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どこ吹く風

旅のことを主に書く。

黄土高原と壷口瀑布

2007年10月23日 10時57分30秒 | 西安留遊
 黄陵は周辺に山が見える。来る途中でバスは坂を登り始めた、本来なら普通の景色・出来事なのだがだだっ広い平原を走ってきたので上り坂が珍しく感じたのである。西安周辺の平原はこれほど広く高低の無い地域だと改めて実感した。

 バスは高原を突っ切る形で建設された高速道路を走る、数十メートルにも達するであろう橋脚で谷を越えて伸びる道路を走る。このように整備されているので時速100Kmでも120Kmでもぶっ飛ばせると思うが、我がバスは80Km程度しか出さない、満員なので速度が出せないのか、車体が古くてスピードが出せないのだろうか。

 高原を走りながら窓から眺めると、黄土高原は色とその表面の荒れ具合が目に付く。オキナワの赤土のスケールを大きくしたような印象である。それは心和む風景ではなく荒れている、痛々しい自然という印象である、しかしそういう風景が延々と続くとこれも大自然だと見る目が変わってきた。
集落の近くを通ると家々の後ろの崖・斜面に洞窟が見える、これがヤオトンというものだろう。生活の場というより倉庫のように見えた。洞窟にもいろいろあり写真を撮り損ねたがレンガ造りに瓦葺の屋根、その背後に洞窟が並んでいる集落があった。オ~ッと見とれてシャッターチャンスを逃したのは残念至極、自分の判断ミスを嘆くのみです。
帰りに撮ろうと思っても逆方向なので、身動きもできない車内ではどうしようもありませんでした。

 高速から降りて一般道に入る、小1時間ほど走ってこのツアーのハイライトの一つ壷口瀑布に着いたのは5時25分になっていた。川が見え始めると車内はザワついてワクワクしている様子が窺えた。国土が広い中国のこと滝とか急流が見られない地域の方もおられるのだろう。考えてみると狭~いオキナワでも滝を見るにはヤンバルまで出かけて川を歩いて遡らなければ見ることができない。国土が広いとか狭いはあまり関係無いですね。

 滝で小一時間ほど見学タイムがあったのでゆっくり見物できた。滝それ自体はそれなりのものだが、水の色にはこれが黄河か・・というある種の感慨を感じた。案内チラシには黄河壷口瀑布とあるけど黄河という文字が使えるかどうかは疑問がある、あの辺りの川は全て黄河に行き着くだろう、黄河支流の一つではあるが黄河とはいえないのではなかろうか。この事は帰ってから調べて判明したことです、その時はあれが黄河だと思っていました。

 流れている水は濁っているように見えるけど、手にすくうと微粒子が掌に沈殿して透き通った水になる。黄土が混じっているのであのような茶色というか濃い肌色というか、方言ならアカンチャ色と言えば直ぐイメージできる色になっている。それが広い河原の中央部を流れて湾曲した処から滝となって落ちている、滝の奥のほうは水煙を上げて三方向から落ちていく。その横を流れている行く水はこれこそ広がった瀑布となって落ちている。滝の上と同じ高さから眺めるので下からとは違う。茶色の水だが水煙はさすがに白い、茶と白の対比が面白い。滝の近くは川幅が狭いので泡立ち波打って流れているが少し下流では滔々と流れている。

 周辺の山、広い河原その中央部をゆったり流れているのに、足元から滝となって落ちて行く様は九塞溝とは別の意味で素晴らしい景色です。

黄陵

2007年10月22日 06時58分19秒 | 西安留遊
 黄帝は今から5000年前の新石器時代の集落のリーダーだったとされています。黄帝に率いられた人々は中国北部の陝西省を中心に生活していました。ほかの集落との戦争に勝利し、黄帝は主導的な地位を獲得しました。古文書によりますと、黄帝が指導者を務めていたころ、中国は政治、文化、農業、天文、法律、医薬、音楽、数学、文字などの分野で大きく発展しました。このことから、黄帝は中国の文明を発展させたといえます。今はよく中国5000年の文明という言い方をしますが、この5000年とは、黄帝の時代から計算したものです。黄帝は中華民族の始祖だと見られています。
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ALA!中国というサイトの記述です。

 私は黄陵で大勢の中国人が見学している様子を見て、中国人つまり漢民族の始祖として崇められていることは感じた。カン違いしたのはこの陵を漢の高祖劉邦を祭ったところだと考えたことです。初めて漢民族が統一王朝を開いた劉邦の墓だと誤解していた、このマチガイに気付いたのはつい先日黄陵について検索してからです。他所で大声でしゃべる前なのでヨカッタ~
あの風景を見ながら劉邦項羽に想いを馳せていたのが恥ずかしい。

 中国人はでっかい建造物を造るのが好きだが、この施設も大きい。施設というと薄っぺらな感じを与えるけど、広くて長い階段を登ると広場に建つアシャギのでっかいバージョンがある、建物の前の広場の両脇には大きな大きな鼎が並び中国の旗が色鮮やかに風を受けている。とにかくその規模にはビックリ、大理石の照り返しに眼を細めながら上ってきた甲斐がありました。
何も無い空間は儀式用なのか。

