<われを見て瞬時に席を譲り立つ韓国女性に不意を衝かるる>
電車に乗り、空席はなかったので、吊り革にぶる下がった。
その途端、前の若い女性二人がバネ仕掛けのように立ち上がった。
一瞬、何事かと思う。
次の瞬間、それがぼくに席を譲るためだとわかった。
ああ、自分もとうとうそう見えるようになったのか。
不意を衝かれ、内心には、軽いのか重いのか、何とも言えないショックと動揺が走った。
しかし、体のほうは無意識に反応し、ごく当然のように譲られた席に座っていた。
席を立った二人のうちの一人が、ぼくに続いて隣に座りなおした。
前に立ったもう一人の女性と楽しそうにおしゃべりを始める。
意外にも、聞えてきたのは韓国語であった。
そうか、韓国人だったのか。
だからか。
だから、あんなにびっくりしたように立ち上がって、ぼくに席を譲ろうとしてくれたわけだ。
なにも、ぼくが席を譲らなければならないほど、くたびれた老人に見えたわけではなかったのだ。
やれやれ。
と思う反面、席を譲られただけでてうろたえた自分がおかしかった。
63歳にして、未だ日本の若者に席を譲られたことはない。
ひどく疲れたときなどは、元気そうな中学生や高校生が目の前に座っていると、譲ってくれても良さそうなのになどと、密かに思わないでもない。
しかし、彼らは決して譲ってはくれない。
まあ、こっちも鍛えているし、別にかまわないけれどねえ、などと内心ではぼやいたりもする。
それが突然、前に立った途端、若い女性が二人もバネ仕掛けのように立ってぼくに席を譲ろうとしたのだ。
韓国でも儒教道徳は急速に廃れてゆきつつあるとも聞く。
だが、幸か不幸かこの若い二人の女性にはまだ健在であった。
それが、ぼくに一瞬、何とも言えないショックと動揺を呼んだ原因なのであった。
先にぼくが下りる駅に着いた。
立ち上がり際に、前の女性に<カムサ・ハムニダ>と言うと、一瞬驚いたような顔をした。
座っている女性にも<アンニョンヒ・ガセヨ>と言うと、やはり一瞬間があって、にっこりと満面の笑みが返ってきた。
母は私の顔を見るたびに「S坊の髭は気に入らない、ない方がいいのにね...」とぼやいてましたよ。