雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十六回 三太郎、父となる

2015-01-16 | 長編小説
 佐貫の屋敷、鷹之助と亥之吉の声を聞いて、奥から鷹之助の妻、お鶴が前掛けを外してたたみながら出てきた。
   「亥之吉さん、ようこそ、いらっしゃいませ、妻のお鶴です」
   「初めてお逢いしましたが、お噂は三太から聞いております」
   「まあ、三太ちゃんが?」
   「鷹塾へ来る時は、鷹之助先生、たいへんたいへんと叫びながら入って来たとか」
   「そんな恥ずかしいことを話したのですか」
   「がらっ八のお鶴だと言っておりました」
   「失礼ね」
 鷹之助が笑いながら言った。
   「それを三太に教えたのは、わたしですよ」
   「もう、酷いわ」
 
 奥から小夜も顔を出した。
   「いらっしゃいませ、亥之吉さんは三太郎の良き武芸の好敵手ですってね」
   「いえ、好敵手やなんて、いつも手玉に取られております」
   「嘘仰い、三太郎は亥之吉さんのことを、『商人(あきんど)にあんな強い人は居ない』って言っていましたよ」
   「一度くらい私が勝ってから、それを言って貰いたいものだすわ」
   「そうですか」

 ご飯が炊ける良い匂いが漂ってきた。
   「あら、ご飯が炊けたようね、お鶴さん、あなた行って火を引いて頂戴」
   「はい、お母様」
 お鶴は、すっかり佐貫の嫁に収まっているようだ。
   「この夫婦、一度も喧嘩をしないのですよ」
   「仲が良ろしいのだすな」
   「偶には喧嘩もしなさいと私がけしかけても、夫婦して笑っているだけなのですよ」
   「そうだすやろ、なにしろ夫婦である前は、先生と塾生だしたのやから」
   「その所為でしょうかねぇ、ところで亥之吉さん、お帰りは一人旅ですか?」
   「いえいえ、ちゃんと伴は信州佐久の三吾郎という旅鴉を用意しております」
   「あなたは一人旅が出来ないのでしょ」
   「ま、当たりってとこだすか、よく道に迷いますからなぁ」
   「道に迷ったら他人に訊けばいいのです『鼻の下に口あり』と言うでしょう」
   「そらそうですわなぁ、鼻の上に口があれば、恥ずかしくって道を訊けしまへん」
   「誰がそんなお化けの話をしているのですか」
   「奥様、それを言うなら『鼻の下に地図あり』だすやろ」
   「あら、そうだったかしら?」
 お鶴が皆を呼びに出てきた。
   「お化けといえば、三太ちゃんは幽霊が恐くない癖に、お化けは恐がりましたねぇ」
 亥之吉は、鼻の上に口があるお化けを想像して、「ぶるっ」と身震いをした。自分も三太と同じだと言いそうになって、口をつぐんだ。
   「お食事の用意が出来りました、お茶の間へどうぞ」 

 
   「ただいま」
   「お母さんお帰り、佐貫のお屋敷で亥之吉さんと出会いませんでしたか?」
   「いいえ」
   「道の途中で会っていませんか?」
   「会っていてもわかりませんよ、だってそうでしょ、わたし亥之吉さんを存じませんもの」
   「そうでした、亥之吉さんは、長い棒を担いでいます」
   「それなら会いました、何だか痴漢のようでしたので、路地に隠れて遣り過しました」
   「お母さんが痴漢に襲われる心配はありませんよ」
   「まあ、失礼な、これでも女ですのよ」
 緒方三太郎と、三太郎の実の母お民の話を聞いていた信州佐久の三吾郎が、ぽつりと言った。
   「母子って、いいものですね、あっしは早くから家を飛び出して、親の死に目にも会うことができませんでした」
   「私達母子も、波瀾万丈でしたよ」
 三太郎も遠い昔を思い出した。
   「だって、お侍さんのご子息だったのでしょう?」
   「いいえ、お江戸貧乏長屋の小倅で、町人ですよ、わたしは」
 母、民が指でそっと目頭を抑えた。
   「四歳の時、父に捨てられて寺の床下で独り寝泊まりしていました」
   「ええっ、そうなのですか、そんな風には見えません」
   「人の運命など、どこでどう変わるかはわかりませんよ」

 翌朝、佐貫の屋敷から亥之吉が戻り、三太郎に鵜沼の卯之吉のことを頼み、亥之吉と三吾郎は名残を惜しみながら、『信州小諸藩士山村堅太郎にひと目会ってから江戸へ帰る』と旅発った。

