goo blog サービス終了のお知らせ 

どこ吹く風

旅のことを主に書く。

下調べ

2005年08月22日 08時45分05秒 | 旅-マニラ
 今回(‘05.3.8~3.14)のフィリピン旅行を思い立ったのは、新聞広告だったか旅行社のチラシだったかで”マニラ AIR & HOTEL”の安いツアーを知ったからである。
フィリピン航空が就航して以来マニラが近く安くなったので、また行きたいと常々考えていた。しかし先立つものがないので旅行社から貰ってきた案内チラシを眺めて気分だけを味わっていた。

 往復航空賃と4日間のホテルの素泊り料のみだが、¥58.000~99.000となっている。料金の差は出発の曜日とホテルのランクによる違いである。それに延泊の場合も一番ランクの低いホテルは、¥3.500である。
1週間の旅でも、68.500 なら国内旅行よりも安い。食事と交通費を1日当たり5.000としても10万円で1週間の旅ができる。

 行きたいな~と思っていたら妻と娘が旅行へ行きたいと話している。そこでマニラを提案したら乗ってきた、うふふふふ・・・
案内役ということで旅費を出してもらえた。

 早速あれこれ調べ始める。まずホテル選び、ランクがA~Fまであるので一番安いAクラスの比較をする。しかしインターネットとフィリピンの古いガイドブックとではと同じホテルなのに名前が違っている。新しいガイドブックを買ったほうが良さそうだと本屋へ行くと、数社の世界各国・観光案内書がずら~っと並んでいる。どの出版社が良いのかな、とフィリピンもしくはマニラを探す。しかし見当たらない、見逃しかと思い今度は念入りに見る、見当たらない、見逃しではなく無いのだ。

 一番大きな書店だと思ったのに品切れか、しょうがないと別の本屋へ行く、無い。品切れではなく仕入れていないのかもしれない。意地になりあちらこちらの本屋を巡ると1冊だけあった、初心者向けという感じの内容の浅いガイドブックが。
フィリピンって人気が無いことを改めて認識した。

 観光地のとしてのフィリピンは、見るべき場所、食べ物など素晴らしいものがある、しかしフィリピンは怖い、アブナイなどの悪いイメージが大きいのだろう。そういえば旅行社のチラシ、パンフレットもフィリピンに関しては殆んど無いのが実情だ。せいぜい紙1枚のペラペラで1色刷りしか置いていない。フィリピンに行こうということ自体が憚られる雰囲気なのかな。

 そのようなイメージのフィリピンに家族旅行、それも1歳にならない孫まで連れて行くのは、ある人に言わすれば無謀ということだろう。ある種の危惧・不安は持たれていても本当は良い場所なんだよなフィリピンは。

 ガイドブックはある程度新しくないと役に立たない。例えばMRTは古い本には載っていない、ホテルも名前が変わるようだ。A(安い)コースのホテルはマニラパビリオンとトレイダースホテルからの選択なので、リサール公園近くのマニラパビリオンに決めた。

 またライステラスを見たかったので日程も1週間とした。これで市内および近郊の観光ができる、バナウェイのライステラスが1泊だけではキツイとおもうがしょうがないか、それと迷ったのがバグサンハンの滝見物、小舟で川を遡るのは面白いが、フィリピンの一番嫌な面と戦うのは疲れる。今回は止めて置こう。
バグサンハンの嫌な面とはボートマンとのチップ論争である、これでボラレタ日本人は多いだろう、そのためにフィリピン嫌いになった人も多いだろう、行きたい所だがイヤナ場所でもある。

 旅は現地でも楽しいが、事前の下調べもまた楽しい、ワクワクしながら出発を待った。

写真は、マニラ湾の夕日

フィリピン・マニラ

2005年08月21日 09時42分12秒 | 旅-マニラ
 初めてマニラを訪れたのは1990年だった。たしか2月だったと思う。暑かった、当時は電力事情が極端に悪く毎日停電が起きた。店では路上に置いた発電機を回す対策を採っていた。発電機が無いところは暑さや照明を我慢せざるを得ない。クーラーが切れて暑くなったので窓を開けるとムッとする熱気が入ってきたので慌てて窓を閉じたこともあった。
 車も冷房は付いていたがあまり効かず窓を開けるとヘアードライヤーを顔面に吹き付けられたような感じがしてビックリした。あの暑さは尋常なものではなかった。それでも精力的に街を歩いた。仕事で行ったのだが、その仕事が公言できる無いようではないので詳しくは言わないが、犯罪とかその類ではなくヨタ話的な部類なので大っぴらに言うのが憚られるのである。

 私はある人の企画の補佐的業務をするために付いていったのである。他人の金でマニラを楽しんだということだ。ただし旅費は出してもらったが、それ以外の報酬は貰っていないし旅費相当分は仕事をしたつもりなのでお互いフィフティ・フィフティで恨みっこ無しだ。つまりこの企画はダメじゃないかと内心思っていながらスタートしたので後日いろいろあった、その言い訳的な意味も込めたフィフティ・フィフティ発言である。

 私としてはマニラを、フィリピンを知る機会を得たことをその方に感謝しています。

 当時の私は何処かへ旅するときは勉強して出かけた。ガイドブックを数冊買って読み、図書館でその補充をしてとフィリピンのことを読んだ。付け刃であっても予備知識があるのと無いのとでは違う、楽しみ方が違うと思っているアレコレと本を読んだ。フィリピンは英語が通じるのでナントカなるが出来れば現地語も少しは知りたいと思いガイドブックのチョットした単語や会話の項を読んだがそれだけで覚えるはずも無い、ムツカシイと思いながら一応読む。タガログ語の会話本を買って持って行った。

 何処の国でも外国人が自国語を学ぶ姿は嬉しいようで親切に教えてもらえる。言葉というても食べ物の名前と地名、それにカタコトの挨拶でも親密度が増すし、手前味噌だが理解が進んだ気にもなる。独りよがりのことでも自分なりに努力している気分を味わい、楽しめればいい。
言葉は分からなくても地図を片手に行きたい場所にいけるし、食事も身振りで注文できるので言葉は必須条件ではない、しかし少しでも知っていた方が良いのは自明の理、でもこれだけ英語を学んでも話せない、書けないのにこの年になって新たな外国語なんて笑い話にもならない。それは分かっていてもチョッカイを出したくなる性格です。

 結果は10くらいのセンテンスと2~30単語を覚えただけです。数字は1から3までは言える。威張れないか・・・
 
 現地スタッフにジプニーやバスの乗り方を教えてもらい利用した。TAXI利用でも300円で行けるが20円で行けるバスがいい。ヒマになったら当てもなくジプニーに乗った。終点まで行き戻ってきたり、途中で面白そうな場所が来たら降りて歩いたり、ただそれだけでも面白い。

 楽しい思い出があるマニラに数ヶ月前に家族旅行した。妻・二人の娘に孫の5人旅、孫は1歳なので実質的には4人だ。
何でフィリピンに・・・とか危なくない? とかの言葉も聞かれたが、楽しい旅になることは間違いないと確信して出発した。

写真は、パビリオンホテルからリサール公園・大蔵省、キアポ方面遠望