雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

髭彦閑話17 「最終講義」余話

2009-03-27 00:17:07 | 髭彦閑話

髭彦閑話16 で書いた3月19日の「最終講義」に際して、学年の同僚たちが僕のためにうれしい「サプライズ」を用意してくれていた。
そのことを書きたい。
中学3年間をいっしょに学年を組んだ同僚のYさんは高1で学年を外れたのだが、実はそのYさんは勤務校の卒業生で、高1のときに僕が担任をした生徒であった。もう20年も前のことだ。
そういうこともあって、「最終講義」の後、生徒たちに続いて学年の同僚たちからの記念品を贈呈してくれる役を、Yさんは特別に務めてくれた。
Yさんは「記念品の贈呈の前にサプライズがあります」と言って、なにやらB4の紙を取り出し、読み上げ始めた。
思いがけないことに、それはYさんと高1のときの同級生で、僕が高2・高3も担任をしたある卒業生からの、僕と在校生へのメッセージであった。
その卒業生の名は、藤沢俊一郎という。
彼は父親の転勤で、卒業直後、浪人中に神戸の芦屋に引っ越して行った。1994年のことだった。
彼の祖父は勤務校の英語の先生で、僕もずいぶん世話になった。母親は楚々とした美しい方で、彼が勉強に身が入らないのを悲しみ、面談のとき涙を流されたのを覚えている。それに対して僕は、勉強に身が入らないといっても、気持ちは優しいし、ユーモアのセンスもあり、特にアブナイことにのめりこんでいるわけでもないので、大人になるための自覚が生まれるまでもう少し長い目で見て欲しいというような、親御さんにとっては恐らくあんまり説得力のないようなことを言った。
翌1995年1月17日、阪神大震災が芦屋をも襲った。受験のための内申書を求める彼からの手紙で、被災はしたものの彼も彼の家族も無事だったことを知って、ほっとした。
以来、時折、その後どうしているだろうと思いながらも、音信が途絶えたままになっていたのである。
1年ほど前、Yさんが突然、「藤沢がラジオのパーソナリティで活躍しているらしい」と教えてくれた。ネットで調べてみると、たしかにそうらしい。近畿・中国地方では「フジシュン」のニックネームで愛される、売り出し中のパーソナリティ=DJなのであった。意外な気もしたが、うれしかった。
Yさんが読み上げ始めたのは、まさにその藤沢君のメッセージなのであった。
長文のメッセージだが、藤沢君の許可を得て以下に掲載する。僕にとっては、文字通りの「サプライズ」で、身に余るメッセージであった。

                *

目良先生、在校生の皆様こんにちは。

目良先生の不肖の生徒、そしてY先生の海城高校同級生、藤沢俊一郎と申します。現在近畿、中国地方でラジオのDJやらTVのナレーターやらをしている者であります。

田原俊彦というかつてのビッグスターが『たのきんトリオ』というジャニーズのトップランナーユニットに在籍していた時代がございます。分からない皆さんはお父さんお母さんに聞くなりなんなりと各自調査です。

さて田原ですが、3年B組金八先生の生徒役だったトシちゃん(田原)はやがて後の金八先生のスペシャルドラマに卒業生として、金八の元教え子として登場した際、「金八っつぁんの不肖の生徒です」とはにかみながら、でも得意気に名乗るのです。そのシーンがむやみやたらと印象に残っている私にとって、こうして恩師に向って堂々と「不肖の生徒」と名乗れる日がくるとは感無量であります。

ここで胸を張りたいのは、「不肖」という部分ではなく「目良先生の生徒」という所です。とはいえやっぱり私は「不肖の生徒」でした。ダメな生徒でありました。そんな私は目良誠二郎という教師でなければ高校生活3年間を全うする事すら叶わなかったのではないかと思います。

目良誠二郎という人間力に支え続けられた、かつての3年間でした。

その一つ一つをここに列挙していこうと思いつつも、真っ先に胸に去来するのが当時の目良先生の山羊髭だったりするのです。ループタイだったりするのです。穏やかな表情であり、穏やかな声であるのです。それらの記憶は今もそのままなのでしょうか?

