雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十二回 三太の分岐路

2015-01-08 | 長編小説
 ここ江戸は京橋銀座、雑貨商福島屋の店先、午後のひと時、ふっと客足が途絶える時間がある。お客を門口までお送りした後、三太はお帳場座卓に座って帳簿を調べているこの屋の女将、お絹の前にペタンと座った。お絹の作業が一区切りついたところで、三太はポツリと呟いた。
   「旦那さんの帰り、遅過ぎます」
   「何や? 旦那さんがおらへんと寂しいのか?」
   「いや、聞いて貰いたい話があるのだす」
   「何も旦那さんやのうても、わたいが聞きましょ、話してみなはれ」
   「へえ、それが…」
   「旦那さんやないと、話されへんのだすか?」
   「そんなことはないけど…」
 三太の態度が煮え切らない。
   「こう言うてても、すぐ帰りはるやろ、もう四・五日待ちなはれ」
   「それが…」
 聞き質してみると、先日大江戸一家へ塩を納めに行ったとき、貸元の妻お須磨姐さんになにか言われたらしい。
   「わいに大江戸一家の養子になって、一家を継いで欲しいと言われました」
   「よう養子になれと言われる子やな、奈良屋の後家さんにも言われたのやろ」
   「へえ」
   「それで…」
   「それでって?」
   「三太らしくないなァ、三太の気持ちはどうなんや?」
   「それが…」
   「また、それが…か」
 お絹は、三太がどちらを選んでも反対はしないつもりだ。
   「三太が江戸に来たとき、旅鴉の格好やったな、任侠道に憧れていますのか?」
   「わかりまへん、けど、あの格好をしたのは遊びだす」
   「何も思案することあらへんがな、嫌ならはっきりと断れば?」
   「面白いかも知れないし、恐いかもしれへん、はっきり断われないのだす」
   「何が恐いのや?」
   「えんこ詰めとか…」
   「あほらし、それで旦那さんに相談しようと帰るのを待ってますのか」
   「へえ」
 お絹は、はたと思案が閃いた。きっぱり足を洗って商いに精を出す政吉に相談させようと思ったのだ。政吉なら任侠の渡世も、堅気な渡世の情趣も知っている。さっそく暇な時をみて、神田の菊菱屋の店に菓子折りを持たせて三太を行かせた。

 菊菱屋の若旦那と、小僧の新平が何やら談笑をしているところであった。
   「ごめん、お邪魔します」
   「何や、親分か」
   「何やはないやろがな、折角食べてもらおうと京菓子を持ってきたのに」
 新平に渡された紙包みを新平は政吉に差し出した。
   「それはおおきに、女将さんが持たせてくれたのやな」
   「へえ、さいだす」
   「丁度、八つ過ぎで小腹が空いてきたところや、ほな、お茶を…」
 と、政吉が奥へ入ろうとしたのを新平が止めた。
   「お茶なら、おいらが入れて参ります」
   「そうか、ほんなら頼みます、火傷しいなや」
 政吉は優しい童顔を三太に向けて、「どないしたんや」と、話の切欠を作ってくれた。
   「お菓子を持ってきてくれただけやないやろ、話してみんかいな」
 新平も、若旦那も、よく気が付く人やと、三太は感心した。
   「へえ、実はわいのことだすけど…」
   「うん、どうしたのや?」
   「大江戸一家の養子にならへんかと誘われていますねん」
   「ほう、大江戸と言えば立派な貸元の一家や、不服なのか?」
   「このまま堅気の渡世を進むか、格好良く任侠道を行くか迷っています」
   「そら、いまのまま堅気の商人になる方が良いに決まっているやないか」
 三太は意外に思った。京極一家という任侠道の世界で育った人の言葉とは思えないのである。
   「任侠は格好ええのやが、ひとつ違えば縄張り争いで命をかけなあかへん」
   「えんこ詰められたりする?」
   「そうや、掟を破るとそういうことにもなる」
   「指全部無くなったら、どうやって飯を食うの?」
   「そんなことにはならん、そんなやつ、そうなる前に殺されているわ」
   「こわいなあ」
   「そら、そのくらいの覚悟がないと、渡世人としてやって行けへん、それより、地道に商いをした方がええと思う」
 今のままで、旦那の亥之吉に付いて、商いと護身用の棒術を修め、立派な商人になるのが三太の進むべき最良の道だというのが政吉の意見であった。
   「三太と兄ぃの武器は天秤棒やが、わしと新平の武器は何だと思う」
 政吉が三太に謎かけた。
   「さあ、わかりまへん」
 政吉が「ここや」と、自分の顔を指した。
   「なあ、新平」
   「はい、若旦那」
   「よう言うわ」
 三太、ずっこけた。

