【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

言葉が通じない人

2012-03-02 19:00:27 | Weblog

 世の中には「言葉が通じない人」が多くいます。
 まずは「ことば自体が通じない」。外国語とか強い方言がそのわかりやすい例でしょう。
 語彙は共通でも「パラダイムが違う」場合もことばは通じません。強い宗教的信念とか専門用語にどっぷり浸かっている専門家とかがわかりやすい例になるでしょうか。「同じことば」を使っているはずなのに、そのことばに込められた「意味」や「ことばの使い方の原則や手法」がまったくこちらとは違っているから「生きた会話」が成立しにくい関係です。
 言葉が通じないのは困りますが、それでもここまでは“健康的”な話でした。
 病的な「言葉が通じない」場合もあります。最初から相手に耳を貸す気のない原理主義者とかイデオロギーこちこちの人。精神障害。認知症。失語症。コミュニケーションが成立しなくて、両方が困るのは、同じなんですけどね。

【ただいま読書中】『道化師の蝶』円城塔 著、 文藝春秋2012年三月特別号、848円(税別)

 先月『共喰い』を読んで、この雑誌はそのまま机の上に置きっぱなしにしていました。やっとまたページを開く気になったので、もう一つの芥川賞受賞作を読むことにしました。
 「100万部のベストセラーでも、日本の総人口の1%も読んでいない」は、以前書いたことがあるかもしれません。そして「その1%」の中でも、その作品と「言葉が通じている」人が何割いるかは、不明です。少なくとも10割ではないでしょう。そして、本書で著者は明らかに「すべての人とことばを通じさせよう」とはしていません。むしろ「通じなければ通じないで良い」とでも言いたそうな態度であるかのように見えます。
 本作を読んでいて、『共喰い』とのあまりのテイストの違いに、頭がぐらぐらしそうでした。『共喰い』は、新しい試みはあるにしても、その“構造”と“ことば”は、古典的な枠を保っていました。ところが本作は、そういった「枠」自体を持とうとせず、まるでひらひらと舞う蝶のように、というよりも、線香花火のように、ぱち ぱち ぱち とあちこちに火花を散らしながら思いもかけない方向に転がっていきます。あるいは転がるふりをしてそこにとどまっています。火花が散るたびに“何か”が見えます。飛び散る火花自身の形、そして、火花が照らす回りの何かが。しかしそれらは、見えたと思った瞬間消え去るのです。
 著者が使うことばは、「通じないことば」についての物語のようです。それも「物語でことばを使うことについてのメタ物語」というよりは、「メタ物語についての物語」。
 人の頭から飛び立つ架空の蝶は、ことばのメタファーのようですが、実は案外私たちが生きている言語世界での「現実の姿」なのかもしれません。私たちの視覚ではそれが見えないだけで。
 ただ、本作を読みながら、私はにやにやとだらけていました。この作品がわかったかどうかはわかりません。たぶん私は“わかっていない”でしょう。でも、胸がどきどきして、楽しめました。だから、ヨシです。私のこの感想、“通じ”ましたか?




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