「健康な成人男性(それも“真っ当"な有職者)」が「すべての基準」となっているように私には見えます。だから「そうではない人(女性、子供、老人、障害者、病人、非正規雇用者、退職者など)」がとっても生きにくい世の中が“当たり前"になっているのではないかな。
【ただいま読書中】『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ ──“冬の要塞"ヴェモルク重水工場破壊工作』ニール・バスコム 著、 西川美樹 訳、 亜紀書房、2017年、2500円(税別)
1930年代、物理学の世界では核分裂の研究が始まっていました。同じ頃、ノルウェーのノシュク・ヒドラ社では水の電気分解を繰り返すことによって「重水」を濃縮する工場が稼働を開始していました。ただ、製造をしてみたものの、需要はほとんどありません。とうとう会社は製造を中止することにします。ところが、ドイツとフランスから突然大口の発注が。
もちろんそれは核分裂研究のためのものでした。中性子の減速材として重水が最適ではないか、と言われていたのです。
1940年ドイツ軍はノルウェーに侵攻します。ノルウェー政府はあっさり降伏しましたが、レジスタンス運動は密かに広範に行われていました。その中にはイギリスのSIS(秘密情報部)と連絡を保っているメンバーもいて、ドイツ軍がなぜかヴェモルクの重水工場に異常に関心を持ち重水の製造量アップを要求していることも情報として流していました。さらに、ドイツ軍はノルウェーにある酸化ウランもまとめて接収しようとしていました。
ノルウェー工科大学教授のトロンスターは、レジスタンスの要としても活動し、危険が迫ってイギリスに亡命した後もその専門知識を活かして祖国のために働こうとしました。イギリスに脱出したレジスタンスのメンバーの中には、イギリスで正規の軍事訓練を受けて国に帰ろうとするものもいました。
チャーチルとローズヴェルトは、ドイツの「新型爆弾」に対抗するために自分たちも核分裂の軍事利用の研究(と実用化)を進めることと同時に、ヴェモルクの重水工場への攻撃も行うことで合意します。
攻撃(あるいはその道案内)に最適なのは、ノルウェー人の部隊です。子供のころから過ごしていたので地図を見なくても重水工場の周辺地域のことは掌を指すようにわかっている人も混じっています。しかし、彼らにとっては、憎い敵を攻撃することが愛する祖国の重要な資産を破壊することでもあります(重水工場は、巨大なダムと水力発電所とほぼ一体化して建設されていました)。
私が印象深く感じたのは、英国軍の計画性です。ノルウェーからの亡命者を訓練して使い物になる戦士に育ったら、それをすぐノルウェーに送り込んでナチスを殺させるのではなくて、教官に任命して、新しくやって来たノルウェーの若者を訓練させています。拡大再生産って言うか、将来を見据えて行動しているのです。旧日本軍とはずいぶん発想が違うと感じました。
しかし、イギリス工兵隊によるヴェモルク強襲作戦は、冬のノルウェーの厳しい気象に阻まれ、始まる前に頓挫しました。グライダーは2機とも墜落し、ゲシュタポは襲撃の目標が重水工場であることを知ったのです。それでもイギリスは襲撃をあきらめません。こんどは少人数のノルウェー人部隊をパラシュート降下させようとします。
工場襲撃前の、部隊の艱難辛苦は並大抵のものではありません。ところが工場襲撃は非常にスマートに遂行されました。襲撃部隊のメンバーが割ったガラスで手を切った以外は一滴の血も流れず、重水の電解槽は見事に破壊されてしまい、襲撃部隊は全員無事姿を消します。重水が失われたことにより、ドイツの原爆開発は1年以上の遅延を見る、はずでした。
しかしドイツは、さっさと工場を再建します。戦争に勝つために非常に重要なプロジェクトですから、使える資源はすべて注ぎ込んだのです。そのため、2箇月かからずに工場は重水製造を再開しました。
「現地を知るノルウェー人」と「現地を知らない連合軍」とのすれ違いがこれまでも紹介されていましたが、再開したヴェモルクに対する攻撃でもすれ違いが発生します。レジスタンスによる破壊工作よりも明らかに効率が悪くノルウェーに対する損害が大きい空襲に、米軍が固執。水力発電所だけではなくて、近隣の村や町も爆撃してしまいノルウェー人が多数殺されます。しかし重水工場はほとんど無傷でした。ノルウェーの戦士たちは危機感を抱きます。このままでは祖国に深刻な傷が残る、と。
ドイツの原子力計画の責任者に新に就任したゲルラッハも危機感を抱いていました。戦局は難しくなっていますが、原爆ができれば一発逆転があり得ます。しかし重水をノルウェーにだけ頼っているのは、いかにも心許ない。そこでヴェモルクの工場の施設をドイツに丸ごと移送することにします。その情報を得た英軍とノルウェー隊は、輸送途中で機械と1万5000リットルの重水を破壊することにします。しかし、その手段は……
「愛国者」が、愛国者だからこそ、祖国を侵略した敵と戦うために、自国民も殺してしまう。これは実に辛い状況です。彼らがどうやってその思いと行為の矛盾に折り合いをつけたのか、ちょっと心配です。
それにしても、ドイツが(計算間違いから)「黒鉛よりも重水の方が減速材として優秀である」と思い込んでしまったことが、本書の戦いのすべての始まりだったとは、歴史とはなんとも皮肉なものだと思います。そして、そういった間違った思い込みは、現在でも各方面に影響を与えながらいろいろ私たちの社会を動かしているのかもしれません。
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