 陵までは電気自動車に乗った、これも別料金で10元也。歩いても登れるが歩く気はしません。バス乗降広場からゆったりと歩き始めた。ガイドさんが説明するが全く分かりませんでした。
この頃は同行の皆さんの顔を覚え、ニコッとする程度の仲になっていた。グループから外れて一人別の道を行こうとするとオバチャンが大声で私を呼ぶ。道を間違えたのかと思い戻ると、カメラを渡されてシャッターを切るように言われた、全くずうずうしい。それからはここぞという場所では当たり前のようにカメラを渡された。シャクなので私も写してもらった。

 陵全体が木々に覆われており、小高いところにある遥拝所なのか展望台なのか、そこからも気に遮られて周りの景色が見えない。この場所は何んだろう。
陵としては秦の始皇帝陵や唐の陵を見ているので特別という感じはしないが、大きな建造物はさすが中国と思われた。
 また、廟の周りには参拝を記念する石碑が建っている。蒋介石や李鵬、江沢民のものがあるがこれも中国の風習なのか。

昼食風景

2007年10月21日 08時28分02秒 | 西安留遊
 観光の行き先別に乗換が済み9時前に出発した。西安は大平原のど真ん中にあり丘すら見えない、小高くなった所は陵と思って間違いないと思えるほどだ。秦の始皇帝陵や漢時代の陵墓群を見てそのように感じた。
小1時間ほど走ると遠くに山・・岡の稜線が見えてきた。辺りはトウモロコシに高粱畑が見渡す限り続いている。梨や葡萄も見える。

 ガイドが旅の概略やこれから行くところの説明を長々としている、その後食事代を集めて回ってきた。50元だったが1食ではなくて明日までの食事代のようだ。遠くに見えた丘陵地帯が近づき上り坂となった。景色も平原から高原に変わってくる、黄土高原という言葉が浮かんできた、将に黄土高原だ。土の色は黄土色で我がウチナーのアカンーチャ(赤土)と似ている。もろい土は水に削られて襞となり階段状となっているところに草がへばり付いている。下のほうを流れている川の色も泥流という感じだ。

 途中トイレ休憩を含めて3時間弱で黄帝陵のある街に着き直ぐ昼食となった。勝手が分からず黙って突っ立っているとその席に坐れという仕草をするので席に着く。ウェイトレスが前の客の片づけをしているがその方法が変わっている。テーブルクロスを巻き上げ食器ごと包んで持っていくが下には幾枚ものテーブルクロスが敷かれているので新しいのが出てきた。食器は欠けるだろうが気にする様子は無い。
 我々の食器をもってきたけどスープ椀とお箸だけ、すると隣のオバチャンがお茶を注いだので飲むかと思ったらお箸でグルグル掻き混ぜてそれを痰壷に捨てている。私はどうしたものかと思案していると、私のモノを取って同じようにして返してくれた。

 西安からのツアーであるが参加者は重慶や南昌など各地から来ている、自分が住んでいる地域でもこのような儀式(? 笑)をしているのだろうか。
料理が運ばれてくると、取れと勧めてくれる。野菜が主でその調理は上手くて美味しい、セロリも定番で何処でも出てくる、あまり好きではないが中華のセロリは美味しいと思う特に甘酢漬けのセロリはとても美味しかった。魚の煮付けが出たら小骨をテーブルのナプキンに吐き出すのには驚いた。中にはナプキン無しで直接置く人もいる、もちろん足元にも。スープ椀一つで食べなければならないので止むを得ない。私は小骨をどう処理しようかと思いあぐねて手をつけなかったが、その様子を見て食べ始めた。

 中華料理を食べる時はスープ用の椀が2個、さらに皿にレンゲにお箸が当たり前でお皿は時々交換してくれるのが当たり前と思っていたが、本場中国ではまるっきり違っていた。スープ椀とお箸だけでアレだけの品を食べるのはムリだよ、と思いつつも皆さんは何も言わないのでこれがフツーなのだろう。

 この昼食時間で私にはツアーの仲間意識が芽生えた。

写真説明:レストランの前には果物やオミヤゲ品を売る店が並んでいる。ヒマワリの種(?)を売っている人、美味しいとの説明だったがどのようにして食べるのか・・?
大きさにはビックリ、広大なヒマワリ畑も見えた。

延安へ

2007年10月20日 10時23分52秒 | 西安留遊
 西安は中国近代史でも登場する、有名なものは”西安事件”張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件です。それに学生時代に読んだエドガー・スノーの「中国の赤い星」に出てくる延安も近い。井崗山から国民党軍の包囲網を突破して当ても無く西進することに始まった長征が延安で終り、共産党の指導者毛沢東、周恩来、朱徳、劉少奇などが過ごした地が延安である。長征と呼ばれている国民党からの逃避行というか撤退作戦は、機械工具をはじめミシンや家財道具など一切合財背を負っての行動なので三国志演義を思い出させるような物語であった。

 延安は中国革命の聖地となっている。西安から近いとはいえ300Kmほど離れているのでチョイと行くわけにはいかない。ある日滞在しているホテル内の旅行社のポスターが目に付いた。観光ツアー募集なのだが延安1泊旅行もある。費用は460元とある、内容を聞くと各観光施設の入場料、交通費、宿泊費を含んでいるが食費は別とのこと。日円で8千円か・・かれこれ1万円は掛かるだろうとウミヤミーしたが、このチャンスを逃がすと二度と行けそうも無いので参加することを決意した。
1泊旅行だが、カリキュラムに組まれている土曜の観光に参加せずに翌日曜との二日間で延安へ行けば授業にも差し支えない。
 
