視点が違えば 蕚にも 花弁にも
でも 花弁だとは 言いたくないよね?
観 察 月 日 2012 3 7 曇 14℃
観 察 場 所 瀬谷区 瀬谷
6日には気温が15℃を越え、春が来たかと思ったが、又冬に逆戻りした。
それでも雨の後押しがあってか、庭のセツブンソウの花は今が盛りとなっ
た。
「地面から高さ6㎝程の花茎を伸ばし、その先に透ける様な白い“5枚の
花弁”を開いている」
中学生の頃の私であったら,ためらいなく此の様に書いたであろう。だが、
私の近くにいる大人の人達は「花びらではなく、蕚だ」と言い切る。これは、
世の中が進んだと言う事なのだろうか。
では、花びらはと言うと、これ又、全く、とてつもなく姿を変え、蜜腺状に
変身し驚きである。
セツブンソウが辿った長い歴史の中で、何があったのだろうか。自分自身
の血の繋がりを残す為には昆虫の訪花は必須で、そのためには看板の掛
け替え、蜜と言うエネルギーの大サービスの方向に進んだのであろうか。
だが花を見ていても、訪花する昆虫は殆見られぬ不思議がある。変化を求
めた年代の地球は、温暖な気象状帯でもあったのだろうか。セツブンソウ
に、問いかけて見たくなった。
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