【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

不安と恐怖

2014-08-03 07:18:19 | Weblog

 「不安は対象のない恐れ」「恐怖は具体的な対象が存在する恐れ」と習ったことがあります。ただ「不安」の中にはその根底に“対象”として「自分の良心」がうごめいていることもあるのではないでしょうか。「自分の良心が安心できていない」状態は、それを本人が意識していてもあるいは否認していても、不安の源泉になるのではないか、と思えるのです。もちろんそれ以外の状態でも不安は発生するでしょうけれど。

【ただいま読書中】『イギリス摂政時代の肖像 ──ジョージ四世と激動の日々』キャロリー・エリクソン 著、 古賀秀男 訳、 ミネルヴァ書房、2013年、4500円(税別)

 ジョージ四世の摂政時代(1810~1820年)は、華やかなスタイルときらびやかなイメージで知られています。しかしシェリーは「病に蝕まれ荒れすさんだ社会」と表現しました。このあまりに違う二つのイメージが生まれたのはなぜか、その疑問から本書が生まれています。
 在位五十年となったジョージ三世の晩年期、戦争はイギリスに不利でした。ロシアとオーストリアはフランスと同盟を結び、ポナパルトはヨーロッパ諸国を支配するか従属状態に置いていました。国王のお気に入りである英国王室の“エース”ヨーク公フレデリック王子(国王の次男)はスキャンダルで失脚。ソフィア王女は私生児を産み、五男のアーネストは殺人の疑いをかけられます。さらに最愛の末娘は病気で死の床に。国王は心痛からか「発作(異常な興奮状態、不眠、腹部の痙攣)」を起こします。国王がこの「発作」を起こすのは人生で5回目のことでした。今の医学で見ると「先天性ポルフィリン代謝異常症」だそうです。
 皇太子を摂政に立てるべき政治状況です。しかし問題はいくつもありました。皇太子は国王に高く評価されていません。国王の病状がいつ治るか不明です。現政権はトーリーですが皇太子はホイッグです。そしてホイッグは政権から離れて久しく、さらに指導者を欠いていました。不況と戦費のため国庫はほとんど空です。何より問題なのは、皇太子が摂政としての任に耐えるかどうかでした。彼は病弱で子供っぽくて好色で悪い友達が多く夫婦仲は最悪でした。それでも摂政法案は国会を通過し、皇太子ジョージは摂政に就任します。周囲が(特にホイッグが)驚いたことに、摂政は政府を変えませんでした。摂政としてのタテマエの生活も行いますが、同時にこれまでの放埒で自堕落な友人(や愛人)たちとの付き合いをする場所もマリーン・パヴィリオンにしっかり確保をします。そこは現実逃避を夢見る皇太子の趣味を反映して、異国情緒たっぷりの中国趣味が満載された空間でした(もっとも中国趣味の流行はその半世紀前だったので、流行遅れではあったのですが)。
 1811年ラダイト(機械打ち壊し運動)が勃発します。大量生産により労賃が切り下げられた労働者の抗議のための破壊活動でした。「革命」に怯える政府は活動家を死刑にすることでラダイトを抑圧しようとします(それを批判したのはバイロン卿でした)。
 1813年ウェリントン軍がフランス軍を敗走させます。これによってボナパルトのスペイン支配は終焉を迎えます。ボナパルトはエルバ島に流され、イギリスは戦勝に酔います。しかし料理やファッションなど文化面での対決ではフランスが勝利しました。ボナパルトがエルバ島を脱出、ワーテルローの戦いが始まります。戦いは連合国側の勝利。戦いが終わり、それと同時にワーテルロー伝説が始まります。勝利の高揚感の伝説と、あまりに多すぎる死者という現実の恐怖とがイギリスの人々を捕えます。さらに、復員してきて社会に適応できなかったり不当に扱われているという不満を持つ人々が増え、戦争終結の不況で失業者が増え、人々の怒りは少しずつ高まっていきます。“上の階層”の人々が危機感を抱いたのは、強い不満を持つ人々が「一つの展望(社会の改革)」を共有し始めていることでした。急進派の台頭です。ところが、騒乱が広がることに伴うように、福音派も躍進していきました。良心のうずきを宗教で鎮めようとするかのように。政府は教会建築法で200の教会のために100万ポンドの建築資金を確保します。
 王族は軒並み借金まみれとなっていましたが、皇太子と皇太子妃は特にすごいことになっていました。社会には偽金づくりが跋扈します。追い詰められた上流階級は、快楽追求にますますのめり込みます。そこに富裕な者たちが新規参入してきます。しかし古参の者たちは、慣習と“ルール”によって新入りを排除します。
 マンチェスターでは議会改革を訴える集会が持たれました。急進派のハントは平和的な集会を主張しますが、当局は暴力革命を疑い警官隊と軍を投入します。そして、「ピータールーの虐殺」が。
 宮廷でも大騒ぎが起きています。ジョージ三世が亡くなったのです。ジョージ四世は戴冠しますが、国外で過ごしているキャロラインを王妃とすることは拒否。その理由は(あからさまな)密通でした。キャロラインは世論工作を行い、夫は議会に「王妃に対する刑罰法案」を提出させます。泥仕合です。法案は結局廃案になりますが、キャロラインは疲れ切って病になり死んでしまいます。
 イギリス王室の“スキャンダル”って、“筋金入り”ですね。もしかしてほとんど「英国の伝統」?  それでも王室が英国にずっと存在し続けていたのは、英国民と英国社会に何らかの“大きなメリット”があったからでしょう。それは一体何だったのだろう、と不思議に思いつつ、私は本を閉じます。