 詳しく話を聞くつもりだったが言葉の壁があって、私も旅行社の人もサジを投げた感じで内容の説明を理解することなく契約し金を払う。理解できたことは、外国人向けの外国語によるガイドの説明は無い、というのと食事は含まれていないということだけだった。延安の風景やヤオトン(洞穴住居)を見るのが目的なので説明は無くても眼で見れば分かるでしょうし、食事も食堂があれば何か食べることができるだろうと気にしないことにした。

 朝8時に迎えが来ると聞いてゆっくりしていたら電話があり7時半に行くという、ロビーで待っているとマイクロバスが迎えに来た。まだ市内を走っている時”延安へ行く西佳大廈から乗った人(私のこと)は○○番”とガイドが何か言うが意味が分からない、今夜のホテルの部屋の番号なのかな。暫らく走りホテルから客を乗せながら或る駐車場に入った、何台かバスが停まっており、また到着する。飽きるほど待っていても出発しない、すると別のガイドが何やら呼び出しをしている、延安というのと泊まっていたホテル名の西佳大廈という言葉が聞こえたので手を上げると荷物を持って付いて来いと別のマイクロバスに案内された。
各ホテルから客をピクアップしここで客を行く先別に振り分けているのだ。マイクロバスは満席で私のザックを置くスペースも無い。若い中国人が詰めて足元にザックを置くスペースを作ってくれた。

 私が乗るのを待って出発した。マイクロバスは20数名のツアー客で身動きができないほどキツイ、座席下の足元にもバッグが置かれているので足を伸ばすこともできず窮屈この上ない。飛行場も過ぎて北へ向かってバスは走る。

写真は、旅行社のツアー募集で一番下が延安です。
前日掲載した写真の壷口瀑布も見えます。

バス・タクシー

2007年10月19日 06時46分47秒 | 西安留遊
 西安に電車や地下鉄が無いので交通手段はバスとタクシーになる。
バスは1元を先払いする方式でオツリは無しなので小銭を準備してから乗る必要がある。一度乗ってから行く先違いに気付いて直ぐ降りたけど投入した1元は戻ってきませんでした。
バスで移動しようと思うなら1元の札や硬貨が必要なので、モノを買うときできるだけ1元が手元に来るようにした。例えば7元の買い物をする時は5元や1元札で揃えられるのにわざわざ10元札を出して3元のオツリを貰うようにした。これは大切なことです、お店のネーちゃんからツリ銭を貰うときに”払える小銭を持っているのに・・”と文句を言われたこともありますが、バス賃が必要なのでと厚かましい振る舞いをした。

 少ないですが車掌が乗っているバスもある、これが何故か中型バスなのです。大型バスはワンマンカーでマイクロバスに車掌がいるのは不可解だ、そのバスは1元からオツリがあるので安かったが少ない定員なのに車掌がいるのはヘンだ。出入り口が中央部に1ヶ所しかないので車掌を置かざるを得ないのかな。
 バスに乗ると若者が席を譲ってくれた、数回経験したが何処か面映い面がある。もう席を譲られる年寄りになってしまったのか。敬老精神は未だ健在でした、しかし私としては譲られるよりも譲った方が気がラクだ。

 もう一つの公共交通機関タクシーも数多く走っている。いわゆる雲助タクシーには遭遇しなかった。全てのタクシーはメーター制なので料金をボラレルことも無く安心して利用できた。メーターから伝票が印字されて出てくる。そこには会社の電話番号に始まって日付・乗車時間に下車時間、走行距離、加算金額などが記されていて最後に運賃総額が表示されている。ただそこは中国のこと印字用インクが補充されていないのか全く意味を成さないものも多い。
 記念に持ち帰った伝票を見ると6.3Kmで12元払っている、私の行動範囲はその程度のものでした。市内観光程度なら施設間の移動は10元程度で済むのでタクシー利用がいいのだが、ちょっと意地・見栄を張ってできるだけバスを使いました。

 バスの行く先表示は番号が表示されているので分かりにくい。バス停には番号ごとの運行停留所名が書かれた路線案内が設置されている。まず行きたい場所の停留所名をその中から探してバスの番号を調べてそのバスが来るのを待てばいい。
停留所名を探せない場合は誰かに聞けば(筆談)親切に教えてくれます、中国の皆さんはとても親切な方が多いです。

 タクシーに乗るのも手です。遠回りされた話もありましたがそれによる余分支払い金額も50円分程度です、150円で行けるのに200円掛かったと怒らず、笑って済ませましょう。他所の国では料金交渉からスタートすることを考えると、基本的にメーターで計算する国は珍しいと思います。

写真は壷口瀑布と呼ばれる滝です、流れ行く先は黄河だと思う。規模はそれほどでも無いけど色がすごい。手にすくうと微粒子が沈殿するのが分かる、黄土が混じってこの色になっているだけなので、すぐに透明な水になります。

餃子パーティ

2007年10月17日 10時23分36秒 | 西安留遊
 餃子といえば中国、その中国の中でも北の方にある西安は麺類が多い。郊外へ行くと麦・高粱・トウモロコシ畑が続いていて田圃は見えない。そのような地域なので粉食が盛んなのだろう。

 中国の家庭を二軒訪問し二軒とも餃子をご馳走になった。餃子の材料を準備して一緒に作って食べる餃子パーティを開いてくださった。具の材料は奥さんや旦那さんが刻んでいく、中国では”男子厨房に入る”でごくフツーに調理をするそうです。私たち男性も面白半分で包むのを手伝う。面(中国では麺と面は同じです。)は丸められて発酵させてあるのを棒状に伸ばして黒飴ぐぁー(黒砂糖飴)のように切って広げ餃子の皮を作る。皮作りにも挑戦したが均等な厚さで丸く広げるのはなかなかむつかしい。