 やはり今の選択は間違っていないのだと、商いの道を進むことを三太は決心した。
   「三太、戻りました」
 お絹が出迎えた。
   「どうやった、政吉さんは何といっていました?」
   「今のまま、商いと、棒術に精を出せと…」
   「それで三太はどうするの?」
   「明日、大江戸一家へ行って、姐さんに断ってきます」
   「そうか、それは良かった、一人で行けるのか」
   「へえ、大丈夫だす」


 ここは江戸から遠く離れた信州は上田である。緒方三太郎は、八百屋の商売をしてみないかと卯之吉に勧めていた。
   「わたしが子供の頃、佐貫の屋敷の使用人に文助という兄さんがいたのです」
 思い返せば、農家のお婆さんに貰った鶏の雛に、文助が竹の小屋を作ってくれた青年だ。雛は「サスケ」と名を付けて三太の懐へ入れ、義父佐貫慶次郎と共に江戸まで馬で行った思い出もある。
   「その文助さんは、大きな八百屋をしている、そこで暫く商いのいろはを教わるのです」
   「博打しか出来ないあっしに商いができるでしょうか」
 卯之吉は全く自信がなかった。自分は寡黙で無愛想だ。こればかりは努力しても直らないであろう。そんな男に商いが出来るであろうか。
   「ははは、それは大丈夫だ、その解決法があるぞ」
   「解決策?」
   「そうだ」
   「どうすれば良いのでしょう?」
   「可愛くて、愛想の良い嫁を娶ればよいのだ」
 母親と妹のお宇佐は、取り敢えず三太郎が面倒を看るという。
   「実は、私の妻がお産の為に里へ戻っているのだ」
 赤子を連れて戻ってきても、診療所の患者さんを看ることは出来ないので、三太郎の実母と共にお宇佐に看護女になって貰えたら、一人や二人の患者を養生させることが出来ると考えたのだ。三太郎は、皆の前でその計画を語った。
   「お宇佐さんは、何れここから嫁に出す、お宇佐さんに勧めたい善い男が小諸藩に居るのだ」
 亥之吉は、大賛成だった。卯之吉は鵜沼にも江戸へも戻れない。卯之吉が嫁を貰って八百屋の店を出すときは、自分の出番が来るだろうと、わくわくする亥之吉であった。
   「鵜之どうや、流石、艱難辛苦を乗り越えてきたわいの兄貴分や、この人に任せておけば、きっと悪いようにはなりまへんで」
 卯之吉は嬉しかった。こんな自分の為に、ここまで考えてくれる緒方三太郎先生が眩しかった。
   「ところで先生、卯之吉の嫁も考えてくれていますのか?」
   「考えていないよ、真面目に働いていれば、周りが放ってはおかないよ」
   「ほんなら、わいが江戸で探しまっせ」
   「亥之さん、あんたのお古を押し付ける気じゃないだろうね」
   「なんてことを…、失敬な」
 話し声が卯之吉の母親に聞こえたのであろうか、少し笑ったように思えた。
   「お母さんも、少しずつ良くなっていきますよ」
 三太郎の自信に満ちた言葉が、卯之吉とお宇佐の耳に快かった。

  第二十二回 三太の分岐路(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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