髭彦閑話25「大名は箱を投げていました」に、博識・読書家のブロ友・佐平次さんが興味深いコメントをくれた。
<渡辺京二の「北一輝」のなかに、北が「すぐれた背の君」と恋人のことを歌ったのに、「5尺足らずの少女に対し、5尺2寸の北が背が高いと歌ったのは微笑ましい」と松本健一が書いているのを笑っています。/知らないということはどうにもなりませんね。>というのである。僕は北一輝も松本健一も渡辺京二もほとんど読んでいないので、まるで知らない話だった。松本健一が、「背の君」という日本文学上のイロハ的表現も知らないでバカなことを書いたらしいとはわかったものの、少々釈然としない感じがあって、すぐにその点を質問した。
その後のやりとりは、以下の通りである。
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(髭彦)
2010-06-24 22:54:45
「背の君」は古代の女性から見た夫、または兄弟の尊称ですが、北一輝が「恋人」を「すぐれた背の君」と歌ったのですか?
松本健一が「すぐれた背の君」を「背の高い君」と誤読したとすればお笑いですが、よくわからないので、さっそく渡辺京二の「北一輝」を区の図書館に予約しました。
読んでみます。
(佐平次)
2010-06-25 09:19:00
とんでもない間違いでした!
北は恋人に「君は秀し背もあれよ」と歌ったのでした。
自分はやがて獄門にかかる身だが、君はやがて「うまし愛児」を生むだろう、と。
それを松本が背丈のことと誤読したのです。
お恥ずかしい引用でした。
43ページです。
(髭彦)
2010-06-25 10:16:31
<北は恋人に「君は秀し背もあれよ」と歌ったのでした。/自分はやがて獄門にかかる身だが、君はやがて「うまし愛児」を生むだろう、と。>
ということは、自分が死んだ後には「秀し背」、つまり秀れた夫と結婚して「うまし愛児」を生んでほしい、と北が歌ったのを、「松本が背丈のことと誤読した」わけですね。
渡辺京二のとあわせて松本健一の「北一輝」本も、図書館に予約しましたので、届き次第確かめたいと思います。
ありがとうございました。
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昨日、さっそく近くの区立本駒込図書館に予約した3冊が届いた。
1.渡辺京二『北一輝』2007年、ちくま学芸文庫
単行本として、1978年刊『朝日評伝選』版、1985年刊『朝日選書』版があり、ちくま学芸文庫版は後者を底本にしている。
2.松本健一『増補 若き北一輝』1973年、現代評論社
これは、1971年版の増補版である。
3.松本健一『北一輝論』講談社学術文庫、1996年
元の単行本は、『北一輝論』(1972年、現代評論社)である。
これらから、該当箇所を探して読んでみた。
まずは、佐平次さんが教えてくれた渡辺京二『北一輝』の43ページ。
「恋をひきさかれる経験は、十九や二十の青年には十分にがい。このことによって北がどれほど悲痛な気分になり、百年の後を契りあった手をひき放って何の道徳ぞ、といきりたち、さらには、二十五の歳になってまで、自分は迫害にさらされてやがて獄門にかかる身だ、君はすぐれた背の君を得て、やがて「うまし愛児」を生むだろう、幸せになってくれ、というふうに、どれだけ自己憐憫の情に傾斜して行ったとしても、このことを北の個性の異常さとしなければならぬ理由は何もない。それはただの青年としての極めて健全な反応という一語に尽きる。
(付言するが松本健一は、五尺足らずの少女テルに対し、自分も五尺二、三寸しかない北が「君は秀でし背もあれよ」と歌ったのはほほえましいと書いている。おどろくべきことにこの人は、詩句中の「背」を背丈けのことと思っているのだ。もちろんこれは背の君のことで、それでこそ「うまし愛子も得つべし」という次の行と照応する。君にはさだめしよい旦那さんができて、やがて玉のような子も生まれるだろう、北はこうむかしの恋人に対し、ロマンティックヒーローのセンチメンタルなきまり文句を呟いているにすぎない)。」
松本の専門は日本文学でも短歌でもないから、これだけなら専門バカの極め付きのお粗末ということだったかもしれないが、渡辺京二がこれをわざわざ付言したのはどうやら、松本の北一輝論が全編まさにこれしきのお粗末なテキスト誤読の上に成り立っているという批判があってのことらしい。
いま後者の批判の当否を論じる資格・能力は、僕にはない。
さしあたり、「君は秀でし背もあれよ」の誤読に限って当否を論じておこう。
渡辺は明示していないが、渡辺の批判の対象となった松本の文章は『増補 若き北一輝』の中にあった。
「輝は五尺たらずの背丈だったが、北も五尺そこそこであったから、彼が後年『侠少悲歌』で「君は秀でし背もあれよ」と謳ったのは、微笑を誘われる。」(p.73~74)
たしかにこれで見る限り、渡辺の指摘は正しい。
松本は、北が恋人の「輝(テル)」の背丈のことを「君は秀でし背もあれよ」と歌った(松本は「謳った」とこれも誤記している)と誤読しているのはまちがいないだろう。
ただ、渡辺が「おどろくべきことにこの人は、詩句中の「背」を背丈けのことと思っているのだ。」と呆れた後に、「もちろんこれは背の君のこと」だと続け、さらに「君にはさだめしよい旦那さんができて」と書いて、「背」=「背の君」=「旦那さん」と読めるような表現をしているのは、少々いただけない。
より正確には、古代において女性から男性や兄弟、特に恋人・夫に対する親称が「背」であり、「背の君」はその尊称であるからだ。
しかも、北は下に見るようにその詩において「背」とは書いても「背の君」とは書いていないのである。
「侠少悲歌」のテキストは、『北一輝論』に収録されている「恋愛と革命について」(初出『ピエロタ』1972年春季号)に、その一部が載っている。
「「侠少悲歌」(四十年四月)で謳う(松本は未だにこの誤記をくりかえしている!―髭彦)。
ただ清かりし君への其れ
我が始めにして我が永久(とわ)のもの、
だがしかし、すでに去ってしまった女びとにむかって北ははやくも次のように言(こと)むけした。
君は秀でし背もあれよ
うまし愛子(いとしご)も得つべし、
風に花散る我世脆くも
天よ、光に君照らしませ。」(p.309~310)
恋人だったテルが前年に結婚して北海道に渡ったことを知った上で、北はこの詩を書いたようだ。北一輝25歳のときである。
だとすれば、「君は秀でし背もあれよ」というのは未来型ではなく、現在における君(テル)への呼びかけだったということもはっきりする。
こうして、「君は秀でし背もあれよ」に関する松本健一のお粗末な誤読に対する渡辺京二の批判が、若干の不正確さを持ちながらも基本的に正しかったことが確認できた。
いずれ北一輝論全体に関する渡辺の松本批判の当否も、考えてみたい。
今回も、佐平次さんのご教示がなければ僕が北一輝・松本健一・渡辺京二の世界に足を突っ込むことは、渡辺京二を除いてほぼありえなかったことでしょう。
ありがとうございました。
なお、松本健一が2004年に岩波から出した全5巻の『評伝 北一輝』の第1巻が「若き北一輝」となっていたので、ひょっとしてと思い図書館で今日借りました。
後でブログにも載せようと思いますが、これは『増補 若き北一輝』(1973年、現代評論社)を「定本として、加筆した」ものでした。
例の箇所がどうなっているか、見物です。
お楽しみに。
ははは。