 ワイワイがやがやお喋りしながら慣れない手つきで包んでいく、さすがに奥さんは上手に包みスピードも早い、私も包んでみたが具がはみ出たり襞の形がヨロシク無い、でも味は一緒です。(笑)
 バットに三皿並んだところで湯がきはじめた、店を見ても餃子は水餃子か蒸すかで焼くのは見たことが無い。残り物を美味しく食べ且つ温める手段として焼くという話を聞いたが一理あるように思える。

 タレは醤油、酢、豆板醤を各人の好みで混ぜる、つるつると滑るのをお箸で掴みタレにつけて食べた。野菜が主体なのに美味しい。餃子はそれ自体が完結した料理なので他に何も出さなくて良いとも聞いた。日本ではラーメンと餃子、餃子とご飯という風で餃子だけを食べるのは少ない。その日は餃子だけを腹いっぱい食べた、途中餃子の茹で汁が出てきた、お湯に若干の味が付いている程度の味だった。アジクーターに慣れているので物足りなく感じた。お茶代わりということか。

 作る時調子に乗りすぎて作りすぎた、次々と水餃子が出てくる、もうお腹イッパイだがたくさん残しても悪いという気になりムリして腹に納めた。もうダメというほど食べたら夕食も欲しくなく翌朝も食べなかった。

 もう一軒の餃子パーティは夜になった所為かビールがあり、それに出張マッサージもあったり麻雀やトランプなど準備されていたので食べ、飲み、遊びにリラックスと心身ともに満足したひと時でした。
その時は学生さんと一緒だったのでよけいに楽しかった。若さはただそれだけでも好いものですね。

中国の住宅

2007年10月16日 09時29分12秒 | 西安留遊
 我々の団長を務めた方は中国大好きを自認していて十数回も訪中している。沖縄では国際交流センターで研修を受ける中国の方々との交流もあり、西安にも数名の沖縄研修組がおられ自宅に招かれたり歓迎会を持ってくださった。

 その中の一人孫さんが自宅で餃子パーティを開いてくださった。タクシーと孫さんの車に分乗して総勢10名が孫さん宅へ向かった。大勢で押しかけても大丈夫だろうかと内心危惧するところもあったが、そのことを気にしてもしょうがない。まだ街に慣れていないので何処を走っているのか検討がつかない、しかし特徴のある大雁塔が見えたのでその辺りを走っていることは分かった。
 アパートが何棟か並んでいるところで車を降りる、門番のいるゲートがあり扉を開けて入れてくれた。見た感じは古い市営住宅というところ、沖縄なら建て替えの計画があるのでは・・・と思えるほど古い感じがするアパートである。

 階段を5階まで登る途中おめでたい言葉を赤に金文字で書かれたものが貼られているいる玄関があった、ここは中国だ~と実感した。スチールの玄関ドアを開けると中にもう1枚木製ドアがある。奥さんが中から開けて迎えてくださった。
 日本式の玄関部分は無くて直ぐ広い応接間となっている、床は白いタイル貼りで壁も白が基調となり明るい部屋でベランダに面してガラス張りの親親ドアと窓が配置されているので明るい。主寝室ともう一部屋それにキッチンがあり調度品が少なく全体的にスッキリしていて広く感じる。棚にはモノが無い、テレビにビデオセットと家族の写真に数冊の本があるだけでビックリするほど無いあとは白壁が広がっている。それでよけいに広く感じた。

 外観と内部は落差がある、こんなに綺麗で広いとは思わなかった。古い市営住宅をイメージしていたので内部に入ってショックを覚えるほどであった。孫さんは省政府の研究機関に所属しているのでここは公務員住宅だろうか一般市民とは違うのかな。殆んどの家庭が一人っ子なので充分な広さだ。

 別の日にもう一軒別の家庭を訪ねた、その家も広さは違ったが内装はスッキリと仕上げられていた。住宅事情は考えていたよりも良いようだ。
両方に共通することは、モノが少ないということ。我が家に比べて何も無い、例えば・・と辺りを見回すが乱雑にモノが溢れているけどコレというモノは無い、しかしモノがそこらじゅうに散らかっている。中国の家庭ではそれが見られなかった、散らかすモノが無いという印象だ。
 また電気、ちょっと暗いと思っても昼間は電気を点けないようだ、立派なシャンデリアが下がっていたが我々の滞在中スイッチが入ることは無かった。灯りを必要とするほど暗くは無かったが我が家なら、日本人なら点けているだろう。
階段灯も全階が一斉に点くことは無く各階ごとにスイッチを入れねばならない。その街灯はある時間で自動的に消えるようになっている。各フロアごとにスイッチを入れながら降りた。
みなさん電気を大切に使っている。少しは見習おうという気になって寮やホテルで電気を消すようになった。

