にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

あ゛~安倍晋三氏が自民党総裁になっちゃった。

2012年09月27日 | 雅無乱日記

彼が過去に首相だった時代、ロクなことがなかった…と思うのは私だけ?

思い出すのはこんなことだけ。

過去のエントリーですが、再掲です。

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今じゃぁすっかり「格差社会」と騒がれるようになった日本でもよく知られているが、アメリカは日本なんか目じゃないくらい強烈な格差社会である。

ニューオーリンズの復興が一向にすすまない(「暗いニュースリンク」)というのも、ホームレスが74万人もいる(asahi.com)のも、所得によって行く学校が振り分けられる(https://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/35281/)のも、その格差のひどさを間接的に証明しているが、もっとも象徴的な事例は、今まさにイラクへと送られようとしている兵士たちだろう。彼らの多くは、別に愛国心から志願したわけではなく、生活に困窮して軍事恩給目当てで兵士をやっいて、それ以外に貧困からの脱出手段がないという実情からも、アメリカの格差の深刻さが分かる。

そんな格差の中で、暴動も自爆テロも起こさずにせっせと頑張りつづけるためには、「頑張ったらそれなりに成功できる」という社会のシステムに対する信頼(幻想)が必要である。「どうせ頑張っても、金持ち連中にどうせ搾取されるだけだ」と思ってしまえば、人々の意識はその社会システムの破壊(or革命)に向かう(もっとも、抵抗する元気の無い人はいっぱいいて、システムの中で生きていくことを断念し、ニートになったり麻薬や酒におぼれるのだが…)。

中東でアメリカへの抵抗運動をしているたくさんの人々(欧米に「テロリスト」と呼ばれている連中)も、中南米において反米運動を支持している民衆も、「新自由主義のシステムの中ではいくらがんばっても無駄だ。欧米の大企業が儲かるだけさ」と感じているからこそ、グローバリズムに抵抗しているという側面がある。

アメリカ社会の上位層はこれまで、国家を統合するために、ありもしない「アメリカンドリーム」を大衆に信じさせてきた。実際にはほんの一握りしかいない成功者をまつりあげ、「君も今の貧困に負けずにがんばったらきっと成功をつかむことが出来る。アメリカにはその権利や自由があるのさ」という幻想で大衆を洗脳することによって、社会システムに対する不信から破壊(or革命)に向かう人々を繋ぎ止めて秩序の中に押し留めてきたのである。

しかし最近また、イラクへの侵略戦争の失敗を経て、アメリカ国外だけでなく国内においてもアメリカ型社会システムに対する不信と自暴自棄がはびこり始めている(若者による銃の乱射事件の多発や麻薬中毒者の増加など)。


それを押しとどめて反転させるための「洗脳映画」がまた封切られるようだ。

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ウィル・スミス(38)の出演作『幸せのちから(原題“Pursuit of Happiness”(2006年12月15日全米公開)』である。

この映画は、黒人実業家クリス・ガードナーの実話に基づいたこてこてのサクセスストーリー。

ガードナーはサンフランシスコでセールスの仕事がうまくいかず、息子とホームレスになった後、一流証券会社の無給インターンとなり、地下鉄の駅のトイレなどで寝泊まりしながら勤務。正社員となって成功を収め、現在は自身の証券会社を経営している。

不遇な黒人が、困難にも負けず努力しつづけて、ついに社会的成功を掴む…という典型的な「アメリカンドリーム」のストーリーだ。

主演のウィル・スミスはこんなふうに語っている。

>「トーマス・ジェファソン(※注)は市民に『生命、自由、幸福の追求』を約束した。だが、それはわれわれが幸せになるのは当たり前、政府がそれを保証するという意味ではない。幸せを追求する機会が与えられているというもの。クリスはその体現者だ」 

※この映画の“Pursuit of Happiness”直訳すると、「幸福の追求」。第3代米大統領:トマス・ジェファーソンが起草したアメリカの「独立宣言」には、基本的人権、革命権、平等・生命・自由と並んで、“Pursuit of Happiness”=幸福追求の権利、が謳われている。ここからこの映画の題名はとられた。

この発言なんかを見ると、ウィル・スミスは映画出演のギャラ以外に、福祉予算を削減したい米政府からカネをもらってるのか?と勘ぐってしまう。

Yahooニュース“ウィル・スミスと安倍首相の“救世主”コンビが強力タッグ!”こうして日本にもやってきて、なぜかアベシンゾーと対談し、「再チャレ」とかいう政策のプロパガンダにしっかり協力しちゃってるじゃないか。

>「俺はベトコンに恨みはないぜ、俺を刑務所に送りたいのならやってみろ。望むところだ、400年でも監獄に入ってやる。だが、遥か彼方の土地でお国のためだと言って貧しい人たちの殺人に手を貸すのはごめんだ。敵はお前らだ。ベトコンでも中国人でも日本人でもない。俺を妨害しているのはお前らだ。」

映画“ALI”では、この台詞にすっかりしびれたのに

「『幸せのちから』を観ていただければ、わたしのプロジェクト(再チャレンジプロジェクト)を理解してもらえると思います」こんなことを言うアベシンゾーなんかのパンダになってしまってがっかりだ…。「救世主コンビ」とは皮肉なもんだね…


活力のある貧乏人がいなくなれば、市場システムは成立しない。

ニートのように、へばってしまって頑張ることを断念してもらっては困るのだ。

いかに搾取されつづけようとも、1000人に1人の成功者になる「夢」を見て頑張ってもらわなくてはならない。

そうやってなりふり構わず「自分の幸福を追求する」権利は、独立宣言にも「何者にも侵すことができない権利である」と書いてあるではないか。

この映画は、「たとえ黒人であってもインド人であっても、アジア人でさえ、合衆国の民である限りその権利だけはあるんだゾ」と言いたいのだろう。

しかし、がんばらない奴は「勝手に氏ね」と放っといて、己だけの「幸福になる権利」さえ行使してればいいのだろうか?「権利を与えてもらってるだけありがたいと思え。政府に要求すんな」とウィル・スミスも政府のプロパガンダに協力しているが、そもそも「幸福」ってどういう状態を言うのだろうか?「事業に成功したら“幸せ”。そのためだったらしんどい仕事にひたすら邁進するのさ」って、そんな単純な幸福観・労働観は、少なくとも日本においては前世紀の遺物だろう。

今考えなくてはならないのは、貧しい人々から搾取し、環境や肉体を破壊しつづける原因となっている「市場システムの在り方」そのものなのではないだろうか。与えられた枠(システム)の中で、己の幸福だけをせっせと追求しさえすればいい…という話ではない。

映画でもテレビドラマでも繰り返されている「夢を持とう!夢をもってがんばったらきっと成功できるよ」という洗脳は、“社会システムの矛盾”という根本問題を捨象させ、社会システムへの不満を当面ゴマカシてやり過ごす方便である。 若者たちの多くがフリーターやニートになるのは、がんばっても報われない社会システムに対する「No」の一つの表れなのだ。社会システムやパラダイムの根本を考えさせず、ゴマカシてせっせと人々をがんばらせ搾取する連中に低レベルなプロパガンダ映画を見せられて、「やっぱり自分の夢を追い求めてがんばらなくっちゃ」なんて洗脳されている場合ではないのではないか、と思う今日このごろである。

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