-22 16:21:08 | 日記
 MLBのドジャースの大谷翔平選手に女の赤ちゃんが生まれたというニュースに、「なんか羨ましいなー」「おめでとう」という祝福の声に混じって哲学的に人生の始まりと終わりを考えるような人もいるというようなことを耳にした。どういうこと?
  有名人、大金持ち、そんな親をもって生まれた時から、なんというか、アドバンテージ(有利性、強み)をもって世に名乗りを上げるような人はいる。そんな人には「ま、よかったね」ということになるのだろうが人生、将来はわからないから面白い。うまくそのアドバンテージを利用して生きていく人もいれば、金使いが荒く自分で自分の人生を破壊してしまう人もいる。僕が留学した大学の或る男子学生、大金持ちの家の息子で有名だった。いつも高級車を乗り回して、大学2年生の時だったと思うが飲酒運転で橋から川に転落して命を落とした。時々何故か思い出す。
 元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュ氏(息子)が生まれた時には“銀のスプーンをくわえて生まれてきた”と言われた。あの進化論のダーウインは大金持ちの家に生まれて生活のために働いたことがないという人らしいが生物の進化の研究に没頭して世に名を残した。
 普通の家に生まれた我々一般人はとにかく自分の夢をそれぞれ持って、頑張って(行動力)で生きていく以外に道はない。だって“人生という名の先生”は「現実と夢の架け橋は行動だ」と言い張って教師をやめることはない。