大雁塔の噴水

2007年10月15日 10時46分07秒 | 西安留遊
 西安は周辺には兵馬俑をはじめ唐時代の陵がありその他にも見るべき地が数多くある。もちろん千年以上も都があった西安なので市内にも名所旧跡が散在している。その中で特筆すべきは大雁塔でしょう、三蔵法師がインドから持ち帰った教典を納めたのが大雁塔です。
 その大雁塔の前にアジア最大規模の噴水ができて毎夜市民を楽しませていると聞いた。初めて見に行った時は全体が見渡せるように大雁塔側のベランダになっているところで見た。空にはレーザー光線が青白い光跡をのこしながらゆっくり動いている。噴水となるであろう場所は巾が60~80mに長さが200mの範囲はあるだろう、浅い池かプールのように区画されていてその周りに大勢の市民が群がっている。区画の中にも人影が見える。
 ベランダの前に水が溜まり始めた、少しずつ水面が上がりやがて深さ2~30cmの仕切りを越えて流れ落ちていく。正面から見ると水のカーテン、滝となっているのだろう。スピーカーから音楽が流れ噴水から水が吹き出てくる、曲に合わせて水の高さが変化する様が面白い。

 ノズルは幾つあるのだろうか、大きなうねりのように見えたり階段状になったり、遙かかなたの入口側では水が前後左右に揺らいる。見ていて楽しかった。ただ私たちが見たベランダからは全体は見渡せるが臨場感に欠ける、もう少し近づき少々水しぶきを浴びた方が面白いだろう。
それで次に行った時は中央部に割り込んで入った。側面から割り込んで最前列に出たけれど、その場より中央部の方が面白そうなので噴水に間、区画が分けられているところまで行った。そこには若者を中心に物見高い皆さんが大勢いる。次の曲が始まり前のほうから放水が始まり押し迫ってくる様に独りで興奮していた。周囲の水が最大の高さまで吹き上がる中に居ると現実を忘れて幻想の世界に入り込む、映画”十戒”の紅海が割れる場面を想い出した。高く吹き上がる水のカーテンは青くなったりピンクに染まったりしながら遠く水越しに大雁塔が浮かび上がらせている。
 毎晩9時から噴水が始まるので西安を旅行する人は予定に入れておくべきでしょう。そして噴水周辺の人ごみを掻き分けて中央部まで行くことをお勧めします。濡れるようなことは殆んど無かったので気持ち好く見ることができました。

 真ん中に入る味をしめてその次に希望者を募って行った時は中のほうで見ました。こういうことはニッポンではなかなか許されない、きっと係員に追い出されるでしょう。でもあそこは中国なので楽しい思いができますよ!

太極拳

2007年10月14日 09時01分11秒 | 西安留遊
 太極拳は2週間で10回、つまり毎日行なわれた。まるっきり初めてなので立ち方から足の踏み出し方など基礎のキから懇切丁寧に指導してくださった。毎日二人か三名の指導者がお見えになり一二(イー アール)と声をかけながら動く。太極拳には幾つかのバターンがあるがその中の十六式というのをやった。
全て中国語で説明するので聞きたいこと、言いたい事が伝わらない。こういう身体を使うものは言葉で説明するのも大切だろうが見て学べが基本のようだからまず真似をする。
本来顔は正面を見据えなければならないが先生の動作を見るために首はあらぬ方向に曲がっている。その辺りを察したのか先生が両手に分かれて立つが時と場合によってはやはり見づらい。

 十六式とは16種類の動きをすると解しても良さそうだ、一つひとつの動作には”左右野馬分髪”という風に名前があり、野原を駆ける馬のたて髪のように・・と解説されている。こういう風に16の動きを連続的にやるのだが、まず順序とカタチを覚えねばならない。ダンスもそうだが覚えの悪い私はあ~でも無い、こうでも無いと足を運ぶが手が付いていかない、なかにはサークルで練習している人もいるがみなさんも似たり寄ったりなので安心した。

 出発前に太極拳の時間がある事を知っていたのでインターネットで検索すると動画付きのサイトがある、二三のポーズを画面を見ながら真似して動いたがやはり直接指導を受けねば分かるものではない。私が見たサイトは二十四式だった、帰ってから比べてみると十六式は殆んど含まれている。
先生が写真解説のパンフを2元で売っているのを買ったので比べることができたのです。インターネットって実に便利で実用的です。参考までにそのサイトはここです。

http://chinalife.fc2web.com/texts/24/index.htm

 太極拳は流れるように舞うように演ずるがそのカタチには意味があり武術からきている。先生の説明は中国語オンリーなので理解するまでには至らないけど動作身振りで分かる。ピシッと決めたところで先生が押したり引いたり或いは突く真似をする、その時ぐらつかないで反撃する動作をすることでその事が分かった。重心移動や腰の入れ方を見て琉舞を習っている人が会い通じるものがあると言うていた。

 ダンスでも同じ、立ち方や上半身の回し方や足を開いて立つ姿勢も同じ事が要求されている感じがする。人間の安定した動作は同じなのだ。お臍を対象とするモノに向けることを心がけて動くと先生が褒める、へっぴり腰にならないように立つと又褒められる。ダンスの姿勢と動きが役立った。ダンスで体が開かないようにと注意されるが太極拳でも同じ。重心を移動するのも同じ、同じだということが気付いただけでもジョートーだ。

 気づいた点を太極拳のサークルに参加している人に告げると、先生格の人に顰蹙気味の目で見られた。(と私は感じた。)
ハイ、私の悪いクセで十を聞いて一も分からないのに、一を聞いて三も五も分かった振りして先輩に物申したくなるのです、小人は。(笑)

