竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

ならまちに、かつて鬼が出没した!

2010年05月04日 | 日記
上の写真にある路地に鬼が出没した。

この路地がどこにあるかというと、
興福寺の五重塔から三条通を横切り、52段の階段を降り、
猿沢池を右手にみて、まっすぐ南に行くと、
左手にホテル・サンルート見て、さらにまっすぐ少し行くと、
左手にこの路地が見える。
この路地に入ると、その先に奈良ホテルが見えてくる。
この路地に、かつて鬼が出たのである。

それを語るお話を紹介しよう。


不審ヶ辻の鬼

奈良の御所馬場町とカササギ町の間にある東西の狭い横町を不審ヶ辻いうて、
昔からフリガンズシて呼ばれてるねん。何でかいうたらな……。
むかし、御所馬場町に松浦いう長者がおってん。
ある夜のこと、この長者の家に盗賊が忍び込んだんやて。
それを長者が捕まえて、鬼隠山から谷底へ投げ込んで殺してしもうてん。
そしたら、死んだ盗賊の霊が鬼になって、毎晩、元興寺の鐘楼に現われて、
町の人たちを襲うようになったんやて。
後の元興寺の法師道場上人は、そのときまだ小僧さんやったけど、
「私が鬼を退治します。」いうて、
ある晩、鐘楼の陰にかくれて鬼を待ってたんやて。
真夜中になると、鬼が現れてん。小僧さんは、鬼に飛びかかっていってん。
小僧さんと鬼は、長いこと激しいに戦うてん。朝方になると鬼は逃げだしてん。
小僧は追っかけたけど、今の不審ヶ辻のところまでくると、
鬼の姿はぱっと消えてなくなった。あたりはがさっぱらで、
なんぼ探しても、どこへ行ったのかわからんかったんやて。
こんなことから、誰いうとなく、この辻を不審が辻、
フリガンズシと呼ぶようになったんやて。
この元興寺の鐘楼は、今は、新薬師寺に移されてて、
鐘には鬼の爪あとがぎょうさん残ってるということや。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁


万葉文学や考古学の手の届かないところに南都文化の深さがある。

2010年05月04日 | 日記
本日のブログのタイトルは、昨日紹介した『奈良伝説探訪』の編者丸山顕徳さんの
言葉をそのまま引用した。

本書の「はじめに」に書かれた言葉を再録しよう。


  これまで奈良文化の紹介といえば、飛鳥・奈良時代の歴史と文学に偏る傾向があった。
  これは研究者の視界が、上代の文字文化と考古遺物を中心とする研究に偏っており、
  それが紹介されていたからにすぎないからである。
  実は、奈良の文化は、人々が想像する以上に各時代にわたり、広く深いものである。
  日本の思想を支えた南都七大寺の壮大な文化の蓄積の紹介は、
  まだまだ未開拓な分野である。
  万葉文学や考古学の手の届かないところに南都文化の深さがある。

私はこの言葉は卓見であると思う。

今、平城遷都1300年祭で奈良は大賑わいである。
そのほとんどの行事が飛鳥・奈良時代の文化を「懐古」するものである。

私たちは7世紀以来奈良の人々が伝えてきた中世・近世も視野にいれた奈良の文化を
「回顧」し、未来に引継ぎ、世界に向けて発信していかなければならない。

私たちは、奈良の人たちが愛する民話を時代を超えて今に伝えてきた
心の文化と向き合っている。


『奈良伝説探訪』は、その意味で非常に貴重な書物である。
しかも、私たち、奈良の民話を語りつぐ活動を行っている者にとって
啓発的な書物である。


なぜなら、この本を携えて、奈良を歩きたくなる。
「伝説地情報」として伝説地の年中行事、拝観料、所在地と
アクセスするための交通手段も懇切丁寧に掲載されているからである。