【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

優先順位

2014-08-07 08:07:33 | Weblog

 大災害の時に、一番先に助けられるべき人は「助けてくれ~」と走り回りながら元気に泣きわめいている人ではなくて、声も出せないくらいぐったりとしている人の方でしょう。

【ただいま読書中】『震災画報』宮武外骨 著、 ちくま学芸文庫、2013年(原著は大正13年(1924))、1100円(税別)

 著者の自宅は、上野公園の近くだったそうです。関東大震災で大量に発生した避難民は、上野公園にも(一時は50万人)集まりました。そこでは「○○町の××さ~ん」などと尋ね歩く声が昼夜を問わず響き続けたそうです。さらに西郷さんの銅像には尋ね人の張り紙が数百枚! スケッチがありますが、痛切なものがあります。被災者は無賃乗車が許されたので、100万人が日暮里駅から東北や京阪神方面に脱出しました(東京駅や上野駅は壊滅だったのです)。
 「朝鮮人が井戸に毒を」の流言は今でも有名ですが、それ以外にも著者はいろいろ収集しています。「青山御所が全滅」「二重橋が傾いた」「摂政宮殿下が飛行機で京都に避難した」「大津波が来る」「上野公園で1000人が首をつって死んだ」「暴利を取った米商人が首を切られて晒された」「浅草観音が焼けそうになったら周囲の木々から水が噴き出て火を消した」「刑務所から囚人が全員解放された」「社会主義者が爆弾を持って歩いていた」「朝鮮人の女が爆弾を腹に隠して妊婦のかっこうで歩いていた」「吉原で娼妓が千人死んだ」「上野公園で猛獣がすべて射殺された」「路傍で売られている菓子には毒が入っている」……いやあ、様々な流言が行われるものです。
 本書によると、当時の地震は「微震、弱震、強震、烈震」の4段階分類だったようです。シンプルですね。
 大震災でとりあえず“生き残った”新聞社は三社だけ。新聞発行は大変な作業だったそうですが、ライバルに差をつけるチャンス、と各社奮闘しています。
 震災をきっかけに新造されたり広がった言葉としては「バラック町」「天幕(テント)村」「自警団」「社会奉仕」があるそうです。「此際(このさい)」もまるでついでのように流行しました。
 本書には「安政二年の大地震」がよく登場します。安政二年は1855年、関東大震災は1923年ですからまだ安政の大地震の記憶を持った人は世の中にいたのでしょう。70年というのは、「民族の記憶」としてはぎりぎりのところなのかもしれません。それでも「災害は忘れた頃にやってくる」になってしまったのですが。
 本書は、一種の「速報」としてまとめられた「画報」だそうです。ひっくり返った活字ケースから文字を拾い、すべて手作業で印刷・仮製本をおこなって発送したものだそうです。著者は「反骨のジャーナリスト」として有名ですが、「現場」や「庶民」に注ぐまなざしは実に真っ直ぐです。そのまなざしや筆致が厳しくなるのは、威張るだけで有効な対策を取れない「権威」に対するときです。なるほど、スジの通った反骨ぶりです。こういった態度って、私は嫌いじゃありません。