漢詩

2007年10月13日 07時24分40秒 | 西安留遊
 高校の教科に漢文というのがあった。今中国語を習っているけど漢文という意識は無い、何が違うのだろうか。
違いは・・・いま勉強しているのは中国語で漢文は日本語というところでしょうか。自分でもはっきりした事は分からないけどそういうことにしておきましょう。

 交通大学では中国語会話の授業以外に習字・太極拳・歴史などが用意されていた。歴史は日本語が上手い金老師が担当して3回6時間の授業であったが、内容が素晴らしかった。長安即ち西安の歴史では、学内に白居易の碑と像があると聞いて後日見に行った、大学が白楽天に縁のある地と聞かされて驚き改めて高校で習った長恨歌を思い出した。どうりで留学生楼のロビーに長恨歌の額が掲げられているのだ。

 最後の授業では金老師が漢詩朗読をなされた、朗々と謳いあげる詩は漢文で習ったものばかりなので興味を持って聞けた。金老師は18歳で交大を卒業した天才肌の方で東京外大の大学院で学び日本文学に通じた先生です。詩吟についての解説を聞きながら妙な気分になった、中国で中国人から日本の詩吟について解説を聞いているのが奇妙だった。詩吟なんて全く知らないのに老師は吟じながらここはこのように上げてサインはこういう記号ですと詳しく説明してくれた。
 これは中国語で朗誦する場合と詩吟で吟じる場合との違いを教えるためであった。中国語は1時1音だが詩吟の場合は訓読みなので音が多くなる、それはそれで日本人が漢詩自分のものする手段としては優れているが原音の音韻が失われていると解説していた。

 そのような説明の後に朗詠があった、前もって配られたピンイン付きの詩は漢文で習った覚えのあるものばかりなので意味・音を合わせて楽しめた、素晴らしい。中国人が詩歌を楽しむとはこういうことだったのだ。

送元二使安西  王維

渭城朝雨潤輕塵   wei4 cheng2 zhao1 yu3 run4 qing1 chen2
客舎青青柳色新   ke4 she4 qing1 qing1 liu3 se4 xin1
勸君更盡一杯酒   quan4 jun1 geng4 jin4 yi1 bei1 jiu3
西出陽関無故人   xi1 chu1 yang2 guan1 wu2 gu4 ren2

 私たちのグループは年漢詩に興味を持つ人が多かった、たんに年よりグループというだけではなくて中国語を学ぼうという意志を持っているし、若い頃の教科の影響もあるのだろう。特に漢詩・漢文好きな方もおられ、会話の授業の最終日に西安の感想・印象を発表したとき漢詩の事を話したら、先生が送別の意を込めたのか上記王維の詩を朗誦した。女性とは思えないハリのある声で響く惜別の情、感激の余りアンコールしてもう一度吟じてもらった。
よかった、これが中国の詩なんだ。

http://www.jzshici.com/audio/ye.wav
ここで金中老師が朗誦している「送元二使安西  王維」が聞けます。

写真は白居易像、琴を奏でる白楽天を見ているブルージーンズの女学生が面白い。

トイレ

2007年10月12日 12時52分23秒 | 西安留遊
初めてバスに乗り鐘楼付近へ遊びに出かけた。鐘楼は東京でいえば銀座4丁目、大阪で言えば・・分からない、ナーファでいえばパレット前という場所でクシャミをしたらお腹に力が入ったのかケツの穴からも予期せぬ音が出た。音だけなら良かったがルクソールの王家の谷と同じ現象が発生した。”マイッタな~”尻の付近が冷たく感じる、ちょっと気持ちが悪いので足を広げるが尻をつぼめておかないともっと出そうな感じもする。足は広げて尻を締めるというナンとも矛盾したカッコウを強いられた。さてどうしよう、トイレに入るならはデパートがいいか・・、それとも帰ろうか。帰るにしてもバスとタクシーのどちらがいいかと考える、タクシーは狭いからもし臭気が出たら困るとアーター歩ッチしながらバス停に向かうと広場にトイレがある。この建物近くを何度も通っているがトイレとは知らなかった。有料だがこれには助かった、トイレでズボンを脱ぎ旅の定番商品紙パンツを脱ぐ、こういう時もあるだろうとリュックにはいつでも紙パンツの予備が入っているし、ポケットには2・3回分のチリ紙がある。ボーイスカウトの標語「そなえよ常に」の精神が生きてくる。
 
 でも王家の谷とは違って人出が多いので気を使いました。(汗)
さて私が西安の繁華街鐘楼付近でルンバウォークならぬアーター歩ッチをしている頃皆さんは如何がお過ごしでしたでしょうか。お出かけの際はくれぐれもトイレで思いっきりぶっ放すなど後顧の憂いの芽を摘んでからお出かけください。

西安に戻って

2007年10月10日 17時28分53秒 | 西安留遊
 九塞溝から戻った翌日の土曜日はカリキュラムに組まれている1日観光があった。語学研修以外に土曜日ごとに西安近郊や市内の名所旧跡観光が組まれている。また平日には習字に太極拳、歴史講座も予定されている。元々オプションとしてあるが私たちの旅費にはこれら全てが含まれていた。

 初めての土曜は半破遺跡博物館に楊貴妃で有名な華清地それに兵馬俑へ行った。どちらも二度目の見学になるが施設の整備が行なわれていた。特に兵馬俑の入口と出口周辺は一変しミヤゲ品の押し売りをする売り子が一掃されていた。兵馬俑セットを千円センエンとしつこく付いてきて無視すると値段を下げて500円が300円になり終に100円で買ったのに、あの姿は全く無くなっていた。売店が整備されて通りもきれいになり客引きが禁止されたようだ。

