雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎) ① 2000年~2010年

2010-11-01 12:31:01 | 著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎)

目良誠二郎・文、石井勉・絵『非暴力で平和をもとめる人たち』 (大月書店、2003年)
共編著:教科書『倫理 現在(いま)を未来(あす)につなげる』(一橋出版、2003年)
共編著:比較史・比較歴史教育研究会編『帝国主義の時代と現在―東アジアの対話』(未来社、2002年)

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「「熱中症」考」(本ブログ「髭彦閑話34」2010年7月)
「サッカーとナショナリズム」②(本ブログ「髭彦閑話30」2010年7月)
「サッカーとナショナリズム」①(本ブログ「髭彦閑話29」2010年7月)
「「君は秀でし背もあれよ」後日談」(本ブログ「髭彦閑話28」2010年6月)
「『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワークにリンク・掲載」(本ブログ「髭彦閑話27」2010年6月)
「「君は秀でし背もあれよ」~北一輝・松本健一・渡辺京二~」(本ブログ「髭彦閑話26」2010年6月)
「大名は箱を投げていました」(本ブログ「髭彦閑話25」2010年6月)
「何が現実的なのか」(本ブログ「髭彦閑話24」2010年6月)
「浅い現実主義と深い理想主義」(本ブログ「髭彦閑話23」2010年6月)
「安島太佳由写真展「上原良司と特攻隊」を観て」(本ブログ「髭彦閑話22」2010年5月)
「ポン・ジュノ監督「母なる証明」を観て」(本ブログ「髭彦閑話21」2010年5月)
「光琳・紅葉・咢堂」(本ブログ「髭彦閑話20」2010年1月)
「カルミニョーラ&アバドのモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全集を聴く」(本ブログ「髭彦閑話19」2009年12月)
「一教師として生きて」(海城学園同窓会機関紙『海原』第31号、2009年5月。本ブログ「髭彦閑話18」2009年4月)
「「最終講義」余話」(本ブログ「髭彦閑話17」2009年3月)
「最終講義」(本ブログ「髭彦閑話16」2009年3月)
「社会科総合学習のねらいと意義―「知の巨人」たちの死に、改めて思う―」(『海城中学・高等学校研究集録』第33集「海城社会科 総合的学習の実践的展開―目良誠二郎先生の退職に寄せて―」2009年3月、所収。本ブログ「髭彦閑話15 小田実と加藤周一を偲んで」に掲載)
「小田実と加藤周一を偲んで」(本ブログ「髭彦閑話15」2009年3月)
「ひとあし早い年末のご挨拶」(本ブログ weblog 2008年12月)
「ヒロシマ・ナガサキを歌ふ」(本ブログ「非暴力による平和」2008年8月)
「ノルウェイからただいま!(3)」(本ブログ「髭彦閑話8」2007年9月)
「ノルウェイからただいま!(2)」(本ブログ「髭彦閑話7」2007年9月)
「ノルウェイからただいま!」(本ブログ「髭彦閑話6」2007年9月)
「沈金、益子、小鹿田の皿と壷を買うの記」(本ブログ「髭彦閑話5」2007年7月)
「米西映画に沖縄飲み屋」(本ブログ「髭彦閑話4」2007年7月)
「岩波文庫創刊80周年に思う」(本ブログ「髭彦閑話3」2007年7月)
「角偉三郎はもういない」(本ブログ「髭彦閑話2」2007年7月)
「ぼくたちは正気でしょうか」(本ブログ「非暴力による平和」2007年7月)
「うろたえる」(本ブログ「髭彦閑話1」2007年6月)
「濱田千春と石垣りんと」(本ブログ「歌の力」2007年5月)
「アメリカの民と憲法」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年5月)
「「戦争違法化」と日本国憲法」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年5月)
「この人を見よ―森本喜久男―」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年2月)
「在仏の平和活動家・歌人の美帆シボさんからのお便り」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年1月)
「新美南吉『ひろったらっぱ』との再会」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年10月)
「<平和の季節>は終わり…」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年10月)
「ダグラス・ラミスと小林節慶応大学教授」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年9月)
「少年野球の罵声の育てるもの」(本ブログ weblog 2006年8月)
「エーレン・ワタダ中尉を支持する全米統一行動が6月27日に」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年6月)
「Ehren Watada―イラク戦争への加担を拒んだ最初の米軍将校」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年6月)
「WHEN I WAS MOST BEAUTIFUL」(本ブログ weblog 2006年2月)
「初春のごあいさつ」(本ブログ weblog 2006年1月)
「ヒロシマの日を前に平和教育のあり方を考える(続)」(本ブログ weblog 2005年8月)
「ヒロシマの日を前に平和教育のあり方を考える」(本ブログ weblog 2005年8月)
「今度はブック・バトンが…」(本ブログ weblog 2005年7月)
「短歌バトンが…」(本ブログ weblog 2005年7月)
「宮柊二」(本ブログ「歌の力」2005年6月)
「李正子」(本ブログ「歌の力」2005年4月)
「鶴見和子」(本ブログ「歌の力」2005年4月)
「甦る記憶」(本ブログ「甦る記憶」2005年3月)
「『戦争違法化』と日本国憲法―通説を疑う」(『教育』2005年1月号。本ブログ「「戦争違法化」と日本国憲法」に掲載)
「歴史・平和教育の試練と向き合う―若い世代にバトンをわたすために―」(2004年。未発表。一部を本ブログ「髭彦閑話23―浅い現実主義と深い理想主義」に掲載)
「校門を入っても戦争に反対できる憲法の権利を守りぬく―アメリカ民主主義の底力」(『歴史地理教育』762号、臨時増刊号、2004年。本ブログ「アメリカの民と憲法」、に掲載)
「非暴力による平和の思想・教育・実践の深化のために―吉田満と非暴力の評価をめぐって」(『季刊・人間と教育』38号、2003年)
「オルタナティブと「和解」の歴史学・歴史教育を求めて―朝鮮の植民地支配を教えることから学び、考えたこと(朝鮮史研究会大会報告)」(『朝鮮史研究会論文集』第40集、2002年)
「二〇世紀初頭アメリカの反帝国主義運動の評価―「帝国史観」と「民主主義史観」の分裂を克服するために―」(前掲『帝国主義の時代と現在』未来社、2002年、所収)
「(対談)教育と効率―中沢正夫+丸山重威+藤原真由美+松尾高志+目良誠二郎」(中沢正夫・木村晋介・丸山重威編著『非効率主義宣言』萌文社、2002年、所収)
「図書紹介 尾花清・洪淳明共著『共に生きる平民を育てるプルム学校―学校共同体と地域づくりへの挑戦―』<キリスト教図書出版社、2001年>」(『日韓教育フォーラム』第12号、2002年1月)
「二人に一人が『殺意』を抱く中高校生の現実と平和教育の課題」(『民主教育研究所年報』2号、2001年)
「思えばずいぶん遠くへ来たもんだ」(『近現代史教育研究会論集』第1号、2001年9月)
「ナショナリズムの『癒し』と『覚醒』の歴史教育に抗して」(『日本の科学者』404号、2001年9月)
「日韓のナショナリズム克服への『狗肉』の策」(『教育』2000年12月号。本ブログ「髭彦閑話」313233に掲載)
「戦後社会科・平和教育に賭ける一つの試み」(『季刊・人間と教育』25号、2000年3月)

(2010年11月1日現在)



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