きっと、何も変わらぬ景色がそこにあり、きっと、変わらぬ信念が貫かれてきた事だと思います。

目良先生の喜怒哀楽は変わらぬままでしょうか?喜ばしい時には声が震えるのです。怒りを伝える時には、決して激昂せず怒鳴らず、しかし声が静かに震えるのです。身体も僅かに震えるのです。怒りと哀しみが同義のように哀しく震えるのです。楽しい時には、喜ばしい時と同じく声が震え、そしていつも垂れ気味な眉とまなじりがより垂れるのです。いつも細い目がさらに細くなり、一本線を描くのです。

その感情表現と共に伝えてくれた目良先生の思いは今尚私の思考の礎として強く根付きます。

言葉にすると陳腐なようで、それでも大事な事です。

何かに夢中になれる事。人が人と向き合うこと。思いやり。優しさ。グローバルな視点。そして現在スタンダードな「グローバルな視点」とされているものの陰に隠されている事実。そして、それらを見つめた上でもう一度自分が今日常生活を送る世界に還元される視野。

今、高校生の皆様はその全てに気付かれていらっしゃるでしょうか? 気付かれている方は幸せだと思います。やがて20代となってから気付く方も幸せだと思います。30代、それでも幸せです。40代、50代。やはり、幸せだと思います。これからいくつになろうと気付ければ幸せだと思います。

目良誠二郎は幸せの種を私達に、皆さんに穏やかにしかし情熱をもって植えてくれました。その発芽も、その芽をどう育てるのかも、その個人に任された種を。

その芽がどのような幹を形成して、どのような花を咲かせ、どのような実をなすのか私自身まだ分かりません。

しかし、諦めることなく種を植える作業を続けてくれた目良誠二郎という教師に、人間に私は深い感謝を捧げます。本当にありがとうございました。

私は胸を張ります。皆さんと同様に。

私は随分とダメな生徒でした。それでも、いやだからこそ、はにかみながらも得意気に言いたいのです。「目良誠二郎の不肖の生徒です」と。

本当にありがとうございました。本当に本当にありがとうございました。

髭彦閑話16 「最終講義」
髭彦閑話15 小田実と加藤周一を偲んで
著書・論文など(目良誠二郎)
「社会科・高校1年共催 目良教諭最終講義」(『海城プレス』2009年04月03日)



コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 090326 日々歌ふ | トップ | 040:すみれ(髭彦) »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしい勲章ですね (saheizi-inokori)
2009-03-27 11:03:50
莫大な退職金?より価値があるだろうと思います。教師という職業を選んでよかったですね^^。
返信する
退職金もないと困りますが… (髭彦)
2009-03-27 19:04:22
もらったからといって、特にうれしいとか、ありがたいとか、そういうものじゃあないですね。
それに較べると、こうした生徒や卒業生たちの「贈ることば」は本当に教師冥利に尽きます。
教師であってよかったと心から思える幸せを、しみじみ味わっています。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (シルク)
2009-03-27 23:53:28
一生に一度でいいから、こんなふうに人の心に沁み入る文章を書いてみたい。素晴らしいです。髭彦先生の最終講義のレジュメも眺めるだけで刺激的です。教師生活40年バンザーイ。延べ10回の送別会ほんとうにお疲れ様でした(笑)
返信する
Unknown (hoo-m**)
2009-03-28 00:06:26
髭彦さんとは、ライブ会場でひと時お目にかかる程度しか
お付き合いさせて頂いた事は無いのですが、
それでも、このメッセージ読ませて頂きながら
「うん、うん、その通り…」と頷く自分がおりました。(笑)

髭彦さんの授業、ぜひとも拝聴したいです…
どなたか有志の方が企画なさるなどして、
最終講義の様な総合的な社会科の授業をして下さらないでしょうか…



返信する
私も聴きたい (酔流亭)
2009-03-28 20:12:54
こんばんは。
髭彦さんが生徒たちに語りかけている情景が藤沢さんのメッセージから浮かんできます。
部外者も参加OKで特別授業、上の方がおっしゃっているように、企画してくれないでしょうか。
返信する
シルクさん、ありがとうございます (髭彦)
2009-03-28 23:29:18
この1か月、ジョギングもほとんどしないで飲んだくれていましたから、ちょっとヤバイですね。
そう思って4日前に続き今日は5キロ近く走り、やっと調子を取り戻しました。
ははは。
それにしても、藤沢君のメッセージはうれしかったですね。
ありがたいことです。
返信する
hoo-m**さん、ありがとうございます (髭彦)
2009-03-28 23:41:09
hoo-m**さんに教えていただいたRe-trickのことを、できたらミュージシャンになりたいという高1の生徒に教えたら、気に入ってくれたようです。
寄せ書きに、「人格的に一番信頼できる先生でした」と書いてくれた後に、「Re-trick聴いてます。それから、Rockに加えて、Bill Evans等を聴くようになりました」とありました。
公開社会科授業ですか。
それほどのことではありませんよ。

返信する
酔流亭さんまで… (髭彦)
2009-03-28 23:44:50
そういえば、社会科の同僚がビデオを取ってくれた上にDVDにしてくれると言ってました。
僕が見直した上で、恥ずかしいものでなければいつかご覧になってください。
ははは。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

髭彦閑話」カテゴリの最新記事