 上田から小諸にかけて暫く歩くと、あとから五・六人の男たちが追ってきた。
   「亥之吉さん、奴等ですぜ」
   「あの、ゴロツキどもか」
   「へい、浪人者を一人雇ってきたみたいです」
   「使い手のようや、三吾郎さん気を付けとくなはれや」
   「へい」
   「浪人者はわいが相手する、その間、あんさんは刻を稼いでおくれやす」
   「わかりました」
   「一時、逃げても構いまへんで」

 ゴロツキの中に親分が居ない。どうやら危ないことは避けて、指図だけをしているようだ。
   「先生、この天秤棒野郎をやつけてくだせえ」
   「よし、お前らは下がっておれ」
   「へい」
 浪人がギラリと刀を抜いて亥之吉に向けた。幸いなことに、ゴロツキ共は三吾郎のことは眼中にないらしい。
 亥之吉は、天秤棒を頭上に構えた。浪人が刀を左から右へ払ってきたのを亥之吉は一歩後ろへ飛んで体をかわすと、天秤棒を浪人の左上から右下斜めに振り下ろし、浪人の左腕をピシリと打ち付けた。浪人は「あっ」と声を漏らしたが、体は崩さずに刀を我が身に引きつけた。
 その時、ゴロツキどもが我に返り、三吾郎を取り囲んだ。亥之吉は「やばい」と思って三吾郎を庇いに行こうとしたとき、馬の蹄の音が近づいてきたのに気付いた。
   「三太郎先生、どうしました?」
 亥之吉は態と大声を出した。ゴロツキどもの気を引きつける為だ。馬上の人は、やはり緒方三太郎だった。
   「亥之吉さんこそ、真っ直ぐに帰らないで、どうしてこんな所で油を売っているのだ」
   「へえ、こいつらに油を買わされているのだす」
   「賭場のゴロツキどもだな」
   「そうだす」
   「よし、わしがその浪人を引き受ける、亥之さんと三吾さんは、ゴロツキを追い払いなさい」

 三太郎は、馬から降りると抜刀して浪人者に立ち向った。
   「貴様は何者だ」
 浪人者が三太郎に尋ねた。
   「上田藩士、緒方三太郎だ、おぬしは何者だ」
   「元、上田藩士、今は流れ者の用心棒谷中為衛門だ」
   「思い出したぞ、藩侯に反逆し、佐貫慶次郎に捕らえられた家老の手下か」
   「そうだ」
   「拙者は、その佐貫慶次郎の倅だ」
   「そういえば、慶次郎の傍に、小さいガキが居たな」
   「それだ、それが拙者だ」
 浪人者のかねてよりの仇敵(きゅうてき)は病死したが、ここでその息子に出会うとは、切腹した家老の引き合わせだと意気込んだ。
   「そうと分かれば手心は加えぬ、そのつもりでかかって来い」
 ここで三太郎は刀の峰を返すところだが、まるで父の敵に出会ったごとく、険しい表情で挑んだ。浪人は、三太郎の気迫に一瞬怯んだが、気を取り直して刀を上段に構えた。
   「えーぃ!」
 浪人は、渾身の力を刀に込めて打ち込んだが、三太郎の太刀捌きに幻惑されて、浪人の刀は空を切った。その太刀が再び上段に戻らぬ隙に、三太郎の太刀が浪人の肩に食い込んだ。
   「うーっ」
 浪人は唸ると、その場に崩れ落ちた。
   「安心しろ、峰打ちだ」
 三太郎の刀は、浪人の肩に食い込む寸前、峰を返していたのだ。
   「だが、お前は謀反人だ、このまま逃す訳にはいかぬ、連行して藩侯の裁きを仰ぐ」

 亥之吉はと三太郎が振り向くと、賭場の門口で襲ってきた時と同じく、ゴロツキ共は土の上に転がされていた。
   「序だ、こいつらも藩のお奉行に裁いて頂こう」
 総て数珠繋ぎにされて、三太郎が馬上で綱の先を持ち引っ張った。
   「ところで、三太郎先生は、わいらに何か用が有ったのではおまへんか?」
   「そうだ、そうだ、肝心のことを忘れておった」
 三太郎は笑いながら言った。
   「母と弟子がお二人の為に作った弁当だ、持っていってくれ」
   「わたいらに弁当を届けてくれる為に、態々馬を飛ばして?」
 三太郎は少し声を潜めて、照れながら言った。
   「今朝、わしの子が生まれたと知らせがあったのだ」
   「おめでとうございます、それで男の子ですか?」
   「いいや、女の子だった」
 だからと言って三太郎はがっかりしている様子などなく、満面に笑を浮かべていた。

  第二十六回 三太郎、父となる(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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「第九回 卯之吉の災難」へ
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