 大学のバスを使って通訳・説明は日本語学科の学生と阪大の大学院に通っている院生が担当した。この両名にはお世話になりました、感謝しています。
兵馬俑1号館で私は又逸れてしまった、写真を撮っているうちに一行を見失ってしまったので2号館・3号館と探したが出会えない。未だ外に出ていないと思いつつもバスへ行くと誰も戻っていない。また施設に戻り出口から再入場した、その時係員に事情を説明しようとしたが言葉が通じない、それでも何とか再入場させてもらった。まあ皆さんと出会えたが又不評なことをしでかしてしまった。
アルプスではハイジならぬハイ爺、中国では問題児ならぬモンダイ爺となってしまった。
 翌日はパーマをかけに出かけた、パーマやは直ぐ見つかったの値段を聞くと20~40元というので入る。どのような髪型にするかをやり取りするが通じない、ヘアーファッション誌を持ってくるが若者向きなので、手まねで説明するが分かってもらえない。それでも根気よく話して何とか分かってもらい取り掛かった。しかしカールを反対向きに巻こうとするのでチガウ違うとやり直させた。
私としてはフツーのパーマのつもりだが普通というのはフツーでは無いのだ、お互いの常識が違う。このやり方では倍の金額が掛かるという、つまり80元と言う。1200円か・・良いだろうとOKを出す。
パーマは何とかかけたがカットが上手く行かない、要望を伝えきれないので諦めた、お蔭でパーマは掛けても髪はボサボサという感じになった。知り合いもいないのでガマンするか。

 パーマは3時間半も掛かったが未だ2時なので街へ出ることにする。まずバス路線を調べることから始めた。交大南門から中心地の象徴である鐘楼までは612番に乗ればいいことが分かった。バスはオツリが出ないので小銭の1元を常に用意する必要があることを念頭に買い物をしなければならない。

これからは日常の出来事を書いていきます、観光と違って面白くないでしょうが私にとっては大切な記録です。
この初めての街歩きで困ったことが起きました、次に書きます。

写真は小学1年生の国語の本です、漢字だらけ・・・(笑)

バター茶

2007年10月06日 14時50分04秒 | 西安留遊
 九塞溝は谷間に点在する池や滝がきれいです。
雨模様にも拘らず鏡に映しだされた木々の色、清らかな水の色は素晴らしい。風があたらないのでさざ波が立たず池面に映る周囲の景色が乱れることが無かった。アルプスでじ~っと池を睨んで風が止むのを待っていて諦めたが、九塞溝はあくまでも静かに其処に在るという感じだ。底まで透き通っている池には深い緑の山が収まっている、その美しさは多くの池で見られた。

 滝もいい、幾条もの白い飛沫を上げながら流れ落ちる様も見応えがある。滝の上から横から下からと所を変えて楽しんだ。また盆栽が浮かんでいるような景観の場所や葦の河原と多様な姿が見られるのもいい。
九塞溝は益々観光地として伸びるでしょう。美しさを表現する言葉が出てこない、自分自身の言葉の貧困を感じる。この地、九塞溝・黄龍はもう一度妻と行くことにしているのでその時までにはもう少し言葉を学んでおきます。

 九塞溝・黄龍観光は黄龍1日に九塞溝2日の3日間はかけたい。黄龍は自分の脚力で登らずにリフトを使えば半日で回れるので九塞溝への往き若しくは帰りに見ることができる。その程度の広さです。ただ高地の為に健康管理に気を配った方がいい。私は先日も書いたが気力が落ちてただ歩いて下っただけになってしまった。
 九塞溝は右俣・左俣を効率的に回れば1日でも回れるかもしれないけど、二日間堪能した方がいいでしょう。それに風景だけでなくてオミヤゲ品屋を見るのもおもしろい。そこでは是非バター茶を飲んでもらいたい。バター茶はチベット独特のお茶で見た目は悪いが味はマアマアです。話のネタにもなります。
できるなら其処でツアンバも所望した方がいいでしょう。無理に頼めば出してくれます。各々が10元もするので高いといえば高い、でも円に換算すると160円弱なので出せない金額ではない。そん所そこらで口にすることは出来ないのでチャンスを逃すこと勿れです。
 九塞溝園内にレストランがあるが40元のバイキングスタイルです。あまり美味しいとは言えない。天気が良ければ景色の良いところでおにぎりを食べた方がいい、おにぎりが買えればの話だが、それに代わるものでもいい。

写真はバター茶です、見た目といい色といい不味そうですね。
飲んでみたらそういう懸念はなくなります。

研修旅行の目的

2007年09月30日 10時43分14秒 | 西安留遊
 この旅は語学研修を目的としている。
しかし年より集団のグループはもう一つ観光にも重きを置いていた。私だけではなく皆さんもそのように考えていたようだ。
前にも書いたが一瞬は勉強だけにしようかとも思ったが誘惑には勝てない。それで西安到着後の翌々日その週の授業をすっぽかして黄龍・九塞溝へ出発した。


 日曜日の夜到着して翌月曜日は入校式とクラス分けを行なった。初めから上のクラスを目指していた団長はともかく、試験で良い成績を取って別のクラスに回されたが戻ってきた人の二人を除いて私たちは初級も初級、基本の基のクラスとなる。
午後から生活に必要な箇所、食堂とか郵便局それに学内の案内があった。食堂は何ヶ所かあり回教徒料理を専門にする食堂もあった。また広い構内は公園風に整備されたところが何箇所もある。

