表記が遅れたが、Y子の病名は脳出血であった。日ごろから高血圧症状があり、通院、投薬などは欠かさずに行っていたのだが、たまたま壇上で合唱の指揮を始めようと歩き始めた時に発症したようである(私は、現場にいたわけではなく、居合わせた人から説明を受けた)。毎朝、毎夜の血圧測定は欠かすことなく丹念に手帳に記録していて、記録済みの手帳が何冊も残っているほどである。ただ、家系的に循環器系統の病を患う家族が多く、父親、兄、姉、叔父なども脳出血、脳梗塞を患っている。姉などは、1人就寝中に発症し、起床時間を過ぎても起きてこないので家人が部屋へ行った時には、すでに遅し、ということであった。
Y子の場合は、たまたま市長、文化連盟会長、合唱団員等々、多くの人のいる面前で発症したことが、まさしく不幸中の幸いであったと思っている。所や時間が違っていればどうなっていたことか?それを思うと「これからは多くの方々からいただいた命を生きるのだよ!」とも話ている。しかし、日が経つにつれて本人は「私はどうしたのだろう?」とか「これから私はどうなっていくのでしょう?」とつぶやくことがある。そのこと自体は、ほんの僅かながら元に戻りつつあり、元に戻りたい、という意欲の表れと見て取れると思っている。しかし、私が「あせらないこと。貴女は75歳まで、何事にも一生懸命、真面目に走りすぎるほど頑張って来たのだから、これからは与えられた余生をのんびり過ごしなさい。」と諭すと、本人も「そうだね!」と素直にうなずいている昨今である。
この年齢になっても我々もそのようにお互いを思いやる夫婦でいられたらと、本当におもいます。。
中々言葉に出して言えないわが旦那、、見かけは優しそうなんですが。。中身はきっと???分かりませんが、我が家も夫婦になって、40年以上になります。。健康で、このまま歳を重ねていきたいと実感。。。
中々思い通りにはならないのが、世の常ですね。。
寒くなってきています。。どうぞ奥様と、いつまでもお元気でいらしてください。。