前記の散歩は日中のことだが、夕方の散歩もあった。それは、月に1~2回であったが、17時~18時ころに、わが家から徒歩で約30分ほどの居酒屋へ夕食に通った。最初のころは30分はきつ過ぎるか?と思うこともあったが、次第に慣れてきて、無事に着いて美味しいビールで乾杯が楽しみであった。美味しい料理で美味しい酒を約2時間、Y子は中ジョッキのビール1杯をたしなむ程度であったが、楽しいと言って喜んでいた。途中、店のマスターが「ママのビール、気が抜けてしまったでしょう」と言って取り替えてくれること度々であった。そして、「ああ美味しかった、楽しかったね!」と、バスかタクシーで帰るのが常であったが、今となっては懐かしい思い出である。
あれやこれやと思いつくことはたくさんあるのだが、それを時系列的に並べて書くのではなく、その日、その時に思いついたことを書くことにする。
まず、思いつくのは、Y子が最初に病に襲われた時からのことである。忘れもしない2017年3月3日の午後、脳出血で倒れて約6か月の入院生活をした。その時の、私の驚き、戸惑い等々については以前にも本ブログで記載したので割愛するが、2019年6月17日に脳梗塞で再度の入院、そして現在に至っている。今度の入院は、退院の目途が無い。そこで思い出すのが、2017年8月中旬に退院し、昨年6月までの我が家で過ごした日々のことである。その間、季節が良くなると時々リハビリを兼ねて二人で近くの公園などを散歩することがあった。その際、Y子は腕を組みたがった。しかし、私は「リハビリなんだから、両手をしっかり振って歩かないといけません。」と拒否していた。それに対して、Y子はいつも不満の表情を見せていた。リハビリのため、という私の言い分は嘘ではなかったが、元来、腕を組んで歩くという習慣が無く、むしろ気恥ずかしさが先に立つ性分であるが故、でもあった。そして、今、立ち上がることも出来なくなったY子とは、腕を組んで歩くことは望んでも出来なくなってしまった。寂しさと、悲しさと、申し訳なさとがないまぜになって度々思い出し、深く反省している。
Y子は現在、岩見沢市内のA病院に入院中である。しかし、新型コロナウイルスの感染を防止するために、3月25日以来全ての面会が禁止されている。以来、10日を経過したが未だに先が見えない状態が続いている。先日(1週間目に)、詰め所に電話してみたが特に変わったことは無いとのことで、やや安心している。話すことも、読むことも出来ないY子であるが、色々と伝えたいことがたくさんあるので、ブログに書き残すことにした。
新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けた新型インフルエンザ等特別措置法改正案の早期成立に熱心な安倍総理だが、なぜ今ある法案で今できることを早急にやらないのか?不思議でならない。いくら急いでも、成立には1週間はかかるというのに、1日とも言えない感染の脅威を防ぐには悠長すぎる対応と言わざるを得ない。~等のついた法案を現政権に持たせると、いつ何時、どんなことに悪用されるかわからないというのが、実感であり、危険である!
新コロナウイルスの感染拡大によって、日本中が委縮している。コンサートの中止・延期、各種イヴェントの中止等々が続出している。特に、大変なのが小学校・中学校・高等学校の休校であろう。北海道の場合は、急激な感染者の増加という現象があり、やむを得ぬ判断であったかと思うが、果たして、全国一律に休校を促す根拠については、いささか疑問を感じている。ただ、国民一人一人が充分に留意して、社会全体が一日も早く正常な生活に戻れるよう努めなければならないことは当然である。