「飲水思源」というのが大学のモットーのようで、その碑が建っていた。この言葉は日中国交回復の頃に聞いた覚えがある、此処がこの言葉とどのような関係があるのだろうか。
 夜は歓迎宴が設けられてたっぷり食べ且つ飲んだ。後日知ったのですがこのホテル、四つ星と思われるがここも大学の付設のようです。今日は数十年ぶりのテストがあり一生懸命取り組んだの疲れた。でも学内見学と晩餐で疲れが吹っ飛びました。


 語学研修を強く意識したのかヘンな現象が起きた。上海から西安へ向かう飛行機で隣に坐った青年が英語で何処から来たかを聞いてきた。私は「にっぽん、ジーペン、japan」とアタフタと答えた。そこで「アナタは何処の人ですか」と聞こうとしたが英語が出てこない。こんなカンタンな言葉なので出てこない、そのクセ中国語のその言葉は分かる。自分でも妙な事になっていることを感じる。韓国人だと分かって「北関山に登ったことがある」と言おうとしたが英語が出てこない。モタモタしながら何とか大意を伝える、どうして英語が出ないのか不思議だ、出来ないはずの漢語ならその程度の事を伝えられる、不思議だ。
妙な経験をしました、アタマが中国、中国と固まっていたのでしょう。

 明日からは講義をサボって黄龍・九塞溝へ観光旅行へ出かける。オキナワからそこへ出かけるとなると20万円掛かる。西安からだと8万円なのでこの際見ておこう。妻ともう一度行くことになるから事前調査という大義名分を立てて参加することにした。
旅行については別項で書きます。

写真は北門(正門?)の正面にある飲水思源の碑です。

西安での一歩

2007年09月29日 08時44分36秒 | 西安留遊
 私たちが語学研修を受けるのは西安交通大学です。交通大学と名が付いていますが総合大学で100年余の歴史を持っています。
後日聞いた話ですが、語学研修のカリキュラムを持っている大学は北京や上海にもあるようですが、老人を受け入れる大学はここだけだそうです。たぶん団体としてということかもしれません。年よりは病気の問題があるので敬遠するのも分かる、でも自分が老人の部類に属するようになると笑ってその話を聞きながらも寂しさを感じる。

 留学生公寓は5階建てで各フロアに住居となる部屋と教室がある、4Fには食堂もある。100室を越えているので200数十名が漢語を学んでいると思われる。専任教師が9名と時間講師も数名いるようだ。入学時にテストを行いクラス分けがある、能力に応じて1~5クラスまであり半年間マジメに過ごせば3ないし4クラスまで進めるでしょう。

 私たちも一応テストを受けたのですが特別室で特別授業となりました。授業のことは置いとくとして生活面では何の不自由さも感じなかった。ふた間続きの特別室が2・3室ありそこには夫婦者が入り残りの6名は個室に入居した。バストイレが付いていて広さもアレでよしというところ。相部屋もあり殆んどがそのタイプのようだ。
各フロアに湯沸しが設置されていて24時間熱湯がある、部屋には魔法瓶があるのでコーヒーを飲んだりラーメンを食べる程度なら不自由は無い。
洗濯は洗濯機が1台だがあるのでそれが利用できる、ただ何時行っても回っていて朝早くでないと使えない。しかし学内の近い所にクリーニング店が2ヶ所あり一袋分で5~10元でアイロン掛けは別料金となっていた。料金は見た目で決めているので、高~いと喚くと安くしてくれた、好い加減なものです。

 食事は寮内にもあるが高い、昼メシで5元もとる。ハス向かいの学食ではその半分の金額で食べられるしメニューも豊富である。学食はプリペイドカードが無ければ利用できない、2万数千人の学生が原則全寮制なので相当合理的なシステムで無いとアレだけの人数を捌けない。しかも食堂は朝・昼・夜の食事時間しか開いていないのでその混雑振りはタイヘンだ。しかしそれだけの人員を捌く能力もある施設です。
麺・包子・餃子・炒め物・米類にその他諸々のコーナーが10数箇所ある、食べたいものの列に並びカード差し込んで清算する、さもなくばコレだけの人数は処理できないだろう。
 朝食はお粥が1元、何も入っていない饅頭が0.1元/1個なのでそれだけで充分、昼は野菜や肉などの炒め物2・3種とご飯で3元前後と生活費食費は安い、その気になれば1日150円もあれば充分食べられる。街に出ても餃子が一皿3元、麺類もその程度で食べられる。(1元は16円弱) 私は焼き鳥屋で串を15本ビール大瓶1本飲んで10元からオツリが来る毎日でした。

 同行の人たちとレストランに入っても店を選べば一人当たり20元出せばビール付きとなる。私は屋台派なので夕食は4元というところ。食い物が安いのは食料品の基礎となるものを物価統制していると思われる。ヤマトの国のビンボウ人にはありがたかった。

 ビールはマチヤ小(まちやぐぁと読み小さな店のこと、オキナワの言葉です。)で3元で売られている銘柄が焼き鳥屋でも3元である、ヘンだが私にとっては好都合なのでよく通いました。

写真は学生食堂の一部です。3Fには安くて美味しい食事を出している個室もある。またスーパーや果物、電気店などもある。中国のDVDはニッポンでは見ることが出来ないのでDVDプレーヤーを買った人もいた。