雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050805 ヒロシマの日を前に平和教育のあり方を考える

2005-08-05 12:11:56 | Weblog
 昨日、原爆ドームを詠った飛鳥川いるかさんの歌を取り上げたので、「原爆ドーム」でブログ検索をしてみました。
 咲良(さくら)さんという方の、テレビドラマ「二十四の瞳」に感動したことを今日付けで書かれているブログが検索に掛かりました。
   (ブログ「ニチジョウ生活」http://cr2004.cocolog-nifty.com/nitijo/)
 「原爆ドームがテレビや雑誌にて目に映るたび言いようのない恐怖感に襲われて震える」という一節に、「原爆ドーム」が使われていたのです。

 ご自身の紹介文によると、咲良さんは「プチオタ嫁でダラ奥」でいらっしゃるそうです。
 よくわかりませんが、「プチオタク」嫁・「ダラシナイ」奥さん、ということでしょうか。
 ご夫君と2人だけの生活のようですから、多分20代の女の方なのでしょう。

 「原爆ドームがテレビや雑誌にて目に映るたび言いようのない恐怖感に襲われて震える」という文章は、つぎのような文脈の中で書かれています。
 永年、社会科・平和教育に携わってきたぼくにとって、このてらいのない率直な文章は胸痛むとても貴重なものでした。
 風化が言われる戦争体験・原爆体験の継承を考える上で、咲良さんの中学生時代に受けた強烈なショックとそれによるトラウマは見過ごすことのできない証言ではないでしょうか。

 咲良さんは、こう書かれています。
 
さて、戦後60年ということで
いろいろなメディアで特集が企画されていますが。

こういうことを言うと非常に不謹慎だけれど
私は所謂第二次世界大戦の日本に関する出来事には
耳も目もふさいできた女です。

だって。

中学生の時、体育館に集められ、
いきなり暗い館内で原爆のスライドを
大画面で鑑賞させられてからというもの
どうしても拒否反応を起こしてしまって。

その時唄いたくもない原爆の歌を
大声で何度も何度も歌わされ、
館内に響く歌声が、スライドの悲惨な画像が
目と耳に焼きついて、心に深く取り付いてしまって。

それから何年も何年も暗い部屋では眠れなくなるくらい
ショックでトラウマになって。
思い出しては吐きそうになって。
夢に見てはおびえて。
原爆ドームがテレビや雑誌にて目に映るたび
言いようのない恐怖感に襲われて震える。
それは今でも変わらない。

頭ではわかってる。

悲惨な戦争体験や写真、資料を見て
目をそむけてはいけない事実があったということを知ること。

世界平和を誓わなければならないこと。

歴史を風化させて、二度と同じ轍を踏んではいけない、ということ。

でも。
中学生の私にはあまりにも。

あまりにもショックで。

それ以来新聞や本でそういう記述があるときは
二度とそのページを開かず、
テレビなどでドラマや特集などがあって
両親が見ているときなどは部屋に閉じこもるか
目と耳を貝にしていました。

この歳になってようやく活字は大丈夫になってきたけど、
未だに映像や写真は直視することができない。

いけないことだと思う。
そして私はさまざまな資料を「過去のこと」として
観ているのだから、まだ幸せなのだ。
実際、あの日あの時戦火の中にいた人達。
その凄惨さに較べれば。
その人達は恐怖におののき、また肉親や
大事な人を目の前で失い、あるいは見捨てざるを得なかったのだ。

そしてそれはたった60年前の現実だったのだ。

戦争は誰も幸せになれないし、
本当の意味で誰一人として「勝者」にはなれない。
絶対に絶対にもう戦争なんてやめて。

でも悲しいことに。

今もどこかで逃げ惑い泣いている誰かが
世界にはいるのだ。

 悲惨な戦争体験を継承し、次の世代に伝えていかなければ、きっとまた戦争は起こります。
 それは無条件に正しいでしょう。
 しかし、その正しい目的を達成するには子どもたちにただ戦争の悲惨な「事実」を突きつけるだけでは、場合によっては逆効果です。
 あるいは、この咲良さんのように深いトラウマを作ってしまいます。
 この点が、戦後の日本の社会科・歴史・平和教育、あるいは家庭教育の密かな大問題だったと、ぼくは思ってきました。
 ぼく自身も、小学校2年のときに家に転がっていた『アサヒグラフ』の原爆特集号(占領軍によって禁止されていた原爆被害報道の最初のもの)を何の気なしにパラパラ開き、そのあまりの悲惨さにどうしようもない恐怖と吐き気を覚え、トラウマになった経験を持っています。
 社会科の教師になって、自分の目の前にいる子どもたちに戦争・侵略・原爆・アウシュヴィッツ・従軍慰安婦などの悲惨を教え始めて、改めてその体験を思い出しました。
 以来、どうしたら子どもたちが不必要(有害)な恐怖心や嫌悪感を持たずに、そうした悲惨な現実(体験)を直視できるようになるのかを試行錯誤してきました。
 幸い、ぼくのそうした拙い実践や主張は多くの共感を社会科・平和教育の分野で生みました。
 しかし、一方では依然としてそうした「暴露・告発」型の授業を子どもたちに強い続ける教師もたくさんいたはずです。
 その結果、子どもたちの中には恐怖・嫌悪や「またか」「うんざり」といった反応も次第に広がって行ったように思います。
 そして、冷戦終結後のバブル崩壊後の日本では、こうした授業の欠点につけ込むように、戦争・侵略・原爆・アウシュヴィッツ・従軍慰安婦などの悲惨を教えること自体が「自虐」だとする、偏狭なナショナリズムに基づく乱暴な攻撃が始まったのです。

 社会科教師の一人として、ここに書かれているようなつらい体験と、にもかかわらずそれを克服できない自分を責め、平和への思いを抱き続けている、多くの咲良さんたちの声なき声に、今改めて深く耳を傾けなければならないと痛感しました。
 咲良さん、ありがとうございました。


 
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1 コメント

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Unknown (おサル)
2005-08-05 23:38:47
謎野さん

コメントどうもありがとうございます。とっても難しい短歌や詩をいろいろと掲載されているのですね・・・私は、せいぜい、オトボケステップファミリー日記を書く程度なので恥ずかしい限りです(^^ゞ



ある朝突然歌いたくなった・・・その気持ち、少しですが私にも分かります。



詩や文章や絵って、よっし!ってかけるものじゃなくて、沸いてくるような気がします。

自分の力で書いているんじゃないような・・・



これからも、そういう何か分からないけど、沸いてくるものを大切に私もしていきたいと思います。



これからもよろしくお願いいたします。



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